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卒倒読書のすすめ 第三回 木下龍也『つむじ風、ここにあります』
死をポケットに入れて、というのはブコウスキーの本のタイトルですが、私は最近、短歌をポケットに入れてます。なにしろ死や言葉は、いくら持ってても荷物になりませんからね。
こんなご時世なんで、「人はなぜ出かけるのか」というのを意味もなく考えたりしています。理由のひとつは、変化する風景を見たいからかなと。脳っていうのは莫大なエネルギーがかかる、かなり非効率的コンピューター。コストがかかりまくってしんどいから、しょっちゅうサボっているらしい。そんな中、外の世界というのは変化が激しい。気温も天気も草花も、そしてお店や建物の入れ替わりも。見知らぬ土地なんて、刺激以外のなにものでもない。脳はそういった刺激で何とか稼働している。でも、同じものを見て過ごしていると、脳がとにかくサボりまくる。そうすると「飽きる」という現象が起きる。脳のためには外に出ないわけにはいかないけど、外にはなかなか出られない。せっかく脳に鞭打って過ごしてきたのに、家にいると飽きる。そして考えたのです。そんなときは、目の前の景色を変えるんじゃなくて、脳内の風景を変えるのがいいんじゃないかと。
そこで、短歌ですよ。
つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる
普段、見過ごされてしまう小さな現象が「ここにあります」とささやかにこちらに語り掛けてくる。しかもその翻訳者は誰かがごみとして捨てた菓子パンの袋。本のタイトルにもなっているこの短歌がTwitterで流れてきたとき、こんな解像度で風景を記録した言葉が存在することに鳥肌が立った。しかも31文字なのだ。木下さんの目線は、ユーモアもありながら生々しく、感傷的でたまに不気味。
B型の不足を叫ぶ青年が血のいれものとして僕を見る
この席を必要としている人がいまトーストを食べ終えました
雨のなか傘をささないあの人の前世はきっと砂漠でしょうね
鮭の死を米で包んでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい
この他人との距離感がとてもいい。日々を過ごしていて、ものすごく気になるわけでもなく、ただふと目に入る人というのは必ずいる。それは献血の呼び込みだったり、いつも同じ電車の同じ車両の同じ席に座る人だったり、一人だけ傘を持っているのにさそうとしない人だったり、はたまたコンビニのおにぎりの鮭だったりする。彼らと人生が交わることはほとんどない。けれどもそんな「他人」の人生が気になってしまう瞬間が私たちの日常にはある。そこに好奇心と不気味さを感じながら通り過ぎる。その瞬間がこれらの歌には切り取られている。
雨ですね。上半身を送ります。時々抱いてやってください。
こちら佐藤ただいま留守にしていますピイイと鳴りましたら笑って
飛び降りて死ねない鳥があの窓と決めて速度をあげてゆく午後
愛してる。手をつなぎたい。キスしたい。抱きたい。(ごめん、ひとつだけ嘘)
背表紙に取り囲まれてぼくたちのパラパラマンガみたいなくらし
ああこれも失敗作だロボットのくせに小鳥を愛しやがって
自販機のひかりまみれのカゲロウが喉の渇きを癒せずにいる
四捨五入の四以下みたいな日常が、感情が、生活の中にはたくさんあって、日々が進むとどんどん切り捨てられていく。この歌集の短歌を読んでいると、木下さんがそういうものをなんだか捨てられずに部屋いっぱいにして「困ってるんだよ」とこちらに視線を向けているような、そんな気がする。
いつもの帰路に見慣れた部屋、会えない人への思いでさえ色あせてきたとき、お気に入りの服のポケットに短歌でもつっこんで、過ごしてみませんか。同じ風景の中、短歌の手触りがやけにぞくりとした瞬間、世界が突然鮮明になり、その生々しい美しさに涙する日がくるかもしれません。知らないけどね。
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