私がパーキンソン症候群となった件
字面に沿って「広く告白する」私自身の広告です。
ここ数年は無気力感に悩まされてきたのですが、昨年の初めより「足の筋肉がこわばる」「左手が震える」などの症状が出て、メンタルクリニックで紹介された大学病院で精密検査を受けた結果、パーキンソン症候群と診断されました。
パーキンソン症候群は脳内のドーパミンが少なくなるパーキンソン病のような症状をきたす疾患の総称です。
ぷるぷる震えたり、年月をかけて徐々に体が動かせなくなる症状で、はっきりと判明するとパーキンソン「病」である場合が多いのですが、まだ他の病気の可能性も捨てきれない、モヤッとした状態だと理解しています。
いずれにせよ治る病ではないのですが、現在は医療の進歩もあり、パーキンソン病は「付き合っていける病気」という見方が主流です。
まだ治療が本格的に始まったところで、足を引きずるなどの症状がコントロールしきれず、会う人会う人に説明しないのは無理があるし、毎度ご心配いただくのも心苦しく、なんかそういう「隠す」時代でもない気がしますので、広告屋の端くれとして「広告」としてご報告することにしました。
デスクワークは普通にできてますし、悲観的というほど悲観的でもなく、楽観的というほど楽観的でもなく、今までそうしてきたように現在できることを緩やかに行って、未来のことは未来の私に判断してもらおうと思います。
ちなみに脳内のドーパミンが減少すると、身体が動かしにくくなるほか、快感や幸福感を感じにくくなったりするそうです。
頭の中にいる感情を「ヨロコビ」や「カナシミ」として擬人化したピクサーの映画を思い出し、私の中の「ヨロコビ」が小さく弱くなった姿を想像しました。
一般的に、パーキンソン病の症状が現れ始めるのは、脳内のドーパミン神経細胞の半分以上が失われた後とされますので、私の「ヨロコビ」は以前の半分以下になってしまったのでしょうか。
実感としてはそのようなことなく、昨年も私は今までの人生で一番「喜び」、楽しかったと感じています。
医療とデザインの領域で仕事をしてきましたが、今後は患者としての目線も持って仕事に携わり、ほかの事業も並行して発展させていきたいと思います。
そしてくどくど、と
早朝の薄明かりが空に現れ始めるなか、早く目が醒めたので、思い立ってこの文章を書いています。
パーキンソン病以外の疾患だとよりややこしいので、パーキンソン「病」のつもりで少し詳しく申し上げますと。
パーキンソン病は、70歳以上では100人に1人がかかる病気とも言われており、私の年齢ではちょっと珍しいかもしれませんが、高齢化が進むこれからの社会ではよりメジャーな病気、ということになるかもしれません。
大学病院でパーキンソン症候群と診断を受けた時、「考えられる最悪のケースと、まあまあ普通のケースを教えてください」と伺いました。
いつも仕事でそのように判断材料を用意したうえで、行動方針を決定しているからです。
「最悪の場合は4,5年で寝たきりになり、死ぬでしょう。普通に行けば10年から15年ぐらい日常生活が送れるでしょう」と教えていただきました。
普段から医療や患者さんの情報を扱い、健康第一な生活をしてきたとは言えない自分としては「まさか自分が」とは思わず、「5年というのはそこまで悪い数字ではない」というのが第一印象で、私の反応があまりに普通だったので、先生の方が怯んだかもしれません。
ただ、保険会社などが「人生100年時代」とか宣伝する時代に、「自分の余命はせいぜい平均寿命までと決まっているのか。そもそも日常生活とは何だろう」とか、「あと5年くらいという可能性もゼロではない」というのは、居住まいを正すような?思いにはなります。
人によって症状の進行や出方は様々で
レボドパという切り札的な薬もあります。
映画「レナードの朝」は嗜眠性脳炎というパーキンソン症候群の話ですが、何十年と眠っていた患者達がレボドパで目を覚ましますが、やがて薬の効き目が薄れ、また眠りについてしまいます。
治療にあたった医師本人による書籍の方も詳しくて興味深い内容です。
脳の病気のためか、人によって症状の進行や出方が様々な病気のようです。
長くパーキンソン病と闘病を続けているマイケル・J・フォックスは10年近く病気を隠して仕事をしていましたが、その後20年近く自分で歩いたり、俳優としての生活を送っています。
友人に教えてもらった若年性パーキンソン病を患っているダイヤモンドダイニングの社長の書籍も読みました。
社長としてのハードワークもあるせいか、かなり短期間で症状が悪くなったようですが、あからさまに症状が出ても誰にも告白せず、仕事を継続していたそうで、今も頑張っておられます。
去年、ヒクソン・グレイシーが診断を受けた約2年後にパーキンソン病を告白したという記事を読みました。
私は忍耐がなく我慢も効かないので、半年で「広告」です。
症状としてもまだ初期と言えます。
