心理臨床プラットフォームひろしま

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心理臨床プラットフォームひろしまは、基本を大切にしながらじっくりと心理臨床を学びたい仲間が集まり、自由に意見交換ができる場となることを目指しています。このブログはメンバーが共同で運営しています。

最近の記事

雑記帳49:暴力性

 10/20の心理臨床セミナーのレクチャーで「暴力性」ということがとりあげられた。以前のブログでも登場したことがある。筆者自身も時折使用する表現だ。  心理臨床はクライエントに対する支援だから、それが「暴力性」につながりうることを考えると平穏な気持ちではいられない。  でも、それはとても身近なことでもある。   ===  最初に「暴力」という言葉に出会った明確な記憶は、レヴィナスだと思う。なかなかショッキングな体験だった。  レヴィナスは自らの枠組みに吸収する形で他者を理

    • 雑記帳48:原点(心理臨床セミナー雑感)

       第三回の心理臨床セミナー2024(2024.10.20)に参加した。    午前は小松貴弘先生(神戸松蔭女子学院大学)によるレクチャー「心理療法の基本に立ち返る〜私たちは何に取り組んでいるのだろうか〜」であった。  〈言葉〉〈理論〉〈身体〉〈関係〉〈経験〉という5つの切り口から心理療法の基本が解きほぐされていった。それら5本の柱によって造られる建物に心理療法の「基本」が宿るのである。  レクチャーでは、この5つについて、具体的な手続きあるいは技法としては語られなかった。初

      • 雑記帳47:弓道とアーチェリー

         細かな経緯は忘れてしまったけれど、ある時、調べ物をしていたら、弓道のことにたどり着いた。なお、当方、弓道をしたことは一度もない。    オリンピックでアーチェリーを見ることがあるが、アーチェリーは、的の中心に近いほど得点が高く、いかに中心を射るかが問われる。だから、アーチェリーの弓には照準器がついていて、それを使って的の中心にねらいを定めるのである。    弓道も的にあてる競技だが、面白いのは、的の中心だろうが端っこだろうが、当たれば同じということだ。照準器もついていない。

        • 日本心理臨床学会第43回大会自主シンポジウム「心理臨床のコアをつかむ」を終えて

           2024年9月23日,心理臨床学会第43回大会で,自主シンポジウム「心理臨床のコアをつかむ―そのために私たちに必要なことは何か―」を開催しました。登壇者それぞれが,ご自身の経験から出ることばで,心理臨床について語っていただきました。非常に多くの方々にもご参加いただき,嬉しく思います。  時間が少し空いてしまいましたが,司会者として参加した雑感をここに残させていただきます。  まず,最初の話題提供者の石塚先生からは,今まさに心理臨床の現場に飛び込んだその身から,率直な不安

          雑記帳46:アニミズム

          ある雑誌に、アニミズムに関する論考があった。  アニミズムとは、石や木など、すべてのものに生命や魂や霊魂(anima)が宿っているという信念、あるいは思想・信仰のことである。  アニミズムの概念は、大抵、発達心理学の授業で習う。  まず、幼稚園くらいの時期にはアニミズムが普通に認められる。当時の自分を思い出しても、向こうの世界につながるトンネルがぱっかり開いていて、その先には不可知な何かが蠢いていそうな、そんな怖さがあった。すると、天井の板の節が眼のように思えてきて恐ろし

          雑記帳45:時間

           ある心理職の人から、こんな言葉をきいた。「自分の考えや必要なことを言うときは5分以内にまとめること。」 職場ではそのようなコミュニケーションを心がけるべきだ、という話である。    確かに、周りの人にしてみれば、だらだらとまとまりのない話をされるのは迷惑だろうし、時間の無駄かもしれない。忙しい職場ほどそうだろう。話す側にしてみても、自分が何を考えているのか、今ここで何を伝える必要があるのかについて、時間をかけて整理し、まとめてみることはとても大切なことだ。  でも、どうし

          雑記帳44:あらためて「聞く」(心理臨床セミナー雑感)

           心理臨床セミナー2024、第二回(2024.7.28.)に参加した。    前半は、一丸藤太郎先生によるレクチャー「スーパービジョンについて」であった。その中では、まとまった時間、一丸先生のスーパーバイジーの方がスーパビジョンを受けた経験を率直に語る機会が設けられた。    スーパーバイジーはきわめて真摯な方で、全身でクライエントの言葉に耳を傾けつつ、またその結果として様々に押し寄せる「わからなさ」に対してわかったふりをせず、何度も両手で掬っては、自分の言葉で象ろうとし続け

          雑記帳44:あらためて「聞く」(心理臨床セミナー雑感)

          気まぐれな断想 #39

           YouTubeで、毎年全国規模で実施されている合唱コンクールで自由曲を歌う、ある中学校の動画を見た。その曲としては通常以上にゆったりとしたテンポで奏でられるピアノ伴奏に導かれて混声合唱で歌われるその演奏に、深く心を打たれた。技術面では、注文がつけられる余地はまだまだあるのだろう。しかし、一人ひとりが、仲間の声に聴き入りつつ、自分の声に聴き入りつつ、そのようにして歌う声が、響きを生み出し、それが静かなうねりとなって、空間に広がり、時間を流れていく、その約4分間の動画に、私は感

