【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 25-里に降る雨-
炎によって巻き上げられた塵や、
立ち上った煙は里に雨を降らせるきっかけとなった。
雨は次第に強さを増してゆく。
そして燻っていた里の炎を完全に鎮めた。
雨が降りしきる中、
シュタインはゆきの血まみれの亡骸を抱き上げて山へ向かった。
ぐったりと力が抜けているとはいえ、
ゆきの体はとても軽かった。
着いた場所は、
あの隠れ里が一望できる丘だった。
シュタインとゆきが木陰に並んで腰かけ、
簡単な食事を摂ったあの場所だ。
シュタインにとって思い出の場所だった。
シュタインは持参していた鍬で地面を掘った。
時間をかけ、
人がすっぽり入れるくらいの深く大きな穴を拵えた。
ゆきの墓穴だ。
それは狼などの獣も容易にほじれないほどの深さがあった。
再びシュタインはゆきを抱き上げ、
丁寧にその穴の中に寝かせた。
先ほどより弱くはなっていたが、
依然降り続く雨がゆきの顔についた泥やすすや血をやわらかく洗い流した。
血がすっかり失われてさらに白くなったゆきの顔は妖しささえ匂うほどに美しく、
それはただ黙って目を閉じているだけのようにも見えた。
しかしよく見ると、
そこにはやはり厳然たる死の気配が横たわっていた。
シュタインはゆきの上に手を使って丁寧に土をかけた。
そして体重を乗せてしっかりと押し固めると、
河原から運んだ拳大ほどの石を、
地面と同じ高さになった土の上に規則正しくいくつも並べた。
墓標となるやや細長い石も河原から苦労して運び、
敷き詰めた石の中央に設えた。
それからシュタインは山に入り、
ゆきがとても好きだった名も知らぬ白い花をたくさん摘んだ。
そしてそれらを一つの束にすると、墓標に供えた。
(ほら、ゆき。ここからならいつでも里が見えるよ)
雨はまた少し強さを増してきている。
シュタインは墓の前に腰を下ろした。
墓標越しに呆然と里を見ていると、
またたく間に意識が遠のいた。
次に目を開けると夜になっていた。
まだ霧のような雨が降っており、
気温はぐっと下がっている。
灰色がかった深い紫色の雲は低く垂れこめ、
周囲一帯をすっぽりと覆っていた。
遠くの都の光が反射しているせいか、
雲一つない夜よりもむしろ仄かに明るく感じた。
シュタインは山の向こう、
山際と雲の間にある線を、
飽くことなく見ていた。
雨がいずれ止み、
しだいに乾いた風が吹き始めた。
その風にずっと吹かれていると、
またゆっくり空気が湿ってくるのが感じられた。
そして空が白み始めた頃、
再び緩やかな雨が降り出した。
その日も、シュタインはそこから動かなかった。
何日過ぎたか、
数えることも考えることもシュタインはしなかった。
雨は降っては止み、
少し晴れ、また曇っては降り、
をずっと繰り返している。
その日も降っていた。
シュタインは、
墓標にぶつかって弾ける雨粒を見るともなく見ていた。
重く垂れこめた雲は、
上空をすごい迅さで流れ去ってゆく。
ふと気配に気づき、
首だけを後方に向けた。
背の高い、
やつれ果てた男が立っている。
はじめ、
誰だかわからなかった。
ややあって、
それがよく知っている者であることをシュタインは思い出した。
黒く縮れた髪。
高い鼻。
深い彫り。
青い目。濃いひげ。
なんと懐かしい姿か。
「……言葉はわかるか?」
男が言った。
思い出した。
それはシュタインがその男と初めて会った時、
男にかけられた言葉だったのだ。
それがその男なりの冗談であることにシュタインは気づいた。
「……だめか? 英語の方がいいのか。えーと……」
「いや……わかる。わかるとも」
シュタインはようやく、
ほんの少しだけ微笑むことができた。
イーヴァも微笑み返し、
左腕を振って見せた。
その左腕は、
肘から下がすっぱりと切り取られたように失われていた。
「――イーヴァ。腕が……」
疲れた笑顔でイーヴァが答えた。
「裏切られた上に、帝の侍に切り落とされちまったよ」
「……そうか」
「ああ。はらわたが煮えくり返るようだ」
「奇遇だな。私も、帝をぶち殺してやらなきゃ気が済まないと思ってたとこだよ」
イーヴァの目に映るシュタインは、
彼がよく知っていた者とは何かが異なっていた。
〈続く〉