【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 31-慈悲の刃-その③
金太は目をしばたたかせた。
「は。私が……ですか?」
「当然だ。――おい駕籠女」
綱は駕籠女に合図した。
駕籠女は頷き、
自分の小太刀を抜くと、
金太に手渡した。
手渡すとき、
駕籠女は金太の手をぎゅっと握った。
「……金太。わかるな? 慈悲をかけるのならば一突きで殺せ」
駕籠女は金太の手を握ったまま引き寄せ、
小太刀の切っ先を自分の胸の真ん中にぴたりと当てた。
「ここだ。ここを一息に突くんだ」
そう言って駕籠女は頷くと、
金太から離れた。
駕籠女の目はせつなげだった。
金太は土蜘蛛の前に立ち、
俎を鞘に戻すと、
小太刀を構えて土蜘蛛を見下ろした。
自ずと息が荒くなった。
土蜘蛛も両足が痛むらしく、
ぜえぜえと苦しそうに喘ぐ。
「――私を殺すのか」
「……ああ。そうだ」
「なぜだ」
「侍だからだ」
「おまえにできるのか」
「ああ。できるさ」
「そうか。だったら殺すがいい。未練はない。どうせもう祖国へだって帰れやしないんだ。シュタインは帰ると言っていたが、そんなこと無理に決まってる。……もうたくさんだ。弟も死んでしまったしな」
――おとうと。
心臓がどきりと音を立てた。
その胸に、
観童丸の屈託のない笑顔が浮かんだ。
次いで、
金太は自分が悪童に囲まれて虐められてた時のことを思い出した。
悪童の数も四人だった。
悪童達は、
抵抗できない金太を四人で囲んだんだ。
(あにい、駄目だ。……俺はどうやら侍には向いていないみたいだよ)
「……もう喋るな! やれ、金太‼」
檄を飛ばしたのは駕籠女だった。
金太は振り向いた。
強く金太を見据えた駕籠女の両目には、
うっすらと涙がたまってた。
「金太。……これは神命なんだ」
「……神命?」
金太はゆるり、
と駕籠女の方へ体を向けた。
「そうだ。帝とは神に同じ。これは神の命なのだ」
「こんなことが神の願いだと言うんですか。なら駕籠女殿、あんたは今なんで泣いてるんだ」
「――泣いてるだと?」
駕籠女は怪訝な顔をした。
まばたきをして、
頬に大粒の涙が零れ落ちたのを感じ、
駕籠女は自分が泣いてることと、
金太の姿を自分自身に重ねて見てることに初めて気づいた。
「駕籠女殿。今さら神の名を出したのは、心にためらいがあるからだ。あんたも迷ってるんだ、この任に」
「……なん、だと……?」
ぽろぽろと涙を零しながらも、
駕籠女の顔はみるみる朱に染まっていった。
つかつかと金太のそばに歩み寄ると、
平手でその顔を思い切り打った。
打たれた金太の口の中はざっくり切れ、
唇の端から細く血が流れた。
「もういっぺん言ってみろ」
「なんべんだって言ってやるさ。あんたは迷ってる。俺と同じようにな」
再び金太の頬が鳴った。
金太は血の混じったつばを地面に吐き、
駕籠女をぐっと睨みつけた。
「どうした、ちっとも効かねえぞ? あの時腹にもらった一発の方がよっぽど痛かったぜ」
駕籠女はまた手を振り上げた。
「やめろ駕籠女。……おまえ達、何を昂ってる」
綱がゆったりとした調子で二人を遮った。
その目はどしりと落ち着いてた。
「金太。主の命は絶対だ。言ったろう。主の刃になる。民の牙になる。それが我らだ」
綱は金太に歩み寄ると太刀を向け、
刃を金太ののどにゆっくり押し当てた。
鋭い切っ先がほんのわずか金太の肌に刺さり、
一筋の血が流れる。
駕籠女がひゅっ、と息を呑んだ。
「我らが守るべきは帝。正義ではない。――やれ、金太。やらぬなら俺がおまえを殺すぞ」
「……綱殿。だからこそ。だからこそ、この者は討てないのです」
「ほう。どういうことだ」
「この者が、牙を持たぬ民だからです」
綱は眉をひそめた。
「牙を持たぬ民だと?」
「綱殿もお判りのはずでしょう? この者達は人間だ。民だ。それがこの国へ流れ来たことで、牙を持たねば生きてゆけなかった、それだけだ。いかな主の命とは言え、牙を持たぬ民を殺すべきなのでしょうか、綱殿」
「莫迦奴。それはあまねく山賊も同じことだ。様々な事情から、武器を持って徒党を組まざるを得なくなった者達を山賊と呼ぶのだ。その山賊を狩ることが主から賜った命ぞ」
