【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - アレオーンの謎」#17
第6章「揺れる視界」
アレオーンコロニーの深夜。人工照明が薄暗く落とされた研究区画の一室に、空気より濃厚な緊張が漂っていた。ミラ・カザレフを含む少人数のチームが、中枢AIの近似ログや外部観測データを参照しながら、まもなく到来する磁気乱流に備えている。ラティス干渉が強まれば、暗号化ファイルに仕掛けられた“観測条件下セクション”を開くことができるかもしれないという一縷の望みがあるからだ。
部屋の中央では、複数のコンソールが円形に配置され、スンやレイニー、エリオらがそれぞれの端末を睨んでいる。壁際にはサポート要員数名が常駐し、何かあれば迅速に対応できるよう待機している。
「磁気乱流のピークがもうすぐだ。あと二十分ほどで外部からのレポートが来るはず」スンが低く言い、時計を確認する。彼の声には張り詰めた響きが滲む。
ミラは唇を引き結び、アークワン(Arc-One)のディスプレイを何度も切り替えながら準備を進める。暗号ファイルの一部、いわゆる“干渉セクション”の断片読み取りを試みる計画だ。だが、そのとき強烈なラティス干渉が起これば、読み手の意識が歪み記憶が改変されるリスクがある。
「こうして黙って待ってるだけでも、変な圧迫感があるね……」エリオがぼそりと呟く。「さっきから頭が重いというか、集中が散漫になる。これがラティス干渉のせいなのか、ただの疲れなのか分からないよ」
横で端末を操作していたレイニーが軽く首を振り、「私も似たような感じ。視界の端に何かが動いた気がして、振り返っても誰もいない。さっき、端末画面が微妙に揺れる錯覚もあったわ」と付け加える。
「疲労かもしれないし、実際に干渉がじわじわ来ているのかもね。どちらにしても、落ち着いていきましょう」ミラは2人を見つめて穏やかに声をかける。彼女自身も、胸の奥底でかすかな不快感を覚えているが、それは彼女にとって常態化しつつある感覚だった。
ほかにも数名のスタッフが「昨日は資料をあの棚に置いたと思うのに見当たらない」「覚えているはずの設定が端末ログに残っていない」と小さな疑問を漏らしていた。その場は単なる手違い、記憶違いとして笑い飛ばしているが、かねてから続く記憶の齟齬報告の一端かもしれない。どこまでが疲労や偶然で、どこからがラティス干渉なのか、誰にも断言できないのだ。
「皆が多少なりとも影響を受けているわね……」ミラは心中で不安を噛みしめる。表立ってパニックになっていないだけで、微妙な異変が全員に断続的に起きている。この部屋にいる仲間も例外ではない。ただ、いざ干渉が強まったとき、自分たちが正気を保ったままどこまで実験を進められるのかは未知数だ。
スンが深呼吸し、「さて、実験に備えてチェックを始めるよ」と声を張り上げる。コンソール上には暗号ファイルの一部ブロックが展開され、そこに先日回収したメモリユニットのキーが適用されている。だが、本来なら“ラティス干渉下でしか読めない”領域であり、通常状態ではノイズだらけ。
「暗号セクションを小出しに呼び出して、ミラが読み上げ、それを私たちがリアルタイムで照合。何か誤差が生じたら即座に実験を中断して、ミラを撤退させる。そんな感じの段取りでいいね?」エリオが確認するように問う。
レイニーが大きく頷く。「ええ、それが一番安全。もし干渉が思いのほか強烈で、私たちも混乱して始めたら、実験どころじゃなくなる。どこまで対処できるか分からないけど、並列検証なら少しは誤差に気づけるはず」
言葉とは裏腹に、彼女の瞳には恐れの色が浮かんでいる。さっきから軽い頭痛を感じているようだが、レイニーは無理に笑みを作り、仲間を安心させようとしているように見えた。
静かに息を吐き、ミラはアークワンの画面で時刻を確認する。外部からの通信が乱れ、磁気乱流が高まったらしい。そろそろ干渉が増大してもおかしくない。部屋の誰もが心のどこかで待ち構えている。疑似嵐の到来を。
