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【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - アレオーンの謎」#14

第5章「微かな通路」

 静寂に包まれた研究区画の一室で、ミラ・カザレフはホログラフに浮かぶデータ列を見つめていた。薄暗い部屋には複数のコンソールが並び、レイニーやエリオといった技術者がそれぞれの端末で解析を進めている。先ほどミラとスンが旧コンパートメントから回収したメモリユニットの内容は、暗号化ファイルを解くための新たな手掛かりをもたらしつつあった。

 「ユニット内のデータを暗号化ファイルに照合すると、観測条件下でのみ意味をなすセクションが複数浮上しています」エリオが端末画面を指しながら話す。声は低く、淡々としているが、その背後にある緊張感が伝わってくる。コロニー内部には未だ不穏な気配が消えず、ニューロ・ラティスと呼ばれるエクソペアが何らかの意図をもって記憶や認識を揺るがしている可能性が色濃い。

 レイニーが眉をひそめ、隣のコンソールで文字列をスクロール。「観測条件下っていうのが厄介ね。記憶や認識が改変された状態でしか意味をなさないデータがあるなんて、想定外としか言いようがないわ。まるで正気と幻覚の狭間に立たされて初めて解読できる鍵があるみたい」

 スンが腕組みしながらデータシートを確認する。「つまり、ニューロ・ラティスの干渉下で初めて意味を成す情報ってことか。もし干渉を受けていない通常状態で読もうとしても、ただのノイズに見える。博士はそんな複雑な仕掛けを残していたってことかな」

 ミラは軽く息を吸い、視線をホログラフから外して部屋を見回した。長机の上には複数のメモパッドやツールが整然と置かれ、解析班が懸命に働く気配が感じられる。これまでの努力が徐々に結実し、謎に迫りつつあるとはいえ、ここから先は更なる困難が待っているだろう。記憶干渉が必要な環境で正確な情報を得るには、誰かがその干渉下でも冷静にデータを読む必要がある。

 その点で、ミラは胸中で微かな鼓動を感じていた。ごく最近、ラティス干渉下でほかの人々より一瞬軽い負荷を感じるような、奇妙な感覚を得たことがある。それが本当に自分の「強み」になりうるのか、単なる錯覚なのか、まだ判断できない。だが今後、データ解読に干渉状態が必須となるならば、この曖昧な感覚がミラに何らかのアドバンテージを与える可能性は否定できない。

 「条件再現が必要ね」レイニーがメモを取りながら言う。「ラティスの干渉を誘発する、あるいは干渉が強い場所でデータを読み込む試行が必要になるかも」
 エリオは不安げに視線を落とす。「でもどうやって?わざわざ幻覚を誘発しなきゃ読めないなんて、正気の沙汰じゃない。危険だし、不安定極まりない方法だ」

 スンが肩をすくめる。「現状、他に手はないんだ。ラティスが観測行為を操作し、記憶を改変する以上、その影響下でなければ見えない情報があるのかもしれない。博士がわざわざそういう仕掛けを残した理由を考えると、エクソペアとの対話、もしくは対抗策を示す最後の手段だったのかも」

 ミラは黙って聞きながら、静かに口を開く。「今すぐ実践は無理よ。まずは干渉が強い環境を特定する必要があるわ。外部観測データや中枢AIログ、過去の記録を洗い直して、どこで干渉が顕著になるか。その上で、段階的に安全を確保しながら試す方法を考えましょう」

 その提案に、レイニーとエリオは同時に小さく頷く。焦れば混乱を招き、最悪の場合コロニー内部がパニックに陥るかもしれない。ミラの落ち着いた判断が、場にわずかな安定感をもたらしているのが感じられる。

 少し休憩を挟んだ後、ミラはアークワンを操作し、外部観測データへのアクセス要求を送る。以前外部探索隊が検討されたとき、放射線量や磁気嵐、微小な粒子分布の変動などが報告されていたはずだ。それらを解析し、干渉が強まりそうな条件を抽出することができるかもしれない。

 「外部環境、例えば強い磁気変動があるとき、内部の記録がより歪みやすくなる傾向は?」ミラがそう問いかけると、スンが手元でログ検索を始める。
 「少し時間がかかるけど、過去の異常発生日時と外部磁気状況を照合すれば何らかの相関が見えるかもしれないね」

 レイニーは顔を上げ、「もし特定の条件下でラティス干渉が強まるなら、そのタイミングで例の暗号解読を試すことができるかも。問題は、その際、読み手が正常な判断力を保てるかどうか……」と言いかけて黙る。

 ミラは心中で苦い笑みを浮かべる。正気を保つのが難しいなら、ほんの少しでも干渉を軽く感じられる自分が鍵になるかもしれない。だが、まだ何も言わない。確証がなければ期待をかけさせてしまうだけだ。
 「まずは干渉条件を特定してシミュレーションを立ててみましょう。複数の安全策を用意して、一気に突入する必要はないわ」と穏やかに提案する。仲間たちは賛成するように頷く。