          雑記帳43:可視化・視覚化

           「見える化」とか「可視化」という言葉は、トヨタ自動車が使い始めたと聞いたことがある。業務の進捗や実績をいつでも目に見えるようにすることで、トラブル防止や業務改善につながるらしい。警察や検察の取り調べも密室で行うのではなく、可視化することによって強要や虚偽の自白を防ぎやすくなる。    五感の中で視覚が一番優位だとすれば、可視化によって視覚に訴えれば説得力やインパクトを強めることにもなるだろう。数字嫌いで要領が悪い私にとっては、記号(テキストや数字)をただ羅列されるよりも、図

          雑記帳42:ぎこちなさ、愚直さ(心理臨床セミナー雑感)

           今年度の心理臨床セミナー2024、第一回(2024.5.26.)が行われた。  前半は一丸藤太郎先生によるレクチャー「心理臨床を学ぶ4つの領域」であった。先生がどのような学びを重ねてこられたかが写真と共に示され、スーパービジョンや分析体験についても話があった。ニューヨークのホワイト研究所時代は臨床一色で、とても濃密だったことがよくわかった。私たちは今、初学者や若手の心理臨床家にどれほどの体験を提供できているのか、心もとなく感じられた。  そして、話題は「言葉」の問題に収斂

          雑記帳42:ぎこちなさ、愚直さ(心理臨床セミナー雑感)

          雑記帳41:システムから個へ

           連休に「チッソは私であった」を読んだ。しばしば引き合いに出されていたので、ずっと気になっていた。  私にとってこの本は、直射日光のような強いインパクトをもつものというより、これほどまでに当事者性を突き詰めてきた人がそこにいるということに気づいた時、それが月の光のように、私の当事者性を照らし出そうとしてどこまでも逃さない、そんな静かな迫力をもつものだった。    著者の緒方正人は水俣病被害の当事者としてチッソや国を相手に訴訟等の運動を率いた人で、逮捕されても運動に身を投じて

          雑記帳40:ウィットネス

           先日のNHK「小さな旅」は、宮崎県の南端、都井岬の野生馬「岬馬」と、そこで働く若い女性スタッフの物語だった。女性は、動物関係の専門学校を卒業し、ケアや看護などについて学んできたし、そのような職場で働いていた時期もあったという。しかし、ふとしたきっかけで都井岬の野生馬を知り、強く惹かれ、遠く離れた宮崎までやってきたという。  観光地化されてはいるが、馬はあくまで野生であり、人の手が加えられることは一切ない。ケガをしていても手当てはできず、出産の時にも手を貸すことはできない。

          雑記帳39:呼ぶモード

           「呼ぶ」とは、声をだして名前を言ったり、こちらに来させることである。そして、それはさまざまな言葉と組み合わされることで、意味の広がりをみせる。    呼び水とは「ある物事をひきおこすきっかけ」のことである。たとえば、「彼の盗塁が逆転勝利の呼び水となった」というように。しかし、そもそもの意味は「ポンプの水が出ないとき、またはポンプで揚水するとき、水を導くために外部から入れてポンプ胴内に満たす水」のことである(weblioより)。  ポンプの下に水が来ているだけではダメで、胴

          雑記帳38:「言語化」というけれど

           「言語化」ということをよく耳にする。特に心理支援の目的・方針として「クライエントに言語化を促す」というふうに、わりと気軽に言われている気がする。    おそらく「言語化」が何らかのよい効果をもたらすというイメージがあるのだと思う。もっとも素朴なところでは「心を開く」というやつ・・・閉ざされた心の扉は、「言語化」によって開かれるという信念。あるいは、扉の奥に、誰にも語られなかった思いが鬱積すると身体症状(身体化)や問題行動(行動化)を引き起こすから、思いを「言語化」すべきとい

          雑記帳38:「言語化」というけれど

          雑記帳37:二つの想定外

           テレビでは、東日本大震災から13年ということでたくさんの特集が組まれている。    ある報道番組では、かつてある町に原発を誘致しようとして推進派や電力会社がばら撒いたチラシが映し出された。そこには「津波対策は万全」という文字が踊り、原発を誘致すれば過疎にも歯止めがかかるしレジャー客も増えるとアピールされていた。また、福島で原発を誘致した町はすでにその恩恵を受けている、とも。  その後、原発事故によって今も福島を離れて避難生活を余儀なくされている女性のインタビユーがあった。立

          気まぐれな断想 #38

           今回はだらだらと長くなってしまいました(7000字超え)。話の流れも、くねくねしていますので(たぶん書いた私自身、何度か道を見失っています)、もし読んでみようと思われる方がいらっしゃったら、時間に(気持ちにも?)余裕のある時にどうぞ。  最近参加したある研修会を通じて、それを終えてから、つらつらと考えていることを書いてみたい。  このブログで繰り返し書いていることだが、心理臨床の場でクライエントの話を聞くことは、とても難しいことだ。しかし、けっして少なくない人が、これも