雑記帳40:ウィットネス
先日のNHK「小さな旅」は、宮崎県の南端、都井岬の野生馬「岬馬」と、そこで働く若い女性スタッフの物語だった。女性は、動物関係の専門学校を卒業し、ケアや看護などについて学んできたし、そのような職場で働いていた時期もあったという。しかし、ふとしたきっかけで都井岬の野生馬を知り、強く惹かれ、遠く離れた宮崎までやってきたという。
観光地化されてはいるが、馬はあくまで野生であり、人の手が加えられることは一切ない。ケガをしていても手当てはできず、出産の時にも手を貸すことはできない。柵が壊れていれば補修をするが、馬には決して手を出さないのだ。女性はただ馬を見守り、声をかけ、様子を記録に残すだけ。
きっと、多くの人は手をだしたくなるはずだ。動物のケアの専門知識をもっていればなおさらではないだろうか。わかっていながら手を出さないというのはどんな気持ちだろう。
そうした時に、いくつかのことが浮かんできた。
その一、河合隼雄の有名な(?)言葉。
その二、先輩に教えてもらった本の一節。
その三、ウィットネスということ。
トラウマで有名なハーマンや医療人類学で知られるクラインマンがウィットネスという言葉を使っており、「目撃者」あるいは「証人」と訳されている。しかし、私にとって鮮やかなのは、対人関係精神分析のドンネル・スターンのいうウィットネスである。これは「立ち会うこと」「立会人」と訳されている。
このウィットネスが大切にするのは、すでにある隠された何かを見つけ出すことを目撃し、その事実を保証することというより、まだ知らない何かが関わり合いの場において立ち上がってくるという、創造的事態への参画である。
あの女性は、100頭のいる馬を一頭一頭識別して、個別な存在として認識していた。性格の違いや振る舞い方など、見事なまでに。
きっと、あの女性は、馬との間で何かに「立ち会って」いるのだ。それは第三者には容易にはわからない。
そしてあの女性を見ていると、私たちには、実は立ち会うことの「欲求」のようなものがはじめから備わっているのではないかと考えさせられる。それは退化しつつあるかもしれないが、そうであったとしても。(W)