 こうして分析班は、外部因子と内部干渉の相関解析を始める。ミラは少し離れたコンソールに移り、過去ログを検索する。微妙なタイミングで起きた幻聴報告や、影を目撃した報告、データ書き換えが多発した時間帯を集約すれば、干渉が強まる条件を推定可能だろう。

 部屋の空気には微妙な緊張が漂うが、パニックにはなっていない。皆が目的を共有し、それぞれの役割を全うしている。こうした雰囲気の中、ミラは静かにアークワンの表示を切り替えながら思案する。いずれ、幻覚や記憶干渉が強まる環境をわざと作り出し、その中で暗号を読まなければならない日が来るかもしれない。そのとき、自分がラティス干渉をある程度いなす、あるいは逆手に取れる力を発揮できれば、危険を軽減できるだろうか。

 「ミラ、こっちを見てくれ」スンが声をかける。彼の端末には、いくつかの日時がハイライトされている。「過去に記憶齟齬や影目撃報告が集中した時間帯を調べると、外部で微妙な磁気乱流が発生していたケースが数回ある。もしかすると、そういう外部要因がラティス干渉を増幅するのかも」
 ミラは興味深く画面を覗き込む。「なるほど。つまり、外部条件と内部干渉に相関があるとすれば、その時間帯を再現することで、干渉が強まる状態を意図的に引き出せるかもしれない」

 レイニーがすかさず補足する。「もちろん、簡単じゃないわ。自然発生する現象を意図的に再現するなんて難しいし、仮に再現できても危険。でも、ヒントにはなる。少なくとも私たちがいつ、どんな状況で干渉が最大化するかを予想すれば、そのタイミングで暗号解読を試せるかもしれない」

 ミラは軽く目を伏せる。「確かに危険ね。でも他に選択肢がない以上、何らかのリスクを取らなければ前に進めない。博士がこんな複雑な条件付きで情報を隠したのは、ラティスとの対話や対抗策が非常にデリケートな行為であることを示しているのかも」

 部屋の空気が重くなるが、誰も反論しない。全員が理解しているのだ。平坦な道は存在しない。この危機的状況で求められるのは、未知への挑戦であり、そのためにはある程度のリスクを受け入れる必要がある。

 エリオが口元を引き結びながら、端末操作を続ける。「じゃあ、時間帯や磁気データをさらに掘り下げるよ。ある特定の外部観測条件下で幻影報告が急増してたら、その条件を再現できないか考えてみる」
 レイニーもメモを取りつつ「私はメモリユニット内の記号列をさらに分析して、どの程度の干渉があればパターンが意味を持つか推測を試みるわ」と宣言する。

 ミラは二人に向けて短く頷く。「お願いね。私は少し外へ出て他部署の動向も確認してくる。何か問題があればすぐ戻るから」
 部屋を出ると、メイン通路には相変わらず微かなざわめきが残るが、騒ぎは小康状態を保っていた。ミラはアークワンを見下ろし、必要な時にすぐ補助光を点けたり、ログを参照したりできることに、今さらながら感謝する。初期段階なら、この歩みさえも煩わしい制約に阻まれていただろう。

 彼女は心中で気合を入れ直す。干渉下でのみ意味を持つデータを読むには、自分がラティスの影響をある程度受容し、観測状態をわざと不安定にする必要があるかもしれない。危険な行為だが、物語を紐解くためには避けて通れない道だ。
 いずれ、仲間たちにも話すときが来るだろう。自分が干渉の中でわずかな優位を感じること、ラティスに一歩入り込む余地があることを。ただ、今はまだ迷いがある。確信が持てない限り、不用意に秘密を明かせない。

 再び解析拠点へ戻ると、皆がそれぞれのタスクに没頭している。誰も休む気配はないが、押しつぶされる雰囲気もない。微かな前進が、僅かな余裕を生んでいるのだ。
 「こちらも外部報告を数件確認したけど、思ったより雑多だわ」ミラは軽く報告する。「すぐに有用な相関が見つかるとは限らないけど、粘り強く探りましょう」

 スンが「もちろん」と答える。その口調には、押し付けがましさも苛立ちもない。全員が理解している。長い道のりだが、今は手掛かりがある。行き先はぼんやりしているが、立ち止まる理由はない。

 ミラは小さく笑みを浮かべて仲間たちを眺める。人々が不安を抱きながらも、手探りで糸を紡いでいる様は、まるで闇の中で微かな光を頼りに迷路を進むようだ。その光はまだ弱いが、確かに存在する。ニューロ・ラティスの謎と対話への道は、そう簡単に拓けないかもしれないが、少なくとも無為に時間が過ぎているわけではない。

 微かな通路が見えかけている——その思いが、ミラの心に淡い励ましを与える。
 この先、さらに過酷な条件や実験が必要になったとしても、一歩ずつ確かな土台を築いていけば、いずれラティスが秘める真相に辿り着けると信じるしかない。

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