【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 23-その瞳に映るもの-その③
正面の山門は、
まだ黒煙を上げていたものの、
すでに見る影もなく焼け崩れていた。
注意しいしい、シュタインは崩れた山門をくぐる。
(……何てこった……)
開いた口が塞がらなかった。
辺り一帯が煙で覆われている。
まだあちこちで火は燃えていた。
家があった場所には、
邪悪な黒色に焦げた木が折り重なっていた。
交差した梁と柱は炭化し、
黒い十字架のようだった。
そこら一帯に立つ暗黒の十字架が、
少し前まで家が並んでいた名残をかろうじて示していた。
そして十字架の下には、
かつて人間だった物が黒焼きのようになっていくつも横たわっていた。
焼け焦げた死体のとっている格好が、
顎が外れてしまいそうなほど大きく開かれたその口の一つ一つがもれなく、
彼ら彼女らの断末魔の苦しみと痛みを饒舌に語っていた。
シュタインははっとした。
焼け焦げていない男の首が目の前に転がっている。
それは完全に千切れておらず、
わずかな筋肉の束で胴体とつながっていた。
胴体には太い槍が三本突き刺さっている。
それが誰の首かを理解した瞬間、
シュタインののどは引きつり、
呼吸がうまくできなくなった。
「……し……」
白奴火の目はかっと見開かれており、
そばにたつシュタインを恨めし気に見上げていた。
シュタインはがっくりと膝を折り、
白奴火の遺体の前にしゃがみ込んだ。
「あ……あんたほどの……男がっ……なぜ。どうしてっ⁉」
白奴火は無言で、
ことの凄惨さを饒舌に伝えた。
シュタインは思わず目を逸らす。
逸らしても、
また違う位置にある焼死体が融け失われたその双眸で睨みつける。
シュタインはようやく立ち上がり、
ゆるゆると歩き始めた。
(……地獄の光景だ)
伏せた目で地面を見ると、
そこには無数の蹄の跡があった。
やはり。攻め入られたのだ。
シュタインは歯噛みした。
さらに奥に進むと、
焼けた家は減った。
焼死体も減り、
矢によって体を貫かれた死体が増えた。
あるものは地面に、
またある者は柱や壁に矢で縫い留められている。
死んでいるのは男衆が多いように見えた。
若い女衆の死体がほとんどない。
生きているのか。
生きていたとしても、
どこへ連れていかれたのか。
考えたくもなかった。
(……それにしても……これが)
これが、
あの勇壮な山民の若衆の姿なのか?
鎧兜で身を覆い、
刀と槍と弓矢で武装した騎兵が大挙して押し寄せると、
さしもの山民の若衆もこれほどまであっさりとやられてしまうものか。
組織された武力の前では山民など無力なのか。
とぼとぼ歩くうち、
シュタインは裏門まで来てしまっていた。
その名を呼ぶのが怖かった。
しかし、もう呼ばないわけにはいかない。
「……ゆき‼」
シュタインは大声でその名を呼んだ。
ゆきは耳が悪い。
大声で呼んだとして聞こえるはずもなかった。
だが他にどうすることもできない。
裏門近くにあった、
ゆきの一人暮らしの家のそばで、
シュタインはさらに大声で叫んだ。
「ゆき! ゆき! どこだ。ゆき‼」
叫びながらゆきの家に入った。
家は無傷だった。
果たして、
そこにゆきの姿はなかった。
(連れ去られたのか)
恐ろしい想像に、
心臓が早鐘を打つ。
シュタインは家を飛び出した。
「頼む、ゆき! 何か合図をしてくれ! ゆき‼」
がたり、
と後ろで音がした。
シュタインは反射的に振り返る。
隣の家だ。
戸板が外れ、
外向けに倒れたのだ。
倒れた戸板の向こうで、
女が仰向けの体勢になっている。
女はシュタインを視止め、
うっすらと微笑みかけた。
「……ゆき」
シュタインはゆきに駆け寄り、
抱き起した。
『よかった。無事だったか。一体ここでなにが――』
手話が止まる。
ゆきの腰から下は、
ずたずたに切り裂かれていた。
右足はほとんど原型を留めていない。
辺り一帯が血の海だった。
「……あ……あ……っ」
ゆきが声を出そうとし、
ごぼりと大量の血を吐いた。
血は墨色の着物に吸い取られ、
すぐに見えなくなった。
「しゃべるな‼ だいじょうぶ、たすける。ぜったいに」
シュタインは知っている言葉を何とかつなぎ合わせた。
涙があふれた。
その目を見て、
ゆきは悲しそうな顔で微笑む。
細い指が、
おずおずとシュタインの涙をぬぐった。
『急に すごい量の火がかけられて。あちこちから。四方から。大声で侍が 馬が。あっという間で 誰も 男衆も 白奴火も 誰も 何もできなくて』
『一体誰なんだ。誰が こんな真似を』
『おそらくは帝。帝の よこした 侍達』
急にゆきは顔をくしゃくしゃにして泣いた。
『シュタイン。どうして出て行ったの? どうしてここにいてくれなかったの? わたしは わたしはあなたに――』
手が震えて、
シュタインはうまく手話が繰れなかった。
ゆきがまた少し血を吐いた。
シュタインはその血を手で拭い、
ゆきの肩をぎゅっと抱いた。
「……ごめんなさい。でていきたくなかった。わたしだって」
シュタインは唇をゆきの額に押し当てて喋った。
こうすると体を伝わって聞こえるのだ、
ということをゆきから教えてもらっていた。
それを教えてもらった時、
シュタインは試しにゆきの頭頂部に唇をつけて話してみた。
くすぐったそうに、
恥ずかしそうに身もだえるゆきを見てシュタインの胸は焦げそうに熱くなったことを昨日のことにように思い出し、泣いた。
ゆきの白い顔に、
シュタインの涙の雫がいくつも落ちた。
『泣かないで。優しい人』
シュタインはそっとゆきから離れた。
ゆきの息の音が変わっていた。
ほとんど吸ったり吐いたりできていないようだった。
肺もやられている。
ゆきは口をまっすぐ引き結んでいた。
いつもの癖だ。
そしてその表情のまま、
じっとシュタインの唇の動きを待っていた。
「ゆき。これだけはつたえたかった」
ゆきはこっくりと頷いた。
「あなたをあいしてる。ずっとまえから」
目が無くなるほどにっこり微笑み、
ゆきは手話を繰った。
『そんなこと知っています』
シュタインはぎゅっ、
と目をつむった。
また涙が何粒もゆきの顔に落ちた。
「くやしい。……もっとたくさん、ことばをおぼえていれば。こころ、つたえるためのことばを。もっとわたしが、しっていれば」
ゆきは微笑みを絶やさず、
ふるふると首を動かした。
『大丈夫』
「……どうして?」
『声は聞こえないけれど あなたの心は感じていました』
不意にゆきの体から力が抜けた。
肩を抱いている腕にずしりと重みがかかった。
「……ゆき?」
シュタインに向けられているはずのその目は、
もうシュタインを見てなどいなかった。
透き通った水晶の瞳に映っていたのはただ一つ、
遥か遠く、
空の彼方にあると言われている理想の国だった。
そこでは、
誰も人を傷つけることはない。
もちろんゆきのことも。
シュタインはゆきの身体を抱きしめ、
腹の底から絶叫した。
里に轟いたその声は、
まるきり獣の断末魔だった。
〈続く〉