「みんな、もし頭痛や視界の歪みがひどくなったらすぐ言ってね。無理するとあとで何が改変されているか分からないから」とミラは改めて注意を促す。これまでに何度か似たような場面を経験してきたが、今回は“意図的に干渉を誘う”という点で危険度が格段に高い。
「わかった。私も変な影を見たり、時間感覚がおかしくなったらすぐ報告するわ」とレイニーが答える。エリオもうなずき、「操作ログをこまめに残しておけば、書き換えがあっても比較で分かるかも」と付け加える。
室内のライトが一瞬、微妙に揺れた気がした。その場の全員がピクリと反応し、視線を走らせる。天井の照明は通常どおりに点灯しているが、誰かの目の錯覚か、それともラティス干渉の初期症状か……そこを断定する術はない。
スンがコンソールに向き直り、暗号ファイルの特定セクションを呼び出す。画面上には無意味な文字列が断続的に並び、急激に明滅を繰り返す。ミラはそれを見て、軽く頭を押さえた。「少し圧迫感が強くなってきたわ…ラティスが近いかもしれない」
それを聞いたレイニーが声を低める。「私も、視界が揺らいだ感じがする。どうする? 中断する?」
ミラは歯を食いしばり、「いえ、今がチャンスかも。干渉が強まってるなら、読み取り可能になるかもしれないわ。警戒しながら行きましょう」と意を決する。彼女はアークワンに接続された入力画面を操作し、断片的に暗号セクションを解凍し始める。
するとホログラフに奇妙な記号が揺れながら浮かび上がり、部屋の空気がずんと重くなる。頭が締め付けられる感触とともに、周囲のスタッフからも息を呑む音が聞こえた。
「うっ……」エリオが額を押さえ、「一瞬目眩が……」と苦しそうに声を上げる。スンも咳き込み、「悪い、ちょっとやばいかも」と泣きそうな顔でモニターを見つめる。レイニーは何とか踏みとどまろうとしているが、指先が震えて操作が乱れている。
しかし、ミラはその中でまだ意識の輪郭を保っていた。もちろん楽ではないが、圧迫感は耐えられないほどではない。視界の片隅で仲間たちが小さく呻いたり、データを見失っているのを認識し、同時に自分が今こそ断片を読み解く役目を果たすべきだと直感する。
「レイニー、エリオ、大丈夫?」ミラは絞り出すように声をかけるが、2人とも「ちょっと気分が……」と弱々しく答えるだけで、それ以上の作業は難しそうだ。それでもスンは何とか操作を継続し、比較ログを回す態勢を維持しているらしいが、顔色は悪い。
「ミラ、君の声をログに残してるから、読み取れる範囲だけ読んで……!」スンが必死で言う。
「わかった」ミラは画面に浮かぶ訳の分からない記号を凝視する。頭の中が混濁しかけるのをなんとか抑え、口に出して文字や数字を読み上げる。ラティスが干渉する空間の中、他の人々より強い頭痛や吐き気を感じないことが、一瞬の罪悪感となって胸を突く。でも、ここで弱音を吐けばすべてが終わる。仲間たちが苦しむ中、自分が行動を止めれば今回の実験は失敗に終わりかねない。
部屋の空気が明らかにおかしい。電源系統が一瞬ちらつき、壁際のモニタがノイズまみれになる。レイニーが「もう無理…外へ行くわ」と小走りで退室し、エリオもふらつきながら壁を伝って少し離れた場所に倒れ込むように座り込む。痛いほどの頭痛に苛まれている様子だ。
一方、ミラは声を震わせながら断片を読み上げ続ける。視界の端には淡い光の粒子が踊るように散り、空間が歪むイメージを覚えるが、意識は辛うじて保たれている。何かが自分に寄り添うような、けれどそれがラティスの意思なのか、単なる幻覚なのか判別できない。
「あと少し……」スンが顔をしかめながら叫ぶ。「もう一行だけ読み上げて、終了する!」
ミラは口内の渇きを感じながら喉を鳴らし、最後の行をなんとか読みきる。声の震えが自分でも分かるが、不思議と頭は割れるほど痛くはならない。むしろ全身が熱を持ち、軽いめまいがする程度だ。
