![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168024943/rectangle_large_type_2_59fb4b4ec05d218c3a8629aacf51181f.jpeg?width=1200)
【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - アレオーンの謎」#19
研究区画の室内には、微かな痛みや混乱がそこかしこに漂っているものの、誰も退室しようとする気配はなかった。ラティス干渉が終了してからしばらく時間は経ったが、まだ頭痛や吐き気が完全に収まらず、ぼんやりとした脱力感を訴える者も多い。そんな中、ミラ・カザレフは端末の前に佇んで、先ほど読み取った暗号化ファイルの断片を改めて眺めていた。
椅子に腰掛けて息を整えるレイニーは、顔色は悪いものの粘り強く端末の画面を確認している。エリオも机にもたれつつ、痛みをこらえながらキー操作を続けていた。部屋には最低限の医療キットが持ち込まれ、スタッフの一人が軽い鎮痛剤や水分を配って回る。
「ありがと……」とエリオが小声で言って、水を口に含む。すぐ隣ではレイニーが小さく苦笑する。「体が軋むわね。でも、今回得られた情報は貴重だし、すぐ分析にかかりたい」
スンはモニターから視線を外さないまま、「そうだね。マッピングツールにかけてみたら、ミラが読み上げた文字列と以前の紋様データが部分的に対応しているみたいだ。どうやら博士が‘ラティスの観測行為’そのものを制御する仕組みを示している可能性がある」と興奮を隠しきれない声で言う。
ミラは彼をちらりと見やり、「ラティスの観測行為を制御する……本当にそんなことが可能なの?」と問いかける。記憶や認識を自在に書き換える存在に、果たして人間が介入できるのか。
「分からない。でも、もし博士がそこまで想定していたなら、干渉実験を繰り返すしか道はないのかも」とスンが苦笑する。「実際、今回の実験で皆が被害に遭ったように、あんまりやりたくはないけど……」
レイニーは頷きながら、額を押さえて息を吐く。「でも避けて通れないわね。この暗号に‘認知スイッチ’だの‘多次元接合’だの、不可解な概念が散りばめられてる。人間の通常の知覚じゃ解読しづらい。つまり干渉を利用しなきゃ無理なんだわ」
テーブルの上にはメモや端末が散乱し、紙に走り書きされた数式らしきものと、謎めいた記号が走る資料がいくつも転がっている。ほとんどは実験中の速報メモだが、一部は博士の残した古い書類に類似しているとレイニーが指摘していた。彼女は痛む頭を抑えながらページをめくり、あちこちに赤ペンで印をつけている。
「この辺はラティスによる‘観測者選別’みたいな内容が示唆されてる。読み解くなら、ラティス干渉を中途半端に受けると普通の人は倒れちゃう。でもミラ、あなたなら深く入り込んでも‘やりすごせる’かもしれないって、書かれてるように見える」レイニーが少し震える声で言う。
「私が深く……」ミラは軽く身震いする。博士はいつから自分をそんな風に想定していたのか。不安とも使命感ともいえない衝動が胸を駆け抜ける。「でも、本当にそうなら、やっぱり私が次の実験を主導するしかないのかもしれないわね。皆を巻き込むよりは……」
エリオは慌てて首を振る。「いや、危険すぎる。ミラだけに全部任せるなんて駄目だ。もし君が記憶を大きく書き換えられたら、それこそ取り返しがつかない。一人で突っ込むのはリスクが高すぎる」
「だからといって、全員で干渉を受ければ、また今回みたいに半分以上がダウンするかもしれない。コロニーの体制も崩れるし、私たち自身が記憶崩壊を起こして終わり……」ミラは冷たく現実を突きつけるように言う。