私のクライアントや友人に多くいる医師や医療知識を持つ方々に、隠し通すのも難しい気がするし「ばれる」という感じになってしまうのは良くない印象です。
さりとて、毎度きちんと説明するのも時間がかかるし、正確性を欠いてもよくないし、 長い。
なのでデザイナーであり広告屋の端くれでもある私としては、自分の「広告」です。
仕事のこととか、子供のこととか
仕事に関しては楽観的です。IT会社の取締役もやらせていただいているうえオンラインも普及したし、AIも爆発的に進歩を遂げてるし、たとえ動けなくなったとしても自室でデザインを行い、完結させる(安楽椅子探偵のような?)ことは現在でもそんな難しい時代ではないと思います。
今後、人様に同情されても笑われても大した気になりませんが、10歳の息子と4歳の娘がどのような目で私を見ているのか、あるいは周囲から見られるのかは少し気になります。
4歳の娘が隣の部屋でもう起きて、ウルトラセブンの調子で「セブン、セブン、セブンイレブン」と謎の歌を歌っているのが聞こえます。
この子が成人する頃まで、果たして私は「日常生活」を送れるだろうか。
10代とか思春期の頃にどんどん動けなくなっていく(かもしれない)私を見るのは、まあ楽しい気分ではないだろうなと思います。
10歳の息子には、「パパは少し体を動かしづらい病気になったんだ」と伝えています。
しれっとした顔で、そんな素振りは見せないが、気を使う子なので不安になっているかもしれません。私が同じ年くらいの頃だったら、とても不安になるでしょう。
妻には今でも子供たちの面倒などで負担をかけているし、これから私の面倒が加わるかもしれない。単純に経済的な問題も出てくるかもしれないし、いろんな意味で社会のつながりにもお世話にもなる。
私よりも家族の方がずっと不安でしょう。
「前向きに」諦める
思春期の頃はそれにふさわしい希死念慮のようなものがあり、20代の頃は「死ぬ覚悟で事を成す」ような気分もございましたが、これからは体が動かず、むしろ死なない「前向きな諦観」を持ちたいと望んでいます。
ヒクソン・グレイシーはパーキンソン病を「神の贈り物」と言ってましたけど、簡単には死ねない呪いをかけられたようなものと考えたら、案外近いかもしれません(ちなみにマイケル・J・フォックスがパーキンソン病を含めた自叙伝のタイトルは「Lucky Man」)。
一人でいるのが好きで、様々なことを自己完結できた私は、ある点においては「気楽で自由な強者」でしたが、これからはいろんな人や社会の助けを借りて生きていかなくちゃいけないなあとか。
そういう意味で何かまだやることがあるというか、もう一踏ん張りする理由みたいなものを与えられたような気もします。
私は人の力を借りるディレクターで、経営者で役員でもあるので、何となく全体を俯瞰して仕事をしていて、最初は「患者になってまで仕事したくないなあ」と思いましたが、やはりもう一つ頑張らないといけないとか。
未来の不確定性とか希望とか
毎日飲む薬があります。
飲まないと確かに症状が強いです。
どの薬がどのように効いているのか分かりづらく、それがまたこの病気らしい特徴なのかもしれませんが、そういった毎日が当たり前になっていることにちょっと驚きます。
まだ診断がつく前、メンタルクリニックの先生に不安を和らげる薬をもらっていて「今の川名さんは酔っ払っているようなものです」と言われ笑ってましたが、「そうか、俺はシラフじゃないのか」と思いました。
今の私も「薬がなければ本当の自分を維持できない」のではなく、「薬のおかげで本当の自分を忘れ、酔っ払っていられる」という方が適切なのかもしれません。
そんなことをとりとめもなく考えています。
治療が順調にいって薬がうまく効いてきたら、またしばらく忘れてるかもしれません。
それこそマイケル・J・フォックスが主演した映画バック・トゥ・ザ・フューチャー3のエンディングの台詞のように、「未来はまだ決定されていない」ので、自分に出来ることをしていきたいと思います。
“The left hand rules the world”
写真撮影でつけた腕時計はカルティエのタンクシリーズで、たまたまですが同じように40代でパーキンソン病を患ったボクシングの元世界チャンピオンのモハメド・アリもタンクを愛用していたそうです。
ささやかなオマージュというか、利き手である震える左手にいつもつけて、まぁお守りにしたいと思います。
左を制するものは世界を制す"The left hand is the key to victory"というアリに関する有名な言葉(諸説あり)がありますが、あえて日本語を英語で直訳するならば”The left hand rules the world”は「左手は世界を統べる」。
この震える左手が、少なからず私の世界を構成するのだから、当たってなくもないですね。
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