E ola na ohana ka wa’a moana 『大海原に棲むカヌー家族』no.3

書いてる本人も前後がわからなくなってきた(笑)


今回のボーヤージングの舟出前の夜だ、そうだ、、、


そびえ立つ神湊のコンクリートの堤防の壁に囲まれているにも関わらず、船首の旗がはためき出した。

日中はもちろん、さっきまでの空気と違う空気が上空からおりてくるを感じた。


八丈島に上陸するずっと前から、自分の体の変化を感じていた、、、

風の密度から違う、自分の眠っていた野生が、弓ヶ浜を出てからここ来るまでの時間、そして、島で作業をする時間を経て、血液が全て入れ替わってしまうんじゃないか、、、と心配になるほどに、頭のてっぺんから足の爪の先まで、、どんどん敏感になっていくのを感じる。

身体の変化を感じながらも、不安はまったく無かった、それよりも僕の心は満足と感動で一杯だった。


このボヤージングに参加してきたオハナ皆の漕ぐことに対する情熱というのか、心意気がただただ嬉しかった。


ここまで真剣にボヤージングと向き合おうとするオハナ達がこれだけの人数育ったということが最高に、何よりも嬉しかった。


ここまで来るのに11年以上かかったのだった。


この仲間、オハナがいれば、後は自然に任せて、海に委ねて、俺らは合わせて漕ぐだけでいい。ただそれだけ、、、

島を目指して仲間が力を合わせて漕ぐということ、、、、

太古の時代の島のように、皆が同じ目的で同じ価値観で、同じ世界しか知らないで海を見ながら共に生きた時代、映画モアナ のような時代なら、さほど難しくもなく、頭を悩ませるようなこともなく、ヴァアを漕ぐ仲間を集めることができるだろう。

でも、多種多様、複雑な現代社会、違った土地で生まれ、違った環境で育ち、色んな価値観の親と学校の先生に影響を受け、色んな世代を生きてきた19歳以上の大人達が、仕事や家庭、色んな自分の都合や欲を犠牲にして、見えない島をただ目指すということ。自然の、海の都合に合わせて、未知なる黒潮流れる海を漕ごうということ。それが、この時代だとどれほど大変なことなのか、、、

金メダルとか優勝とか、この世の一般的な価値観にある分かりやすい目標ではなく、

ただ皆が一つになり、見えない島を目指して漕ぎ続けるのだ、

自分が希望の光の種となり、さらに光り輝く未来を目指して漕ぎ続ける。

オハナ本人たちはまだ気づいていないけど、僕にはそう見えるのだ。



黒潮洗う、絶海の孤島、東京から350キロも南にある亜熱帯の島、八丈島。

過酷な自然を拒もうとする人間のエネルギーよりも断然、、、空気も海も、純度が高すぎて、一瞬で変わる空や海の変化が生身の体に強烈に容赦なく染み込んでくる。
 
それだけ僕らは普段からオブラートにほどよく包まれた自然を好み、自分たちに都合がいい具合に、情緒的で文化的な香りのする自然だけを好んで自然に触れているということなんだろう。

これが本当の海なんだ、地球の息吹なんだ、自然なんだ、

八丈富士からスルスルーと下りてくる上空の、その夜の空気の動きだけでも、こんなに違うのだ。  


その日僕らは八丈島に上陸する前、少し遠回りをして、忠兵衛丸の大船長さんの日頃の仕事場でもある漁場に寄った。御蔵島の35キロほど南西にある藺難波(イナンバ)は、海底16000メートルからほぼ垂直にそそり立つ。見渡す限り周りには岩礁も島もないので、その時の潮の速さ、強さを確認するためには最高の場所なのだろう。

ほぼ毎日のように人工衛星と海洋調査船からの情報を元に発行される『八丈島海洋ニュース』を見る限り、ここ数ヶ月はこのイナンバも、八丈島も、黒潮本流から離れた場所にあるはずだった、それでも大船長は、3ノットで東に動いていると言っていた。その日の黒潮の本流は、八丈島のはるか西を北に向かって流れてきて、蛇行して御蔵島と神津島との間を西から東に横切るような形で流れているということになっていた。八丈島海洋ニュースではね、、、