そして数秒後、電源系のノイズが緩み、室内照明が復元されたかのように見える。干渉が一段落したのかもしれない。ミラは深い呼吸をして視線を戻すと、スンが苦笑いを浮かべている。「すごいな、ミラ……僕たちはすぐ限界がきたのに。君は最後まで読み上げられた」
「みんなのバックアップがあったからよ」と言いつつも、レイニーやエリオの様子を気遣う。彼らは明らかに動揺している。レイニーは扉の外でうずくまっているし、エリオはようやく立ち上がり、両手で顔を覆いながら吐き気を堪えているようだ。ほかのスタッフも軽い混乱を訴えており、ラティス干渉が“集団的に”発生していたことは明確だ。
ミラがフラフラとスンの肩を借りて立ち上がると、サポートスタッフの一人が「みなさん、大丈夫ですか?」「ドクターを呼びますか?」と声をかける。
ミラは酸欠のように息を荒げながら、「お願い、レイニーとエリオを少し休ませて。脳波測定とか必要ならすぐ対応できるようにしておいて。私は……まだ大丈夫」と言い、あらためて周囲を見渡す。全員が多少なりとも干渉の影響を受け、認識や身体感覚に乱れを感じているのが分かる。
この事実が、「ラティス干渉は特定個人だけでなく、部屋にいた全員を巻き込む」という点を誰の目にも明らかにする。もっとも、その中でミラが“他者より深く踏みとどまれた”のは不可解ではあるが、今は疑問を抱く余力が仲間たちにはなさそうだ。
「とりあえず、読み取った情報は録音・記録できたし、外部検証用ログにも矛盾がないか確認しておこう。もう実験は終わりでいいわね」ミラが落ち着いた声音でそうまとめると、スンも苦笑しながら「充分だよ。これ以上続けたらみんな倒れる」と同意する。
こうして、ラティス干渉を利用した暗号断片の読み取り実験はひとまず成功に終わる。しかし、その代償も小さくなかった。レイニーやエリオは過度の頭痛や吐き気に苦しみ、ほかのスタッフ数名も瞬間的な幻覚や認識ズレを訴えている。皆が冷や汗をかきながら、事態収束に向けて後処理を進める光景は、まさに危ういバランスの上で成り立つ勝利とも言える。
ミラは荒い呼吸を整えつつ、胸の奥で複雑な感情を抱えていた。干渉は部屋全体に及び、多くの仲間を苦しめた。しかし、その中で自分だけが最後まで断片を読み上げきったのは事実。
「なぜ……?」自分の内にある潜在的な力なのか、偶然に過ぎないのか——答えはまだ闇の中だが、コロニーを蝕むラティスという脅威を前に、一筋の突破口を得た感覚も否定できない。
部屋の空気には、一方で安堵と倦怠感が混じり合っていた。誰もが激しい干渉を受けつつ実験を遂行できたことが奇跡にも思える。今や、ミラだけでなくレイニーやスンたちが“微妙なラティス干渉”に直面したことが明白となり、事態の深刻さがひしひしと伝わってくる。
「でも、ここからが始まりだろうね」スンが虚ろな笑みを浮かべて言う。「本当に博士が残した暗号の全貌を知るには、こんな危険な実験を何度か繰り返すのかと思うと……」
ミラは頷き、「そうね。だけど一歩前へ進んだ。あとは、私たちがどこまで踏み込む覚悟があるか、ラティスにどう対峙するかだわ」と静かに答えた。
こうして“全員が何らかの影響を受けた”実験は幕を下ろす。ミラ、スン、レイニー、エリオ——皆それぞれの苦痛や歪みを味わいながらも、暗号データの一部を読み解くことに成功している。ミラはこの場で明確な優位性を示したが、それがどんな真実へ続くのかは、まだ誰にも分からない。
今夜の騒動は、ラティスの恐ろしさと同時に、博士が仕組んだ“やり方次第では干渉を逆手に取れる”という可能性を、コロニーの人々に示したと言えるだろう。
コロニーの深夜はさらに静まり返るが、ここに集う者たちの心は眠ることを知らない。やがて訪れる次の干渉と、複雑な暗号の全貌を解くため、彼らは束の間の休息を取りながら、次なる試みに備えていくのであった。