金太は綱の前にひざまずき、
目を伏せた。
「綱殿っ。綱殿は仰いました。我々は主の刃である以前に、民の牙でなくてはならん、と。ならば、せめて放逐を。この両足ではもはや帝の命を狙うどころか、山賊働きすらできないはず。牙をもがれたこの者が、今や民の一人となったのならば――じゃあこの私と、一体何が違うというのでしょうか? どうか教えてください綱殿。牙を持たぬ民のため戦う私が、この者に施せる唯一の慈悲とは、命を奪うことだけなのですか……?」
話し終えるや、
ぶぅん、
って肚に響く音を金太は聞いた。
刹那、
足をやられた土蜘蛛が両腕だけを使って後方に大きく跳ねた。
と、
一瞬前まで土蜘蛛がいた辺りの土が爆裂し、
四方に飛び散った。
はたして土を爆裂させたのは、
貞光の棍棒だった。
焦れた貞光がその剛力で棍棒を力任せに振るい、
土蜘蛛を叩き潰そうとしたんだ。
棍棒がぶちあたった地面は、
子供が一人隠れられそうな大穴が開いてた。
「金太、長話は聞き飽きた。――綱殿、何のことはない。若造に止めを刺させるは尚早、ということでしょう」
貞光が棍棒を上段に構え、
土蜘蛛の前に立ちはだかった。
「一撃で頭を潰す。いざ。神妙に」
「ふっ。……それは違うよ、でかいお侍さん。あんたは間に合ってる」
土蜘蛛は足をがくがく震わせながら、
口元に凄みのある嗤いを浮かべて立ち上がった。
「この役は、やっぱり彼にやってもらわなきゃな」
土蜘蛛は金太に近寄り、
その胴に手を掛けると、
上に引っ張って立ち上がらせた。
土蜘蛛の目は昏く重く底光りしてた。
「お侍さん。あんた……名前は?」
「……坂田金太郎だ」
「そうか。……ふふ、偶然だな。弟の名と似ている。私の名はクムという。弟はキンノだ。忘れるな。……いや、きっと一生忘れられない名になるだろう。忘れたくともな」
クムはそう言うと、
体の向きを変えた。
その先には、
駕籠女の姿があった。
「――――!」
駕籠女はとっさに弓を捨て、
腰に手をやった。
でも、
そこにあるはずの小太刀は金太の手に握られてる。
「――しまっ……」
クムは山刀を振りかぶり、
最期の力を振り絞って駕籠女に斬り掛かった。
駕籠女は思わず右腕で頭を覆い、
片目を瞑った。
やや霞んだ駕籠女の視界を遮ったのは、
金太の広い背中だった。
クムが振り下ろした山刀は、
駕籠女の盾となり立ちはだかった金太の肩に浅くめり込んでる。
金太は固く歯を食いしばった。
が、
苦しげに呻いたのはクムの方だった。
「……う……う……ああっ……」
金太の手に握られた小太刀は、
クムの胸の真ん中に深く突き刺さってた。
血が噴き出た。
驚くほど熱いその血は、
金太の顔といわず胴といわず真っ赤に染め上げていった。
その赤は、
やっぱり似てた。
金太は環雷を思い出した。
環雷は熟した桑の実が大好きだったんだ。
ぐぶ、
とくぐもった音を立ててクムが口から血を吹き零した。
クムが金太の、
小太刀を握ってる手を掴む。
その指に力が入り、
クムの獣じみた爪が金太の手に深く食い込んだ。
そこからも血が溢れ、
降りかかったクムの血と混ざりあって互いの体を伝い落ち、
地面を赤く染め上げた。
地面に落ちた血の染みは、
もう金太とクムどっちのものなのかわからなかった。
金太の体はわなないた。
「もっとだっ‼ もっと深く刺せええっ‼」
綱が怒鳴った。
「……おお……おおおおお! おおおおおおおおっ‼」
唸り声とともに、
金太は小太刀をさらに押し込んだ。
体ごとクムにぶつかり、
腰を入れてクムの体を貫いた。
小太刀の切っ先がクムの背中から飛び出した。
そのまま金太は力任せに柄を持ち上げて斬り進み、
ついにクムの心臓を肋ごと断ち割った。
クムが体をのけぞらせた。
二度大きく痙攣して、
そのまま動かなくなった。
体からは力が抜け、
ぐったりとその身を金太に任せた。
貞光が小さく鼻を鳴らして踵を返した。
綱が見事、と呟いた。
駕籠女は頬に涙の跡を残したまま、
呆然と金太の背中を見てた。
金太は、
まだあたたかいクムの体を強く抱きしめた。
そして顔を背けると、
足元に反吐をぶちまけた。
〈続く〉