黒潮の流れは風の流れと同じで、一日、1時間ででも変化するのだろう。流れが速い時もあれば緩やかな時もある。流れる場所も気ままに動く、海底の地形の影響とかだけでなく、太陽や風や、それこそ宇宙のエネルギーの変化に反応しながら、、、とにかく黒潮は僕たちと同じように『生きている』のだ、宇宙規模の無尽蔵のマナを発しながら、雲がたちこめるように、空気が風となり自由に吹き抜けるように、

黒潮は自由に、その周辺の海に大きなマナをあたえながら流れているのだ。


海は全てが絶妙にバランスをとりながら規則正しくリズムを刻みながら動いている。その海面上に僕らは浮かんで、必死にひたすら北に向けて漕いで行こうとしている。


今回のボヤージング、11年前から最高に心待ちにしていたのはこの『黒潮』を皆で漕ぐ、ということ。黒潮を感じる、ということ。

11年前は一人だったし、あまりにも必死過ぎて、何か考えるどころか感じる余裕もなかった。拷問もような、無我夢中の修行のような時間だった。


その当時、俺自身も海と調和して、とか、平和のために漕ぐ、とか、そういうことを真剣に語る男でもなかった。ただ、古代人が出来たんだから、今の僕らにだってできるはずだ、という軽い気持ちだけで漕いでいたのだとう思う。

11年ぶりに黒潮を漕ぐ、というか、黒潮に触れる、その待ちに待った日が明日にせまっていた。それも日頃、一緒に漕いでる葉山のオハナと助け合いながら。

明日の風も気になるけども、、、、

その黒潮のマナに触れること、そのことを考えると、どんどん目が冴えてくるのだった。

血が騒ぎ、胸が騒ぐのだった。


この日、ボヤージングの前夜もだけど、ボヤージング期間中、俺は自分のスマホを弓ヶ浜に置き忘れたのだった。

八丈島に到着してからの、島の人との連絡は、、、オハナ皆の弁当は、、、と一瞬焦ったけども、それ以外は、最高!だったのだ。

神のギフトか、と後に思ったほどのアクシデントだった。

たった16時間だけの八丈島での滞在だったけども、ワイファイでつながることができる島の外の世界の情報を知ることも、遠く離れた場所のエネルギーをスマホを通してを感じることさえも無く過ごすことが出来たのは非常に幸いだった。

葉山や弓ヶ浜や新島で待ってるオハナのことを思うと、申し訳ないけどね、、、。

ほんの一瞬、スマホに目をやる、、、そんな瞬間さえも全くなく、、、

この八丈島を全身全霊で感じることができた。 最高の時間だった。

スマホが無いだけで、、、、

単純に風を全身で感じ、黒潮を感じ、、、漕ぐ、
そのことだけに、身も心も魂も、集中できたのだ。


とにかく、海と、風と、星と、黒潮の深く澄んだ群青色の潮のにおい、、全身全霊で感じることができたのだった。

7月31日 3時浜集合。

結局、僕は昨晩に引き続き、、、ほとんど一睡もできないまま忠兵衛丸の甲板で横になり風を感じながら星を見続けていた。でも、体は休まっていたし、マナで満ち溢れていた。
いよいよだ。


まずはクルー全員がKupuna が待つ底土海岸に集まる。

底土海岸の近くの宿舎に宿泊した殆どのオハナたちは、徒歩で砂浜に集まった。

僕を含め10代の金が無い若者(オピオ)たちと僕は今日も野宿というか忠兵衛丸の甲板や周辺に寝ていたので、島の数少ない同志の若者が神湊から浜まで送ってくれた。

このコロナ渦に島に行くこと、島を訪れること、島の人にとっては、人が島外から来ることじたいが眉をひそめるような、無神経なやから、、、と思われていた。実際にそういうことを何度も昨年から色んな島の人から言われ続けてきた。
けども、11年まえからの僕のプロジェクト、というか僕が言い続けてきたビジョンを理解してくれる古い仲間や、新しい理解者も数少ないけども、新島、そしてここ八丈島にいてくれて、島の人たちのネガティブな声やエネルギーの間に入ってくれて緩衝材となり、親身に僕らのことをサポートしてくれた。なんの見返りも期待しないで。 有り難いことだった。

