【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - ガイアの浸蝕」#1
第1章「静かな異変」
木星近傍のコロニー、ガイア。
その表面には、半球ドームの下に広がる人工的な緑が見渡せる。規模はさほど大きくないが、生態系実験や資源調査などの科学的活動が集約されている場所として知られていた。ここには最新鋭の研究施設が複数あり、木星周辺の地質・気象・生物を扱う専門家たちが集まっている。
ガイアの朝は、いつも穏やかだ。外から見れば数多くのモジュールとパイプが入り組んでいるが、内部は安定した空調や重力制御が整い、人々はほぼ地球と同じ感覚で暮らしている。外部の放射線や極端な温度変化も防げるため、「木星圏における安全な研究拠点」という評価が定着していた。
リア・ハーパーは、コロニーの研究員として主に植物系の生態調査を担当している。まだ若いが、冷静な分析力と徹底した記録管理で信頼を集める人物だ。今日も研究室へ向かう廊下をゆっくりと歩いていたが、周囲には平和な日常を反映するような静けさが漂っている。朝のモニタリングを終えたスタッフたちが談笑していて、リアも軽く挨拶を交わす。
「おはよう、リア。今朝も植物区画に行くの?」
そう声をかけてきたのは、同僚のエマ・ルイス。明るい表情で手を振っている。リアは軽く頷き、「ええ、昨日までの測定データをまとめたいの。成長率に多少の変化が見られる気がするのよね」と返す。
エマは少し首をかしげ、「ふーん、またあの葉っぱたちが妙な伸び方をしてるの? まあ、リアがチェックするなら安心だわ」と笑う。そう言われると、リアもどこか安心する。何気ない日常がまだ続いているように思えるからだ。
しかし、研究室に入った途端、リアは頭を捻らざるを得ない状況に直面した。端末を起動して昨日の植物成長ログを表示すると、データが微妙にズレているのだ。ごく小さな誤差といえばそれまでだが、ここ数日間、誤差が少しずつ拡大している傾向が見受けられる。
「システムの校正が甘いのかしら……」そう独りごちると、リアは早速、センサー類を再点検する。だが、数値の不正確さを示すエラーメッセージは見当たらない。バックアップログを参照しても、日ごとに微妙に値が書き換わったような跡があるばかりで、原因が分からない。
作業台の隣には、エマが手にしたタブレットを操作しながら、「リア、メインセンサーが狂ってるのかも。ダニエルに頼んで調べてもらったら?」と提案する。
「そうね、ダニエルに相談してみるわ。彼なら機器の誤作動にすぐ気づけるはず」とリアは同意して、小さく息を吐いた。ダニエルは優秀なエンジニアだが、やや面倒な気質でもある。端末や機材の不具合を過度に軽視する傾向があるので、今回もうまく取り合ってもらえるか少し不安だった。
植物区画のドアを開けたとき、リアは一瞬「ん?」と違和感を覚えた。草木が小さく揺れているように見えたが、換気システムは休止中の時間帯で、風はほとんど流れていないはずだ。
「まさか気のせい……?」リアは首を振る。実験植物がこの程度揺れたからといって大ごとではないが、さっきのデータのズレもあり、胸に小さな引っかかりが残る。それは、ほんの些細なノイズにすぎないと思いつつ、注意深く観察する癖がリアにはあった。
「何か気になる?」エマが後ろから声をかける。リアは笑顔で取り繕いながら、「ううん、大したことじゃないかも。とりあえずダニエルに機器チェックを頼むわ。エマも手空いたら助けてくれる?」と頼む。
「もちろん、その時は言ってよ!」とエマは快く引き受ける。気さくな彼女の存在は、何となくガイアに“家庭的な雰囲気”を与えているようにも感じられる。リアが心のどこかでほっとするのは、彼女がストレートな明るさを持ち合わせているからかもしれない。
データ端末を抱えつつ、リアは植物室を一通り点検したあと、エマと別れてエンジニア区画へ向かった。廊下は昼モードの照明が満ちていて、物腰柔らかな科学者やスタッフたちが行き交う。ガイアは平和だと、誰もが信じていた。
ダニエルの姿を見かけたのは、整備用の工具カートを押しているところだった。彼はリアに気づくと、やや面倒そうな表情を浮かべながらも声をかけてくる。「どうした、リア? まだ午前中だろ。機器の不具合があるなら報告書を回してくれればいいのに」
リアは控えめに頼んだ。「植物成長ログの値が日ごとに誤差を増してるの。センサーの点検をしてほしいんだけど……」
ダニエルは眉を少し上げ、「誤差ってどれぐらいだ?」と端末の画面を覗き込む。彼女が示すグラフには、ごく小さな変動だが連続的に拡大している線が見える。「たった数パーセントじゃないか。よくあるセンサー経年劣化だろう。交換パーツが届くのは週末になるし、急ぎなら他のセンサーを使えばいい」
あっさり言われて、リアは少し困惑する。「そうなんだけど……この微妙なずれが連日続いているのと、昨日なんて観測ログそのものが上書きされたみたいに変わっていたの。何か変だと思わない?」
ダニエルは面倒そうに首を振り、「記録の書き換え? システムのバックアップが古いか、新人がうっかり操作したとかじゃないのか。とにかく、そんな重大な話には思えないね」と言ってそっぽを向く。彼にとって、数パーセントの誤差は想定範囲内であり、大きな問題として捉えたくないのだろう。
「分かった。とりあえず他の観測器も試してみる。ありがとう」とリアは釈然としないまま頭を下げる。彼女の直感は、この誤差が単なる故障では済まないと告げているが、証拠を示せない以上、ダニエルを強く責めるわけにはいかない。仕方なく、彼女は足早に研究区画へ戻ることにした。
廊下を歩くうち、先ほどまでのモヤモヤがさらに強まってくる。背景には微かな機械音が鳴り、行き交うスタッフたちの足音がやけに響く。ガイアは安全だと言われているが、その安全性を脅かす小さな揺らぎが少しずつ広がっている気がしてならない。
「考えすぎかもしれない。でも、もしこのまま問題が進行したら……」と頭をめぐらせながら、リアは端末を握りしめる。植物成長ログの不整合。それはほんの小さな乱れにすぎないが、前兆という可能性は捨てきれない。
コロニー内で同様の異常を見かける人はいないのだろうか。そう思った矢先、廊下を曲がった先で2人ほどのスタッフが低い声で言い争っていた。「おかしいわ、昨日まで確かにそうだったのに……」「いいや、記録にはそんな痕跡は残ってないんだ!」と。リアはそのやり取りを横目に、胸の不安が一層濃くなる。
「やっぱり、私の勘違いなんかじゃない……」そう呟きながら、リアは研究室のドアを開けた。
まだ大きな騒ぎにはなっていないが、ガイアの安定がわずかに崩れ始めているのかもしれない。その夜、リア・ハーパーが見つめる植物成長ログには、またひとつ不可解な書き換えが加わっていることに、誰もまだ気付いていなかった。コロニー全体を包む“静かな異変”が、すぐそこまで忍び寄っているとも知らずに——。