南伊豆のマナ
毎年この時期になると恒例になっているボヤージング(航海)がある、
わたしたちが日頃活動している葉山の大浜海岸から南伊豆の弓ヶ浜までオハナ皆で漕いでつなぐという年中行事のようなものだ、もう10年以上続いてる漕いで渡る航海、
どうしてその航海をやるのか、
なぜ南伊豆なのかは、
まえにもこのnoteに書いたことがある、それを見ていただいたら嬉しいです
題名は『古代海洋民族の伝説』だ、https://note.com/pfme/n/n7b38f49d805f
葉山から南伊豆の弓ヶ浜までは、相模湾を東伊豆まで一気に横断して行けば最短で110 キロほどだ、
相模湾をぐるっと江ノ島、大磯などをなめるように進んだ場合は160キロ、交代する場所が増えれば増えるほど入江に漕ぎいっていく分だけ距離がふえることになるけども、
その距離を砂浜で交代を繰り返しながら漕ぐ航海なのだ、
わたしたちが日頃海に出ている葉山は、おおきな伊豆半島や箱根山麓の高い山から遠く離れているので、小田原、平塚、茅ヶ崎、辻堂、鎌倉、逗子などの湘南エリアよりは北東の風も南西からふく風も勢いよく通り抜ける場所にある、地理的にも三浦半島という少しだけ外洋につきでた場所に位置するので黒潮の分流もはいってくる、その分だけ自然が豊かで海にも動きがあるのだけど、それでもやはりおおきなふところの相模湾に面しているので、外洋の、太平洋の大海原と比べたら、空気も海もはるかによどんでいるのだ、
海を漕いで大自然を直接手先、指先で触れながら、人間らしい時間の流れ、人並みの速度で移動する、『みんなで漕ぐ』という自分たちの力と自然のエネルギーに漂うようにして移動する航海の場合は、その空気感や匂いや、温度や、色や、、、五感、それこそ第六感をも通して、すべてがドラマチックに変化して行くのがヒシヒシとわかるだろう、
ゆっくりと心地よい速さで次元が変化して行くといっても過言ではない、
そんなエレメントの変化をみんなに知ってもらえたら、感じてもらえたら、という思いと、
そして、 何よりも、 ”オハナ” とわたしたちが親しみをこめて呼んでいる家族のような魂で繋がる海を漕ぐ仲間たちとの信頼関係(ハワイ語ではOhana Ka Wa'a/ カヌー家族といいます)は長い道のりをともに漕ぎ、ともに助け合い、ともに分け合いながら過ごすことによりその共同体意識が持つマナ(愛のエネルギー)が高まっていくと感じるのだ、
そして、なにかあるごとに、『おかげさま』、あなたがいるからわたしがいる、という意識が芽生えてくる、
”自分さえ良ければ”、というエゴの意識ではなく、”みんなさえ良ければ”、という利他の心に変化していく、
それが太古の人と同じ方法で、海を漕いでわたるというボヤージングのわたしの目的、
そういう意識が人に対してもてるようになれば、人間以外の自然界の生きとし生けるものすべてに対しても愛をもって優しく接していけるようになる、
みんなで助け合い調和してこそ安全に目的地に到達できるヴァアは、
宇宙に浮かぶ母なる地球そのものなのだ、
だから、わたしはみんなに何度も言う、ヴァアでの航海にはチャレンジ精神や冒険心や競争心はいっさい無用だと、
一番必要なのはアロハ(愛)なんだと、
わたしは最近になって、ようやくわかってきたことがある、
おそらく、ヒロシマ・ナガサキの愛と祈りの航海 " E hoe pu me ke aloha " を通してハッキリと気付いたことなのかもしれない、
海は、
すべての亡くなった命が精霊となり漂い今も息づく場所なのだ、
太平洋戦争で亡くなり遺骨がみつからない海に沈んだ百万とも言われる戦死者の柱だけでなく、津波や海難事故だけでなく、地球上で失われたすべての命、それこそ母体にいながら世にでることなく亡くなった命も、早産で亡くなった小さな命も、、、すべての命、生きとし生けるもの地球上で失われた命が精霊となり海に漂っているのだ、
土に還った死者の魂は、天にのぼり、そして雨となり、大地を潤し、川や地下水となり海に流れて行き、そしてまた蒸発して雲となり雨になり海に流れていく、その循環を何度も何度も繰り返す、そして精霊は海に漂う時間が長くなり、最後は海に帰っていく、
その”水”は地球上から消えてなくなることは永遠にないのだ、
だから亡くなった愛する人の精霊を感じたいなら海に触れるといい、そして愛してる、ありがとう、と伝えるといい、かならずあなたの念は通じるはずだから、
いにしえの、大昔の、縄文時代や石器時代のころの海洋民族は、そのことをよくわかっていた、
いにしえの海洋民族は母なる地球だけでなく宇宙ともつながりながら、その ”愛のマナ” をエネルギー源にして海を漂うように、風や潮流を利用して漕いで旅をしていた、
だから行く先々で笑顔で受け入れられ、
太平洋中を旅をしていたのだ、
愛のマナで、この母なる地球のバランスを調えるために、
自分のためではなく、未来の子どもたちと、この母なる地球のために、
海をただよい漕いでいた、
今回のボヤージングはそんな思いもこめて、
Pili Aloha ボヤージングと命名した
Pili は一つ
Aloha は愛
一つの愛
ワンラブという名前がついたボヤージングだ
オハナみんなの心のかたすみに眠ったアロハ(愛)を引き出して一つにする、
海に漂う精霊をも集めて、
一つのおおきな愛にして、この母なる地球にアロハ(愛)を伝える、
未来の子どもたちにも時空をこえてとどけと願いながら