縁というか、導きというか、つながる人とは繋がり続けるもので、そういう人と人との繋がりのお陰で、海を渡り、島と島をつなぎ続けることが出来たのだ、と心から感動するのだった。ネットやSNS、電話も郵便も何もない時代の人達もきっとそうだったろう。

そして、何かが変わって行くときは、ファンファーレもならないし誰も称賛もしない。静かに、知らないところで人々の覚醒は起こり、そして一気に新たな世界に向けてすべてが開花していくものなのだ。
 

浜に到着したオハナ達、それぞれが必要な準備をする。 皆無口だ。眠いだけじゃなく、この大自然の静けさと海のなんとも言えないパワーに圧倒されてるのかもしれない。

大自然の前では人は無口になる。

太古からの、自然を畏れ敬うという習慣が人の体に染み込んでるのだろう。

この浜もアオウミガメが産卵にやって来る浜だ。100年、200年、いやきっと数千年、数万年前から何度もくり返し続けれててきたアオウミガメの産卵、今年の亀さんは何世代目のアオウミガメなんだろうか?ということが頭をよぎる。それこそ彼らはクプナ、何世代も続く太古を知る先人達なんだろう。

黒い溶岩の砂で、島唯一の砂浜だ。

僕らは、この小さな浜から漕ぎ出す何人目の人間なんだろう?なん組めの海洋民族なんだろう?、、、とか、思いを馳せているうちに、

浜に立つ僕らのほぼ正面、東の空が少しずつ明るみだしてくる。

真っ暗で静かに感じていた海が目覚めるよう。
マザーアースの息吹が大きく聞こえるようだった。

すべてが、感動の連続。

その東の空に向けて プー(法螺貝)を響かせる。
時空をこえて、宇宙と地球と、森羅万象と、海を渡った太古の先人たちと繋がっていく。 

プーの波動とともに、、、、

八丈島、御蔵島、三宅島、神津島、新島、神子元島、弓が浜、に辿る海の道が、ハッキリと見えてくる。
 

よし、今日だ。『 the day 』が、与えられた瞬間だった。

自分の心の中でGoサインをだした。それは手をしっかり繋いだクルーたちにも瞬時に通じたはずだ。

そう、俺らは家族だ。

海を漕いで渡る、という強い意思だけでつながる家族なのだ。

深い魂のレベルでつながる家族なのだ、

Ohana Ka Wa’a (カヌー家族)なのだ。

そのあとは、いつものように、E ala E、手と手をしっかりとつなぎ合い、調和の和をつくり、平和の祈りを捧げ、全ての生きとし生けるものに感謝と愛を伝える。

そして、11年前からの島のオハナであり同志、タロちゃんの、島の先人たちが語りかけてくるような魂が震えるような、オリ、、、

最初のクルー、6人だけを浜に残し、それ以外のオハナは伴走艇へ移動する。
その時も島の仲間たちが車で送ってくれる。朝の4時なのに、、、

過酷な一日になるのはわかっていた。

八丈富士の山影になるこの場所でも、岩礁の内側の海面がざわついている。昨日までの南東の風が残していった大きな外洋特有のウネリも健在だ。

目に見える自然現象だけでも、厳しそうだった。

それでも今日が『the day』なのだ。それは揺るがない。

島を離れるにしたがって、どのくらい風が強まるのか、、、

黒潮の流れは、

でもオハナ皆の漕ぎ力を信じよう。

海を渡った先人たちの導きにゆだねよう。

常に寄り添い、守ってくれる、カナロア、海の神様を信じよう。

とにかく急ごう、新島まで何時間かかるのか、まったくイメージできない。

1時間10キロ、新島まで150キロ、15時間、 それを目指して漕ぐ。
(案の定、それは紙上の空論でしかなかったけども、)


海面も明るくなり、アオウミガメの赤ちゃんになった気分で、ゆらゆらと波に揺られながら、6人での静かな底土海岸からの舟出だった。少しでも早く漕ぎ出そう、新島を目指そう。6人とも同じ気持ちだったに違いない。

またすぐに、この場所に戻って来れるように、、、そんな強い想いを込めての舟出だった。

つづく、

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