するとスンが落ち着いた声で、「その中間を探るしかないんだよ。ミラが中心になって暗号を読み取り、僕たちがサポートする。一方で、危なくなったらすぐ強制終了させる仕掛けを用意するんだ。並列モニタやログ照合で、君の異変を見逃さずキャッチすれば、最悪の事態は避けられるかもしれない」と提案する。
レイニーが少しずつ呼吸を整えながら、「私も賛成。突き詰めれば、コロニーを救えるのは、その干渉下で意思を保てるミラしかいない気がする。だけど、全員が限界超えして倒れたら元も子もないから、監視とサポートをきちんと整えるの」とアシストする。
“ミラだけが特別”という言い方は避けているが、実際この状況を乗り切る方法はほかに見当たらないのだろう。エリオも観念したように「勝算はあるのか……」と溜息を吐きながら、暗号に向き直る。
「とにかく、しばらくは干渉が落ち着くはずだから、今のうちに今回読み取れた断片の解析を進めて、次の干渉タイミングが来たらどうするかを詰めましょう」とミラは皆を鼓舞するように口調を変えた。「無理に張り切らず、体調が悪い人は休んで。でも、なんとか全員でフォローし合いながら乗り越えたいわ」
レイニーとエリオはそれに軽く頷き、肩の力を抜いて再び端末へ視線を落とす。頭痛が完全に消えたわけではないが、“何とかできるかもしれない”という小さな希望が、痛みを我慢する原動力になっているのかもしれない。
スンはホログラフの表示を切り替え、「今回読めた断片がどうやら“二段階プロトコル”を示唆している可能性があるんだ。簡単に言えば、まずラティス干渉下で暗号を開くと、さらに深い層を準備するよう仕掛けが動く、と」
「深い層……つまり、今読めている情報はまだ入口ってこと?」ミラが目を丸くする。
「そうみたい。博士はこれを“第一ゲート”と呼んでいた形跡がある。私たちが干渉を活用して第一ゲートを突破すると、次により高次の“第二ゲート”が開くと書かれてる感じだね」とスンは説明する。
レイニーが心底うんざりした顔で「より高次って、今回でさえこれだけ倒れたのに……先が思いやられるわ」と零すと、エリオも「本当に正気の沙汰じゃない。でも、それがコロニーを救う鍵かもしれない」と苦笑いする。
ミラは黙って画面を見つめる。二段階、あるいはそれ以上の“扉”を通らなければラティスの本質に触れられないのだとしたら、この先もっと苛烈な干渉が待ち受けるのは確実だろう。自分がその荒波に耐えられるのか、仲間をこれ以上巻き込まない方法はないのか——思考は焦りと恐怖を孕んでぐるぐる回る。
「いずれにしても、今はまずここまで読み取れた断片を正確に解析して、次の手を考えるしかないわね。あまり一気に突っ込みすぎると、私たちが本当に壊れてしまう」とミラは決意のこもった声でまとめる。
「同感。次の実験を急ぐより、ここで無理せず情報を固めよう」とスンが言い、レイニーやエリオも小さく頷く。頭痛を抱えながらでも、行動の優先順位ははっきりしている。ここで焦り、ラティス干渉を連続して受けるのは自殺行為といってもいい。
サポート要員が見回りに来て、「そろそろ照明を少し落としますね。皆さん少し休憩を」と声をかけると、レイニーやエリオはありがたそうに目を閉じてため息をつく。ミラはまだ頭の片隅に不穏な感覚がこびりついていたが、無理に考えすぎるのも危険だと判断し、少し端末から目を離すことにした。
「少し頭を冷やすわ。もし問題があれば呼んで。暗号解析は続けておいて」とミラは椅子を離れ、室内の隅で大きく伸びをする。心臓がまだ微妙に高鳴っていて、吐き気の名残もあるが、息を深く吸えば多少落ち着きを取り戻せた。
天井の照明がやや暗くなり、部屋にはホログラムの光が淡く浮かぶ。一見すると静寂が訪れたようにも見えるが、誰もがラティス干渉への警戒を緩めていない。もし次の波が突然やってきたらどうするか、頭の片隅でシミュレーションをしているのだろう。
ミラは胸中で言い聞かせる。「私は大丈夫。多少辛くても、皆ほどじゃない。もしまた実験を行うなら、私がやる。皆をこれ以上苦しませないためにも、博士の暗号を解くしかない……」
