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【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - アレオーンの謎」#5

第2章 揺らぐ基盤

 アレオーンコロニーのメイン廊下を歩くミラ・カザレフは、その静寂がまるで不安定なガラスの床の上を歩いているかのような感覚をもたらすのを感じていた。わずかに前傾するような重心のズレ、軽微な遅延を伴うAI応答、記録データの微妙な書き換え。そのすべてがコロニーという密室社会に不吉な調子を奏でている。

 彼女は探査官として、未知を解明することを生業としている。しかし今回の事象は、これまで遭遇したトラブルとは性質が異なっていた。派手な爆発や急な酸素漏れといった分かりやすい危機はなく、代わりに日常の秩序が微細に歪められている。
 こうした内面的な崩れこそが、真に恐ろしい。人々が気づかぬうちに現実が書き換わる――もしそんなことが起きているとしたら?

 ミラは考えすぎないよう、意識的に息を整える。今は確固たる証拠がない。ただ怪しい兆候を積み重ねている段階だ。先ほど入手したメモリチップの解析は暗号化が強固で時間がかかりそうだし、カーター博士は相変わらず見つからない。
 「まずは足元を固めよう」彼女は自分に言い聞かせ、コロニー中枢付近へ向かう。そこには緊急ミーティングルームがあり、スンやレイニーらが一時的に集まっているはずだ。情報の断片を共有し、パニックを防ぐためにも、現状の認識を揃える必要がある。

 廊下を曲がった先で、数名のスタッフが小声で話し合っている姿が見える。その中にレイニーの姿を確認。ミラが近づくと、彼女たちはほっとしたような表情を見せた。
 「ミラ、来てくれたのね」レイニーが口を開く。「さっきからメインログが断続的にフリーズするの。クラウディアAIに問い合わせても、データ読込が曖昧な応答になる。皆不安がってるわ」

 ミラは頷く。「私も同じ状況に直面してる。カーター博士の居所も分からないし、データ改変らしき現象が各所で起きてる。このまま放置すれば、コロニーの運用全体に支障が出そうよ」
 スンが項垂れた様子で割り込む。「一部スタッフは既に錯乱気味だ。自分が何を記録したのか分からないと愚痴る人も出てきた。小さな誤差ばかりだから余計に不気味なんだ」

 この「小さな誤差」が人間の精神を蝕むとは、ミラも想定外だった。だが狭い宇宙施設では些細な揺らぎが心理的ストレスを倍増させる。
 「まずは落ち着こう」ミラは低い声で言う。「無秩序なデマが飛び交う前に、我々が集めた事実を整理しよう。私はいくつかのログを副次観測モジュールで比較して僅かな差分を発見した。少なくとも、これは偶発的な機器故障だけでは説明しにくい」

 レイニーが気になる表情を浮かべる。「偶然じゃない…何かの意思が関与している可能性があるわね。エクソペア、あるいは内部工作?どちらにせよ不気味」
 スンは唇を噛む。「カーター博士はいつも何か新奇な研究をしていたらしい。ニューロ…何とかいう言葉を聞いた気がするが、詳細は知らない。もし博士が知っているなら、早く見つけないと」

 ミラは軽く首を振る。「さっき博士の部屋をチェックしたけど、いなかった。ラボの裏を通って古い記録も覗いたけど、断片的な情報しか得られなかったわ。ただ、ラティスとかラティチュードとか…似た言葉があったような。記憶干渉を示唆するかもしれないと思ってる」

 記憶干渉――その言葉に、スタッフたちがわずかに顔色を変える。データ改変だけでなく、人間の記憶や認知まで揺さぶる存在がいるなら、これは単なる技術トラブルで片付かない。
 「とにかく、カーター博士を探す必要がある。あと、クラウディアAIの中枢にも誰か行ってみて。何が妨害してるのか確かめないと」ミラは指示を出す。スンが中枢ターミナルを確認する意志を示し、レイニーはセンサー担当と連絡を取ると応じた。

