【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - アレオーンの謎」#18
ミラ・カザレフが短い休息から戻ったとき、研究区画の室内には淡い疲労感と、微かな達成感が同居しているように見えた。つい先ほどまでは激しいラティス干渉の只中で、仲間たちが苦痛を訴え、記憶や認識のずれに苦しみながらも読み取りを成功させた場面だった。今はその混乱が小康状態へ移り、複数の端末に保存されたデータやログの照合作業が始まっている。
部屋には、実験に参加していたメンバーのうち何人かが椅子に座り込み、冷たい飲み物やタオルを手にして荒い息を整えていた。壁を背にしゃがみ込んでいるエリオは、先ほどの強烈な頭痛と吐き気にまだ苦しそうな表情を浮かべている。一方、レイニーは少し横になっていたが、ようやく起き上がって水を口に含んでいる。「落ち着いた?」ミラが声をかけると、レイニーは小さく頷いた。「ええ…少しはマシ。でも、さっきまで何が本物の記憶か分からなくなる瞬間があって怖かった」
「そうだな、俺もひどくフラついて、机につかまらないと立っていられなかった」とエリオが苦笑する。その語り口からも、今回の干渉が“そこそこ深刻なレベル”だったことがうかがえる。以前までは単なる頭痛や視界の歪み程度で収まっていたメンバーも、今回は明確に幻覚や記憶の混濁を感じたらしい。
ミラは静かに視線を落とし、心中で複雑な感情を噛みしめる。干渉が全員に及び、レイニーやエリオだけでなくサポートスタッフの一部にも軽い記憶の飛びや感覚の混乱が生じた事実は、彼らが身を削って実験に協力してくれた証でもある。一方で、ミラ自身は吐き気と頭痛こそあったが、それほど深刻な混乱に陥らず読み上げを完走できた。
“なぜ私だけが持ちこたえられるのか”という疑問が頭をもたげるが、それを今ここで言及したら、みんなをかえって混乱させるだろう。彼女は軽くスンを探すように目線を巡らせた。
スンは少し離れた端末の前で、モニタリング結果をまとめながら、仲間が読み上げた断片データを検証している最中だった。「スン、進捗は?」と呼びかけると、彼は振り向きもせず低い声で答える。「端末の比較ツールが動いてる。読み取りログとバックアップをつき合わせてるけど、今のところ大きな齟齬はない。すごいよミラ、ほぼ正確に暗号セクションを口に出してたってことだ。少なくとも、この断片は改変されずに記録できたみたいだね」
その言葉に、レイニーが横から「でも、私やエリオは途中でギブアップしてたし、サポートの何人かも似た感じ。やっぱりミラだけが深い干渉に耐えられたってこと?」と疑問を投げる。そこに込められた感情は、尊敬とも警戒とも取れる曖昧な色だ。
ミラは一瞬言葉に詰まる。「どうなのかしら。私も意識が飛びそうになったけど、なんとか踏みとどまれただけ。ほかの人たちも、むしろ私よりきつい症状が出たのかもしれない…」
エリオが頭を振り、「それでも最後まで読み続けてたのはミラだけだよ。俺には無理だった。幻覚か何か知らないけど、画面がぐねぐね歪んで見えて、何が文字かすら分からなくなってさ」と力なく笑う。彼の目には疲労の奥に悔しさも滲んでいるようだ。
「私も似たようなもん。読もうとするどころか、自分の名前すら怪しかったわ」とレイニーが吐き捨てるように言う。そこには嫉妬や不満というより、ただ純粋に「理不尽な差」を感じる戸惑いがある。
それでも誰もミラを責めたり疑問をぶつけたりはしない。今はただ、全員が大事な実験をやり遂げた連帯感と、深い疲労に包まれているからだ。ミラもその空気を壊したくない。今回の結果は大きな一歩だし、ラティス干渉が全員に降りかかって混乱を引き起こしたことを考えれば、無事に読み取りを終えたのは幸運としか言いようがない。
「よし、これで暗号セクションの一部は解けたわけだから、次に何が必要かを考えましょう」とミラは声を張り上げ、仕切り直すように言った。スンが背伸びをして椅子を回転させる。「そうだね。まずはこの断片がどんな情報なのか分析しなきゃ。博士が仕掛けた構造のほんの一部だろうし、これだけじゃまだ全体像は見えないだろうね」
部屋の反対側では、サポートスタッフがレイニーとエリオの体調を簡単に診断している。アメや水を差し出し、「少し話せるようになったら記憶の飛びがないか確認しましょう」と促していた。2人とも、断片的に“時間が消えた”ような錯覚を感じているらしい。
実際、実験中に何分間かの記憶が曖昧になり、結果として作業を離脱したのだという。本人たちは「ストレスだろう」「過労かな」と一応納得しているが、ラティス干渉が深く及んだ可能性は否定できない。今後、こうした症状が他のスタッフに波及するおそれもある。
「となると、次の干渉発生時に誰を読み手にするのか、またしてもミラになるのかな…?」サポートの一人が、隣で端末を見ながら呟く。彼の口調は、ほんの少しの不安と期待が混じった独特のものだ。
ミラは短く呼吸を整え、「それはまだ分からないわ。私も今回ギリギリだったし、危険すぎるわよ」と答える。だが、心中では自分が再挑戦するのが最も現実的な選択ではないかと感じている。この場において、干渉下の作業をこなせたのは結局自分だけだからだ。