アロハをつたえる
その先にある
おおきく あおく まるいものが
ちいさき こどもたちが
まもられます ように
ただ、目に見える現実の世界は、わたしたちが願いながら漕ぎながらみる世界とあまりにも違いすぎる、
現在の海をとりまく人の営みは、あまりにも哀しすぎる、
『人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりにも碧いのです』
いつもこの遠藤周作のことばが口からでてくる、
でも、南伊豆の海を漕ぐと、いくらかその哀しさからわたしは開放される
車で運転して湘南エリアから伊豆に行く場合も、その景色の変化には気づくと思う
葉山、逗子、鎌倉、江ノ島、鵠沼、と夏の砂浜を占領し覆うように建ち並ぶ、あまりにも不自然で人間の欲望の塊でできた聖書に出てくるソドムとゴモラの町ような建物と群衆たちを見ないようにして通過する、
茅ヶ崎、平塚、大磯、小田原、などは言うにも及ばない、
熱海、伊東と、大規模な観光都市をつくるために破壊され造作され、コンクリートと鉄骨を無造作に貼りつけただけのようにしか見えない自然の砂浜も自然の磯や岩もほとんど残っていない人工的な海岸線を過ぎる、
目をそむけたくなるような悲惨でいたたまれない川奈の山を潰し切り裂いて自然を破壊して芝を張ったゴルフ場を過ぎ、火山噴火による溶岩でできた荒々しい断崖と岬と小さな入江が続く城ヶ崎あたりから、海岸線の美しさも、水の碧さも透明度も目を見張るほどにましてくる、
うしろにそびえる深い山と、深い海、海と山を隔てない自然の海岸線、そして外洋からの海流のせいなのだろう、
神々しくもそびえ立つ河津の天嶺山を仰ぎながら鬼ヶ崎を越えるとまた場のステージが上る感じでマナ(大自然の生命エネルギーとでもいうのかな)が膨らんでいく、もうここは人間の営みのエネルギーをマナのほうが覆いつくしているのだ、
山と海岸線が急峻すぎて人の手が入ることがないままに現在に残っているのだろう、美しい谷間と入江が無数に連続する険しい海岸線を進んでいく、
数万年前の縄文遺跡、大量の神津島産出の黒曜石がみつかった見高段間遺跡(みたかだんまいせき)がある入江の琴海神社前に小さな砂浜がかろうじて破壊と開発をまぬがれて残っているけども、このあたりから島々とつながる道筋というの潮流というのか、なにか特別に島々とつながるエネルギーの流れがつよまってくるのを感じる、
そして伊古奈比咩命(いこなめのみこと)神社、
通称白濱神社あたりから、また一つ場のエネルギーがかわるように感じる、
伊豆諸島の島々を司る神様がまつられているだけあって、ここで島々とつながりバランスを調えようとしている調和と愛のエネルギーにあふれているのだ、
かつて美しかった黒松の松並木もすべて切り倒して見るも無惨で俗世間的なエネルギーの白浜海水浴場は哀しいほどに残念なスポットだけど、どうにかその隣に寄り添うこの伊古奈比咩命のパワーと、自然がそのまま残る入江と浦、そして山の谷間から溢れ出るマナでかろうじてバランスがたもたれているのだろう、でも下田の繁華街といい、この白浜海水浴場といい、破滅と衰退の道を確実にすすんでいるのは免れないことだろう、
昭和の海水浴温泉ブームの金欲主義で白浜の自然が破壊されてみるも無惨な状態になったのと裏腹に、白浜ナンパ海水浴場のかげに隠れて、地元の住民の団結も幸いしたのか、大規模な開発を免れて美しいままに昔ながらの入江の美を残す外浦海岸とその周辺の浦や入江、
そしてさらに南に向かう、爪木崎を過ぎたところに南伊豆の海がある、
黒潮という地球上最長で最速の潮の流れが地球の自転の影響で目にはっきりと見える速度で波の壁をつくるような感じで流れている、
昔の人はこの深い藍色の美しく清らかな潮の流れを”黒瀬川”と畏敬の念をもって呼んでいた、それほどまでに周辺の海とは色も水温もまったく違うのだ
南伊豆の海が特別なのは、その黒潮のエネルギーだけではない、
険しく深く霊氣を発するような伊豆の山々のマナがいたるところから海に流れでている、そして富士山の雪解け水が地下水となり海底から湧き出ている場所が無数にあるそうなのだ、
そして、これはわたしの勝手な思い込みなんだけど、
この場所は本州の先っぽにあたる外洋に飛び出した半島だ、そしてその先には今でも目視できる距離で伊豆諸島の火山島が南洋にむけて点在する、
さかのぼれば縄文時代はもっと寒冷化により数十メートルから百メートルも海が低かった(遠くにあった)いまよりもずいぶん陸地が広かった時期があったのだ、その時代は小笠原諸島まで、そしてその先のミクロネシアの島々、ポリネシア、それこそハワイ、そしてタヒチまで島伝いにカヌーで漕いでいける間隔で島々と陸地が点在していたということだ、その時代のことは海の民たちの記憶と意識に刻まれ、その後、温暖化が進み再び海が高くなってからも海の民の意識とDNAのなかに刻まれた記憶が残り、まったく見えない島や遠くの陸地も、そこにあると信じることができて海を渡っていたのだろう、そんな日本から南洋の島々、ポリネシアにつながる日本列島の玄関口の海域だからこそ、なんともいえない神秘的で霊的なマナやクプナの魂を感じるのかもしれない、
そんな様々な要因があるからこそ、南伊豆の海がもつマナ(大自然の生命エネルギー)が驚くほどちがうのだ、
だからこそ、少しでもより多くの海を漕いでわたる現代の人たちにはこのなんとも言えない南伊豆の海のマナを感じてほしいと心から思うのだ、