「楽しい」も「辛い」も、全部私の「青春」だったんだ
「「ゴールド金賞!!!」」
この結果が聞きたくて、総勢50人でひとつの音楽を極める「全日本吹奏楽コンクール」。
「吹奏楽部の甲子園」とも呼ばれています。
「ひとつでも上の大会を」と目指してきた吹奏楽部員の端くれとして、私も中高の6年間音を磨き、合わせ、音楽を奏でてきました。
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私が吹奏楽を始めたのは中学校に入学した時。
通っていた小学校にブラスバンド部があり、そこでクラリネットを吹いていた友達がいて、「かっこいいなあ」と思っていたのが元々の始まりでした。
とか言って、「朝練は嫌だ」という理由なだけでブラバンには入りませんでしたが。笑
クラリネットを吹いている友達に憧れていた私は、体験入部や入部最初の楽器決めではクラ一択で猪突猛進。
とは言うものの、他の木管楽器(サックスやフルート)や金管楽器(トランペット、トロンボーンなど)、打楽器も体験してみました。
「体験入部の時、つなは私が吹けなかったサックスをいとも簡単に吹いちゃうんだもん。『この子とは仲良くなれなさそう』って思っちゃった笑」
なんてことを、この時からの付き合いの友達に言われたことがあります。
当の本人である私は全く覚えてませんが。笑
そんな彼女はサックス担当となり、私は晴れて念願のクラリネット担当に。
小学校からクラをやっていた子も同期で入部し、2人で切磋琢磨しながら3年間を過ごしました。
「つなちゃんってドMだね!」
という、2つ上の先輩から言われたことがきっかけで、すっかりドMキャラが定着。笑
初めての文化祭で、先輩の演奏をバックに新入生が踊ったのですが、まさかのセンターを私が務めるという……
某女児向け5人組キャラクターのピンクの子に扮して踊りました。
間奏中に、私だけ自己紹介させられるという先輩たちからの無茶ぶりのおかげ(?)で、しばらくは全校生徒に顔と名前を覚えてもらえてました。笑
そんな愉快な(?)ことから始まった部活生活も、3年間がすぎる間に次々と仲間が去ってきました。
入部当初は20人近くいた同期たちも、卒業する頃には7人までに。
近年稀に見るほどの部員の少なさだったと思います。笑
それでも、同期に、先輩に、後輩に恵まれ、なんとかやってこれた3年間だったと思います。
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運動部より少し遅く、中3の7月に部活を引退し、翌春にはそれぞれの進路へと進学しました。
進学先の高校でも、迷うことなく吹奏楽部への入部を決意。そこで奇跡的な再会を果たしました。
「クラリネットってかっこいい!」と、私がクラリネットを選んだきっかけをくれた友人と、奇跡的に進学先が一緒だったのです!
彼女とは小学校までは一緒だったものの、近隣の別の校区に引っ越しをしてしまい、別の中学校へ進学していました。
そんな彼女を含む総勢30人の同期と共に、また新たな音色を求め始めました。
中学の時とは比べ物にならないほどの、部員数の多さと練習のキツさと、(自称)進学校だったので勉強との両立とで、毎日目まぐるしく過ごす日々。
ところが、あることがきっかけで、私は周りから少し孤立するように。
高校2年生になる年の3月11日。
ちょうどこの時期は高校入試があり、1週間ほど授業は休みとなっていました。
ただ、入試当日以外は部活をしていいとのことだったので、その日も部活に行く予定でいました。
ただ、その日の私は何かを感じ取ったのでしょうか。
どうも学校まで足が向かず、私はその日部活を欠席し、自宅で過ごしていました。
その日部活に来ていた他の部員たちは、楽器を抱えて校庭へ飛び出し、揺れが収まってからは体育館へ一時避難をして、その後自力で帰れる人たちは1時間近くかけて帰っていたそうです。
その年の夏のコンクール前、私はメンバー選考の当落線上にいました。
決して部員が多かったわけではないのですが、「周りの音と合わない」という理由でメンバー選考の対象となっていたようです。
吹奏楽は、周りの音に自分の音を溶け込ませてなんぼの世界なので、そのような理由で当落線上にいるのは当たり前だと思います。
ただ、その当時顧問に言われたのはそれだけではありませんでした。
「お前はあの震災の日、部活に来ていなかっただろう。あの時あの場にいなかったから、他の部員と気持ちが違う方向を向いていて音を合わせられないんだ」
確かに、あの日部活を「行きたくない」という理由だけで休んでしまったのは事実です。
だからと言って、周りと合わせられない理由として、それを引き合いに出してくるのはいかがかなと。
その日以降、顧問との間に少しずつ溝が生まれており、気づいたらそれは、他の部員との間にもあったように感じます。
結局、その溝は最後のコンクールとなる高3の夏になっても埋まることがなく、またしても私はコンクールメンバーの当落線上に。
ここまで来たらただ単に楽器が下手だっただけかもしれないですね。笑
結果としては、崖っぷちな状況でしたがなんとかメンバーにも選出され、最後の夏を迎えました。
久しぶりに地区大会を突破し、県大会へとコマを進め、そこで夏は終わりました。
ただ、それを経てもなお、私と顧問の間の溝は埋まることはありませんでした。
そのまま、私たちは卒業し、顧問も別の学校へと異動してしまいました。
高校を卒業して直後に行われた後輩たち主催の定期演奏会に行った際、顧問もいちお客として見に来ていました。
同期も何人か見に来ており、帰り際に顧問との久しぶりの再会を果たしていたようですが、私は見かけるや否やそそくさと帰宅路へ。
もはや顔も見たくないと拒否反応。
同期たちとの見えない溝も埋まることがなく、すごく微妙な関係なまま卒業をしました。
定演で久しぶりに同期を見かけても、何も声をかけずにそのまま帰ってしまうほどでした。
大学に行ってからしばらくはSNSなども繋がっていたのですが、「人間関係リセット癖」が私にはあるらしく、次々と同期たちとのSNSの繋がりを絶っていき、今となってはほとんど連絡も取っていません。
よく遊ぶ「いつもの人たち」の中に、部活の同期がいるのですが、その子経由で同期たちの今の状況を伺い知ったりしています。
誰々が結婚したよ~とか、誰々が子供生まれたよ~とか。
その子も、あんなに仲良くしていたパートの人たちとは卒業後ほとんど会っていないらしく、「私たちは人数多かったから余計だよねw」なんて話したりしています。
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そんなこともあり、吹奏楽にはちょっと苦い思い出があります。
けど、それと同時にやっぱり大切な思い出でもあることに、ようやく最近気づきました。
高校卒業と同時に吹奏楽も辞め、気づいたら10年以上楽器とは縁のない生活を過ごしていた私。
それでも、時々メディアなどで吹奏楽に触れると、心がキュッとするけれどどこか懐かしさを感じます。
先日、「笑ってコラえて!」内のコーナー「吹奏楽の旅」を見た時のこと。
2年前、吹奏楽をするために、離島の中学校から本土の高校に進学した、とある女の子がいました。
その子の中学卒業~高校入学までを追い、2年前はそこで特集が終了。
2年経った先日の放送では、その子の入学後~去年の夏のコンクールを追いかけた特集を放送していました。
練習中の風景や、本番直前の舞台袖の様子を見ると、やっぱり心がキュッとなりますね。
「ああ、私もそんなことあったな~」って。
苦い思い出もあったけど、もちろん楽しかった思い出もあった。
(正直苦い思い出のほうがちょっと多い)
きっとこの6年間が、紛れもなく私の「青春」だったんだろうなあと思います。
そんな、30代初めての夏でした。