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さよならをもう一度

はじめに

クラシック音楽にまつわるいろんなマインドについて、脳改革講座THE GATEでの学びや、私自身の経験をもとに綴っています。

今回は、私のピアノ史上、トラウマ・呪縛となっていた出来事へのリベンジを通して気がついたことを綴ってみたいと思います。

まずは前段として、この記事内でのさよなら…、すなわち「別れの曲」に纏わるエピソードを語りたいと思います。

さよならをもう一度

私が長らく取り組めなかった曲、それはショパンの練習曲Op.10-3「別れの曲」です。

取り組むのを躊躇っていた最大の理由は、とある親戚の死を思い出すからでした。

言いたいことを思い切り言い合ったかと思えば、晴れた日にはお散歩に一緒に行ったり、雨の日には外に出られない鬱憤を二人で歌うことで晴らしたり。
お散歩では植物について教えてもらって、摘んできた蓬で一緒に蓬団子を作ったり。

私は音楽、彼女は絵と、二人とも芸術が好きで、ひとたびその世界にいくと周りの音が聞こえなくなるくらい没頭し、他のことが手につかなくなるくらいに集中するところも似ていました。

別れのリクエスト

そんな彼女が病気を患い、幾度の手術もむなしく、いよいよ余命が見えた時でした。

彼女の療養する病室に呼ばれ、「私のお葬式では『別れの曲』を弾いてね」と言われました。ショパン、それは彼女が好んでいた作曲家です。
彼女はピアノを習っていたわけでも、音楽に詳しいわけでもなかったのですが、わざとなのか天然なのか「チョピン」と呼び間違ったこともあり、その彼女が言ったんだから、余程思い入れがあったに違いありません。

しかし、私は恐怖に負けて断りました。
彼女のリクエストには応えてあげたいけれど、現在進行形で病気療養中の彼女に対して、死を連想する「別れの曲」なんて練習できるわけがないと思いました。死に向けて準備するなんて嫌でした。
だから、ピアノを弾くことは了承しましたが、曲目に関しては私の方で決めさせてと伝えました。

その数ヶ月後、彼女は亡くなりました。
その結果、何を弾いたのか、、今となっては思い出せません。
ただ、そのときの精一杯の決断、「別れの曲」を断ったことがよかったのかどうなのか、その後10年近く抱えたまま生きてきました。

「別れの曲」リベンジへ

亡くなった彼女からは遺言などもあり、私自身音楽やピアノとの向き合い、ショパンとの向き合いもあり、暫く保留にされていたのですが、最近ひょんなきっかけがあり、やっと封印を解いて挑戦することにしました。

まだ練習初日を終えたばかりでしたが、そこでの大きな気づきは、「過去の記憶フィルターの強烈さ」です。

今回挑戦すると決めた時、正直また恐怖に駆られました。
私が挑戦すると決めた期日まであまりに日数がなく、ショパン自体にも別のトラウマがあり、反射的に無理と思ってしまったのです。
でも、その一方で「怖いけどやった方がいい」という直感もありました。

過去の記憶フィルターの強烈さ

実際にスケジュールを立て、練習に取り組みました。
※練習へのマインド、スケジュールについては、過去記事にまとめていて、まさにこの通りに今回も進めています。

すると、得体の知れない、漠然とした大オバケが、実態のあるいくつかのハードルになったのです。
それも途方もないハードルではなく、効率的に集中して淡々とこなしていけば成立するだろうと冷静に考えられる、現実的なハードルに。

当初はただの出来事だったものが、自分自身の捉え方によってこんなにも姿を変えてしまう。
それによる機会損失がいかに手痛いものか。

もし親戚のオファー通りに「別れの曲」を弾いていたら、この機会損失はなく、もっと早く音楽と向き合えたかも知れません。
しかしオファー通りに弾かなかったから、THE GATEの講座を含め、たくさんの学びをして、この境地に達したのだとも言えます。

私は親戚のオファー通りに弾かなかったこと自体は後悔とは捉えていません。
ただ、もしも何か心に引っ掛かるものがあったのなら、ずっと蓋をしておくのではなく、向き合ってみて、書き換えてみても良いのではないかと。
そんなことを感じた次第です。


本日の一曲

本文中で取り上げた「別れの曲」。沁み渡る名演です。

もし亡くなった親戚が生きていたら、こんな演奏どう?ってシェアできたかも知れない。
綺麗だねって返してくれそうなのが目に浮かびます。

とにかく聴いてみてください。

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