【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - アレオーンの謎」#2
研究区画へ向かう通路を抜けると、適正な温度湿度表示が並ぶ中、かすかな張り詰めが空気中に漂っているような気がした。ミラ・カザレフは足を止め、アークワン(Arc-One)を起動する。先進的な量子演算プロセッサを内蔵したこのデバイスは、コロニー内での解析や作業支援になくてはならない存在だ。
アークワンのスクリーンにコロニー内部マップが映し出される。研究区画はもうすぐだが、現在地アイコンが一瞬ちらつく。数秒後には正常に戻るが、こうした微細な異常が続くのが気にかかる。
「またか…」とミラは小さく呟く。単独では取るに足らないラグや誤差だが、今まで何度も、通信や計器類で似たような現象を目にしている。
コロニー・アレオーンは、本来こうした些細なノイズすら最小限に抑えられる高度な制御環境だ。重力回転や空気循環の安定、磁気圏干渉の想定内制御。すべてが計画的に運用されているはず。しかし、最近は確実に「計画外」の違和感が積み重なりつつある。
アークワンを通じて中枢AIクラウディアに再度アクセスを試みようかと考えるが、先ほどの曖昧な応答を思い出して尻込みする。結局、物理的に研究区画へ赴き、現場の記録や専門家に直接聞く方が手っ取り早いかもしれない。
曲がり角を抜けると、研究区画入り口の示すパネルがある。いつもと同じはずの光量、同じはずの色調なのに、どこか薄暗く見える。それが物理的異常なのか、心理的な感覚なのかは判別しづらい。ミラは首をひねるが、今は前進あるのみ。
研究区画に入るための扉で、アークワンを認証にかざす。1秒ほどの遅延で扉がスライドする。軽微だが、やはり気になる。内部は整然とした観測コンソール、分析機材、そして普段なら数名のスタッフが常駐しているはずだが、見当たらない。
「おかしいな…」
ミラはアークワンで常駐スタッフ名簿を呼び出す。表示される3名の名はあるが、どこへ行ったのかログに曖昧な空白がある。
コンソールの前に立ち、基本データを呼び出してみる。通信履歴や観測ログ、ドローン状態、周辺環境記録――すべてはここで参照可能なはずだ。画面は起動するが、ある時刻帯の記録に細かな抜けがある。短い時間、数秒から十数秒単位でデータが欠損し、再表示を要求するとまた微妙に値が変わる。
まるで何かがデータを書き換えているかのようだ。だが、そんな意図が誰にある?エクソペアの仕業?まだ断定は早い。少なくとも自然発生的なノイズにしては整合性がない。
エクソペア――宇宙を漂う謎の存在や現象。アレオーンが関わる未確認エクソペア報告は過去にいくつかあったが、今回のような連続的で微細な書き換えは聞いたことがない。
背後で軽い足音が響いた。振り返ると、スンという分析官が入ってくる。彼は青ざめた顔で、「ミラ、来てたんだね」と弱々しい挨拶をした。
「ここに誰もいないから心配になった。何が起きてるの?」ミラが問いかけると、スンは沈んだ表情でコンソールを示す。
「データが…変なんだ。観測値が一定周期で微妙に入れ替わってる感じがする。さっき計測した値が、数分後には異なる値にすり替わっていて、バックアップを見ても同じ状態なんだ」
ミラは眉を上げる。「バックアップまで狂ってるの?単純な故障じゃなさそうね。」
「カーター博士がいたんだけど、『自分の記憶を確かめる必要がある』とか言って出ていってしまった。クラウディアAIも曖昧な応答しか返さなくて、まるで全体的に情報が滑っている感じがする…」スンは不安げに視線を落とす。
この「情報が滑っている」感覚が厄介だ。ミラも先ほど、計測ログに微妙な「欠損」や「ラグ」を感じたばかりだ。
「取りあえず、他のセンサーや周辺区画のログと突き合わせてみるわ。二次的な記録源を探せば、何かヒントがあるかも」ミラは励ますように言う。スンは小さく頷く。
ミラはもう一度アークワンを確認。周辺モジュールステータスは正常表示だが、先ほどの経験上、この正常がいつまでも正常とは限らない。
「原因を探そう。博士が戻れば何か手掛かりを得られるかもしれないし、他にも比較データが残っている場所を探すしかない」そう言い置いて、ミラは再び廊下へ出る。スンを一人にしていいのか戸惑うが、彼は分析官として状況を把握しようとしているし、この区画なら大きな危険は少なそうだ。
通路に出ると、先ほど以上に静かで、わずかな足音や機器動作音がやけに生々しい。微弱な振動が足裏をかすめ、コロニー内で何かが蠢いているような錯覚を招く。
ミラは決断した。この状態ではAIへの頼りは限界がある。人為的な干渉か、未知の存在か。いずれにせよ、独自に観測ログを集め、相互照合するしかない。
彼女はアークワンを頼りに別の観測モジュールへ向かうつもりだ。そちらには独立したセンサー系統があり、もし同様の現象が起きているならパターンを掴めるだろう。
通路で一瞬、暗がりに人影が過ったように見えるが、次の瞬間には消えている。焦って探しても何もない。気のせいかもしれない。
ミラは深呼吸する。いまは無理に仮説を立てず、事実を積み重ねる段階だ。どんなに微細な変化であれ、集めた情報が後で役立つかもしれない。探査官としての本領はこうした場面でこそ発揮される。未知の問題を前に、怯まず、冷静に判断する。
歩を進めるたび、胸中の不安は増すが、同時に彼女の意志は強くなる。原因が判明すれば、打開策は必ずある。エクソペアの関与なら、その特徴を掴めば対話も無力化も不可能ではない。これまでの経験がそう教えている。
とにかく、あと少し情報を集めよう。ミラはアークワンの表示を再チェックし、次のモジュールへと向かう道筋を頭に描く。
薄暗い廊下、静寂を裂くような軽い足音。それが彼女の決意を確かめる鼓動のようにも感じられた。