 皆が手分けして動く中、ミラは再びコロニー内部の動向を見極めるため廊下へ戻る。誰が裏で糸を引いているのか、あるいはエクソペアが人間社会に紛れ込むような形で干渉しているのか、まだ結論は出せない。

 人工的な重力が安定するフロアを通り、通信ターミナル付近を覗く。通信担当が焦りを帯びた表情でデータコンソールを叩いている。「外部への通信が微妙に途切れて、地球本部への報告が遅れている」らしい。これでは外部支援も呼びにくい。アレオーンは木星近傍という孤独な環境で、一時的とはいえ情報孤立しつつある。

 「一刻も早く原因解明をしないと…」ミラは小声で自分に言う。周囲に多くを話せないのは、下手な憶測で不安を煽りたくないから。探査官として、事実に基づく確固たる視点を示さなければならない。

 廊下を移動するたびに、端末の表示はわずかに遅れ、影が走るのを何度か目撃するが、相変わらず正体不明だ。人々の目つきが落ち着かず、誰もが「何かおかしい」と感じているのに、その「何か」に指をかけられないもどかしさ。

 ミラは次の行動として、セカンダリバックアップエリアへ足を運ぶことにした。そこには古いログが物理的媒体に残されている可能性がある。もし電子的改変が進行中なら、書き換えられにくい記録媒体を探すのが手だ。
 アークワンを見下ろし、微笑の代わりに決意を浮かべる。「見つける。この混乱を引き起こす原因が何であれ、絶対に突き止めてみせる」

 コロニーの構造は複雑だが、どこかに確かな真実が潜んでいるはずだ。小さな齟齬が積み重なり、不安の影が長く伸びる前に、その根を断たなければならない。

 全てがまだ序盤戦。ミラは歩みを止めず、薄暗い通路の先へと消える。背後には微かな囁きが残るが、それが人の声か、空調のフェイクサウンドか、あるいは幻覚かは分からない。彼女は振り返らず、ただ前へと進む。


アークワン(Arc-One)について

アークワン(Arc-One)は、主人公ミラ・カザレフが着用している先進的な腕装着型端末(ウェアラブルデバイス)です。コロニー内の調査・作業を支援する多機能ツールとして機能し、以下の特徴や役割を持っています。

  1. 高精度センサーと量子演算プロセッサ
    アークワンは量子レベルの演算能力を持つプロセッサを内蔵し、従来の電子機器を上回る高速・高精度なデータ処理が可能です。また、多様なセンサーを搭載しており、環境情報(温度、湿度、放射線レベル、磁気強度など)を即座に収集・解析できます。

  2. 多用途な情報支援ツール
    コロニー内部をマッピングして位置情報を表示したり、各種ログや記録データへのアクセスと検索、異常発生時の報告や分析を行えます。緊急時にはオーバーライドキーとして機能し、一部のドアや装置を強制的に開けるなど、セキュリティ面でも役立ちます。

  3. データ解析・比較機能
    ミラが発見した異常なログや書き換えられた可能性のあるデータは、アークワンを介して他の記録(特に物理媒体に保存された基準ログ)と比較することができます。これにより、微妙な差分や不正な改変の存在を明確にし、謎解きや原因究明に大きく貢献します。

  4. 柔軟な拡張性
    アークワンには拡張スロットや変換ユニットを接続でき、旧式の記録媒体や特殊なフォーマットのデータにも対応可能です。この拡張性が、コロニー内の多様な記録形式や過去ログとの比較を容易にします。

  5. コミュニケーションと補助AIとの連携
    コロニー管理AI「クラウディア」との連携を前提に設計されており、通常なら豊富な情報サポートを得られます。しかし、現在はコロニーで発生中の異常により、クラウディアからの応答が曖昧になる場面もあり、アークワン自体の機能発揮が局所的に制約される状況です。

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