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【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - ガイアの浸蝕」#8
リア・ハーパーが向かった先は、研究区画の一角にある小さなサブラボだった。植物室とエンジニア区画の中間に位置し、通称「副次観測室」と呼ばれるこの部屋には、ガイアに点在するセンサーやカメラのデータが一括集約される仕組みがある。本来は生態系実験や天候制御の補助を担うマイナー施設だが、いまやメインのシステムが混乱している以上、ここが比較的安全に稼働する最後の砦かもしれない。
廊下からの混乱を抜け、重い自動ドアを開けると、中には数台の端末が薄暗い光を放っていた。非常灯だけが点っている状態で、誰もいないように見える。リアは一瞬不安に駆られたが、かすかに人の気配を感じて奥へ進む。
「ここでダニエルに会えるかも……」心の中でそう期待した矢先、機器の影からダニエル・ヴァン・オールデンが立ち上がった。ぼさっとした髪を指で払って、疲労の色を隠せない表情をしている。
「リア……来たのか。オレ、ここで可能なログだけでも解析しようと思っていたんだが、正直埒が明かない」ダニエルはため息交じりに言う。
リアは端末を握りしめながら急ぎ足で近づく。「やっと見つけたわ。ずっと連絡が取れなくて心配したの。あなたも同じようにいろんな区画を回っていたのね? システム班のチーフが奇妙な波形ログを見つけて……」
ダニエルはうんざりした調子で、「ああ、聞いてる。いまオレもそのデータの一部を覗いてたところだ。『存在しない時刻』や『あり得ない周波数』が各所で見つかってるらしい。もう何が正常か分からないぐらい、コロニーがねじ曲げられてる」と端末の画面を見せる。
そこには、幾重にも折り重なったようなデータのグラフが映し出され、断片的に時系列が飛び跳ねている。リアが息を呑んで見つめると、さらに拡大された表示に不可解な数値が羅列していた。
「これ、私もチーフから見せてもらったやつと似てる……ダニエル、原因は何だと思う?」リアが訊ねると、ダニエルは首を振る。「正直、分からない。ハッキングでも内部エラーでも説明できないレベルの変動が起きてる。システムが完全に乗っ取られているか、あるいは人間の認識を狂わせる何かが介入してるのか」
「人間の認識を狂わせる……? でもそんな馬鹿な。機械の記録ならまだしも、私たちの頭の中まで?」リアは戸惑いを隠せない。するとダニエルが端末の一部ログを拡大する。「見ろ。ここに配置されたセンサーが同じ時間に矛盾した情報を発信してるんだ。まるで同じ場所が二重三重に重なってるかのように、観測値が折り合わない。人間の記憶でも似た歪みが生じているって報告が多いだろ?」
リアは胸が冷たくなっていく感覚に見舞われる。住民同士が記憶違いを責め合う姿、時間がねじれたログ、照明の明滅と空調の異常——それらを繋ぐ一本の線があるとすれば、単なる故障では説明つかない大きな力だ。
「まさか、噂の“ラティス”みたいな存在が本当に入り込んでるの……?」と心中で呟きかけるが、声には出さない。彼女が目を伏せていると、ダニエルが苦い口調で続ける。
「外部の情勢や他所の事件はあまり知らないんだ。少なくともオレは“未知の干渉”なんて信じていなかった……。けど、今の状況はどう見ても常識外だ。管理者も住民も、理屈が通じると思ったから混乱に拍車がかかるんだよ」
リアは頷き、エマが言っていた“理性のコロニーが崩壊する恐れ”を思い出す。ここでは科学者やエンジニアが多く、合理性を重んじる反面、想定外の事態に直面するとパニックが進みやすいのかもしれない。
「いま私たちにできることは、少なくともこのログを外部へ報告するか、あるいはコロニーの中枢が完全に壊される前に抑えるか……」リアが慎重に言葉を探すと、ダニエルは渋い顔で頷く。「外部通信か。さっき試したけど、回線が不安定すぎて安定した連絡は難しい。内部も大混乱だ……」
リアは唇を引き結ぶ。「何とかしなくちゃ。時間がないわ。ラボや植物室のデータも歪みが広がってるし、住民が疑心暗鬼で押しつぶされる前に——」
そう言いかけたとき、部屋の照明が小さく瞬きをして、不気味なほど静寂が落ちる。わずかな暗転の後、光が戻ったが、リアは窓越しに見えるガイアのドーム内部が半ば白く霞んだように感じた。何かしらの気圧変動か、あるいは意識の混濁が起きているのか、自分でも判断がつかない。
ダニエルが低く声を漏らす。「認識さえ壊されつつあるんじゃないのか……? オレも疲れてるのか、幻覚を見そうになる瞬間があるんだ。もしこれがもっと進んだら、コロニー全体が本当に崩壊する」
リアは焦燥を抑えきれない。「今は信じて動くしかない。ここの観測室でデータをできるだけコピーしながら、復旧に使える要素を確保して……それがダメなら、外部にSOSを送る。他に道はないわ」そう言いながら端末を操作し、波形データの解析に着手する。
静かな時間が数分経つ中、ダニエルも肩で息をしつつ別の端末に向かう。ガイアの理性が崩れる前に、手がかりを掴まなくてはならない。
廊下からは、断続的に聞こえる怒号や足音がかすかな震動をもたらす。冷えゆく認識の狭間で、リアたちは己の意識を保ちつつ、コロニーを守る術を模索し続けるしかなかった。地を這うような“ラティス”の影が、いままさにガイアを深く浸食しているのかもしれない——その予感が胸を凍らせる一方、彼女たちは希望の糸を探り続けた。