そんな決意とは裏腹に、喉の奥に引っかかる感触がある。まるで意識の表層と深層の境目を、ラティスが覗き込んでいるような嫌な錯覚。自分だけが“選ばれている”ような予感と、そこに伴う静かな恐れが胸を圧迫する。だが口には出さない。今は言葉にしても誰を安心させられないどころか、疑念を広げるだけだ。
数分の沈黙が続く中、レイニーとエリオが互いに助け合って立ち上がり、再び端末を覗き込む光景が目に入る。「一旦休んだ方がいいって言ったのに……」とミラは心中で苦笑するが、その頑固さも含めて仲間の強い意志に支えられているのは事実だった。彼らがそこまで踏ん張らなければ、ここまで暗号解読が進むことはなかっただろう。
気配を感じてスンが振り返り、「ミラ、もう少し休んでいいんだよ? さっきまで凄い集中力で読み取ってたし。僕とレイニーたちが先に解析進めておくから」と声をかけるが、ミラはかすかに首を振る。「ううん、私こそ皆に負担をかけるわけにいかないわ。大丈夫、まだ動けるから。頭痛はあるけど、あなたたちほどじゃない」
視線を交わすだけで、彼らは互いの疲れや不安を暗黙のうちに理解し合っていた。言葉よりも行動が先行し、今はとにかく走り続けなければ、コロニーが足元から崩れていくかもしれない——そんな共通認識が漂っている。
こうして、実験による一時的な混乱とダメージを抱えながらも、部屋のメンバーはさらに暗号解読に向けた準備や解析を続ける。レイニーとエリオは痛む頭を抱えながら細かな符号をチェックし、スンがログの整合性を監視。ミラは端末を行き来しながら、皆の補助と統括を行う形で動き回る。
荒い息遣いや時折の嘆き声、浮かぶホログラムの不思議な輝きが、夜のアレオーンコロニーを背後に静かに描き出している。もし次の干渉が訪れれば、また大きな混乱が起きるだろう。だが、彼らはそれさえも受け止める覚悟を示している。
扉の外からかすかに足音が通り過ぎたが、部屋に入ってくる者はいない。恐らく、今回の実験の噂を耳にした他のスタッフが状況確認をしたがっているのだろう。しかし、ここはまだ落ち着かない現場であり、余計な視線を呼び込むのは好ましくないと判断しているのかもしれない。
ミラはアークワンを見下ろし、必要最小限の表示モードを保ちながら、時刻を確かめる。つい先ほど激しい干渉が収束したばかりなのに、時の流れが妙に速いような遅いような感覚がある。これも干渉の名残か、単なる神経疲労なのか判断がつかない。
「あとどれだけこの状態が続くのかな……」レイニーが小声で漏らす。
「さあね。俺たちが全貌を解き明かすまで、あるいはラティスが満足するまで……」エリオが相づちを打つ。その言葉に教訓めいた響きが混じるのは、ラティスが単なる現象やトラブルではなく“意思を持つ存在”であるかもしれないという恐れがあるからだ。
ミラは言葉にしないまま、深く息を吸い込む。そして、先ほど読み上げた断片を反芻しながら、この夜をどう乗り越えるか考えていた。ここにいる誰もが干渉の傷を負っている今、できることは限られている。
しかし、この一夜が終われば、博士の暗号の次の手が見えてくるかもしれない。 干渉に耐えながら解析を進める中で、ラティスの正体や意図、そしてコロニー崩壊を防ぐ方策への道筋が見えてくるはず。ミラはそれを信じるしかなかった。
こうして夜の研究区画は、疲弊と一筋の緊張感を漂わせたまま、静かに解析作業を続けていく。誰もが干渉の痛手を抱えつつ一歩を踏み出す。床に伏した者もわずかな時間で頭を起こし、また端末へ向かう。その姿は尊い意地としか言いようがなく、ミラはそんな仲間たちを見守りながら、心の中で何度も「ありがとう」と繰り返していた。
闇を抱えるアレオーンコロニーの夜は、まだ終わらない。今ここで小さな分析を積み上げることで、次の大きな干渉に備えることができると信じて、ミラたちはかすかな光を手繰り寄せるように動き続けるのだった。