「とりあえずは解析を進めて、その断片がどんな鍵になるか確かめましょう。このまま休むわけにもいかないけど、皆の体調を考慮しながら段階的に動いたほうがいいわね」ミラは静かにまとめるように言う。スンも同意し、「うん、データを仕分けして僕が仮解析を走らせるから、ミラは少し身体を休めてもいいよ。結構つらそうだったし」と勧める。
ミラは微笑みを返し、「ありがとう、でも私も一度このデータを直接確認したい。干渉下で見えた文字列と、実際に録音された内容がどの程度一致するのかを自分で確かめたくて」と譲らない。ほんのわずかな違和感があれば、それが重要な手がかりになると直感していた。
スンは苦笑しつつ、「わかった、じゃあ一緒にやろう。ムリはしないでね」と言い、2人で端末を覗き込む。そこには先ほどの読み上げ音声と、自動変換したテキストが並んでいる。幾分か不自然な符号列が混じるが、驚くほど整然とした文章構造を持ち始めているのが分かった。「博士の暗号って、やっぱり普通のデジタル符号化だけじゃない感じがするわね」とミラは思わず呟く。
レイニーやエリオは身体を支えられながら椅子に座り、「大丈夫、少し落ち着いたら戻るから」と言って休息を取っている。先ほどの激しい頭痛や視界歪みを振り返る2人の表情は、まだ青ざめていたが、物語の核心に迫る意義ある実験だったと理解し、悔しさとほのかな満足感を滲ませているようだった。
ミラはそんな仲間たちを見て、申し訳なさと感謝の入り混じった気持ちを抱く。確かに彼らも干渉に晒され、吐き気や記憶ズレに苦しんだ。その上で読み取り支援を最後まで続けてくれたからこそ、今回の部分解読が成功したと言える。
やがて、スンが端末操作の手を止め、「どうやらこれ、暗号文の一部は文章らしき形をしているけど、翻訳しようにも単語が不自然すぎる。まるでリアルタイムに書き換わる辞書を手探りしてる感じ」と首を傾げる。
ミラは静かに同意する。「ラティス干渉が必要になる理由も、その辺りにあるのかも。通常の言語体系じゃ解釈できない“ゆらぎ”を含んだ情報、みたいな」
部屋の奥では、レイニーがサポートに手伝われながら席を立とうとしていた。表情はまだ少しつらそうだが、意地でも作業に戻るつもりらしい。エリオも肩を回しながら「まだ頭痛はするけど、大丈夫、手伝える」と苦笑する。こうした姿を見るにつけ、ミラは彼らが干渉を“受けていない”わけでは決してないと痛感する。むしろ、皆それぞれに深い苦しみを味わい、限界まで向き合っていたのだと。
「もう少し休んでてもいいのよ?」とミラが促すと、エリオは力なく首を振る。「いや、みんなで踏ん張らないと。折角ここまで成果を出したのに、俺だけ休んでたら後悔するから。さっきの頭痛も少し和らいだし」
レイニーも同じように、「そうよ、私だって雑用くらいならできるわ。干渉下で倒れたからって、ここで引いてたら次のステップで出遅れちゃう」と苦い笑みを見せる。2人ともいかに苦しくても最終的な目標——博士が残した暗号の全貌と、ラティスとの対処法を得る——を見据えて頑張るつもりのようだ。
こうして、実験後の後処理とデータ分析が再開する。ミラが暗号文の断片を眺めると、確かにいくつかの単語が人間の言語とは違う構造を持ちつつ、部分的に理解可能な要素が織り込まれているようだった。まるで異なる次元の論理と人間の言語が接合したかのような奇妙な印象を受ける。
もし今後、より多くのセクションを解読するには、今回の実験のような“干渉タイミングでの読み取り”を繰り返す必要がある。だがそれは、仲間たちへの大きな負担を意味するだろう。何度も頭痛や記憶ズレに苦しむ光景を見たくない、とミラは思う。
「干渉が強くなるたびに、今回みたいに皆がダメージを負うのは避けたいわね」ミラは端末に向き合いつつ、スンと声を合わせる。「そうだね…。安全策をどれだけ強化できるか、検討してみる価値がある。例えば空間的なシールドを使うとか、観測者を極力減らして同時被害を減らすとか、いろいろ考えられるはず」
レイニーが椅子にもたれ、「いずれにしても、みんなが少しずつ“干渉の影響は甚大”だと痛感したはずよ。これ以上無理すると本当に危険だわ」と息を吐いた。
こうして、干渉実験の後始末や得られた断片データの速報分析が始まる。一部のスタッフは頭痛や短期記憶飛びに悩まされながらも踏みとどまり、ミラをはじめとする中心メンバーが解析を指揮する形で夜が深けていく。
この段階で、アレオーンコロニー内では大々的なパニックは起こっていないが、既に特定の区画でも似たような記憶混乱や時間認識ズレが散発しているという報告が次々に入っていた。干渉が確実に全域に波及している以上、今回の実験成功を活かして抜本的な対策を練り上げねばならない。
ミラは皆の疲労した姿を見つめながら、強く決意を抱く。この先、博士が仕組んだ暗号の全貌に迫るには、より大きな干渉やリスクを伴うアクションが必要になるだろう。そのたびに仲間がダメージを負うのを黙って見過ごすわけにはいかない。自分に芽生えつつある「干渉への耐性」あるいは「逆手に取る力」をどう活かすべきかを、近いうちにきちんと向き合わなければ——そう自覚しながら、彼女はちらつく頭痛を振り払うように再び端末へ向かうのだった。