![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170047006/rectangle_large_type_2_4781657f5e7dcb3e2f638988b4cf01fb.png?width=1200)
【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - ガイアの浸蝕」#7
第3章「ラティスの浸食」
ガイアの空調が、耳障りな唸りを上げ始めた。まるで負荷に耐え切れずに軋む機械のような音が、研究区画の廊下を振動とともに伝ってくる。リア・ハーパーは急ぐ足を止め、周囲を見回した。階段手前の照明が暗くなり、黄色い非常灯だけが淡い影をつくっている。
「ここもか……。やっぱり、単なるシステム故障で説明できる域を超えてるわね」
リアはそう呟きつつ、端末を確認するが、ダニエルに送ったメッセージの応答はまだなかった。前日までは彼がいる区画や時間帯を把握できたが、今の彼は誰にも行き先を告げずに動いているらしい。もしかしたら、彼自身もデータ破損を止めようと必死に奔走しているのだろう。
ふと遠くから、「どうして? これはあなたがやったんじゃないの?」という叫び声が聞こえた。住民同士が何かを問い詰め合うような鋭い口調だ。リアは苦い息を吐き、「もう、あちこちで疑惑が渦巻いてるのね」と胸を痛ませる。異常なログ改変が止まらない以上、誰かが悪意を持って仕組んでいると考える住民が増えても不思議ではない。
エマ・ルイスと別れてから数分が経過した。彼女は住民間の衝突をなだめようと奔走しているが、それもどこまで通用するか分からない。リア自身も心中では「このままではガイア全体が自壊してしまう」と嫌な想像が膨らむが、立ち止まっている余裕はなかった。ログの解析を急ぐため、ダニエルと合流することが不可欠なのだ。
曲がり角を抜けた先で、リアは思わず足を止めた。複数の通路が交差する地点に、システム班のスタッフらしき男が座り込み、震える手で端末を抱えている。血の気が失せた顔をしており、背後にはコード類が散乱していた。
「大丈夫? 何があったの?」リアが駆け寄ると、男は怯えた表情で首を振り、「ログが……勝手に書き足されて、僕の操作だという記録まで残されてるんだ。誰にも信じてもらえないし、まるで俺が犯人扱いされて……」と声を詰まらせる。
聞けば、最近になってこの男のIDを使って改竄が実行された形跡が大量に出てきたらしい。しかし、彼には全く身に覚えがない。周囲は疑惑の眼差しを向け、彼自身も怯えと混乱で冷静さを失いかけているのだ。
「落ち着いて。あなたのIDが使われただけなら、本当に犯人とは限らない。私たちも同じような現象を探っているの。状況を話してくれれば、もしかしたら手がかりが見つかるかもしれないわ」リアが優しく声をかけると、男はか細い声で何とか事情を説明し始めた。
「僕は……システムバックアップ担当で、定期的にログを検証してた。だけど、二日前から妙な差分が増え始めていて……最初は見逃せる範囲だったけど、昨日には大きく書き換えが進行したんだ。そしたら、僕のIDで操作されたログが大量に残っていて……。そんなの、どう考えてもあり得ないのに、誰にも証明できない」
男は絶望的な目をしていた。リアは端末をのぞき込み、その一部をコピーさせてもらう。「あなたの操作履歴を装った偽の記録……ね。分かった。私も協力するから、まずはここを出て、落ち着ける場所へ行きましょう。会議室も人だらけだけど、ある程度安全よ」
彼が震える足で立ち上がったところへ、反対方向から複数のスタッフが走り寄ってきた。「そいつを捕まえろ! 記録書き換えの犯人だろ!」と口々に叫ぶ姿を見て、リアは思わず息を呑む。男はまた怯えた顔を浮かべ、「違う、僕じゃない……!」と叫び返す。
周囲の空気が一気に張り詰め、まるで爆発寸前の火薬庫に火を近づけるような危うさが漂う。リアは両手を広げて押しとどめようとする。「皆さん、落ち着いて! 彼は被害者の可能性が高いわ。システムが勝手にIDを使ってるのかもしれない。証拠もないまま責め合うのは……」
しかし、相手らも混乱と苛立ちが限界に来ている様子で、一歩も引く気配がない。複数の視線がリアにも向き、疑念を抱いたまま「なら証拠を出せ」とか「あなたもグルなんじゃないのか」といった責め方をし始める。コロニーが協力し合うどころか、住民間の信頼が崩れ、わずかなデータ書き換えが恨みや怒りへと変換されているのだ。
「まずは落ち着いて話を……」とリアが声を張り上げたその瞬間、廊下の照明がぐっと暗くなり、ノイズじみた音が辺りを包む。すぐに復旧したが、ほんの一瞬の闇がみなの神経を逆撫でした。何かが視界の端で動いたかもしれないが、誰にも確かめようがない。
「やめろ、もういい!」と一人が叫んで相手を押しのけ、男の腕を掴もうとする。リアは必死で止めに入る。「違う、彼だって被害者よ! こんな形で争っても、コロニー全体が壊れるだけ……」
数秒の静寂が廊下を支配したあと、誰かがため息をつく。「……くそ、こんなことで揉めたくないが、これ以上データが消されたり改竄されたりしたら困るんだ。誰を信じればいいか分からない」
周囲の人々も、冷静になりきれず苛立ちを隠せない様子で、その場を動こうとしない。リアは歯を食いしばりながら、「私たちも事情を調べてる。管理者やシステム班と協力して、必ず原因を突き止めるから。だから、少しだけ時間を……」と懸命に説得を試みる。
やがて、複数の視線がひとまず彼女の言葉を受け入れるように下を向き、誰かが「……分かった。だが、猶予は長くないぞ」と言い残して去っていった。リアは肩から力が抜けそうになるが、荒れた空気はすぐには元には戻らない。助けを求めるように男を振り返ると、彼はうなだれたまま端末を握りしめていた。
「こんな場所じゃ落ち着いて話せないわ。とりあえず会議室か、研究区画まで来て」リアがそう促すと、男は小さく首を縦に動かす。争いこそ回避したものの、住民たちの苛立ちと疑惑はますます深まっている。
廊下を進むうち、まるで見えない影がコロニーを徘徊しているかのような錯覚に囚われる。リアは唇を引き結び、「ダニエル、どこにいるの……」と心中で呼びかける。波形ログと不可解な時刻が意味するところが分かれば、一筋の光明が見えるはずだ。
ラティス——その名が頭をかすめる瞬間があるが、まだ確証はない。リアは古い記録を少しだけ参照して、「かつて未知の干渉があったらしい」というメモを思い出すが、それだけでは手掛かりにならない。今はコロニーが崩壊へと転落する瀬戸際で、彼女は何らかの具体的情報を得る必要がある。
「早く合流しなきゃ……」足を速めるたび、後ろから聞こえる住民の怒声や物が倒れる音が耳に刺さる。ガイアは静かで理知的な研究拠点と呼ばれていたはずが、いまや怯えと恨みの渦がそこかしこにうごめいている。
こうして、疑心暗鬼の連鎖がさらに強固な形でコロニーを包み込む。リアが見上げた天井照明は、相変わらず不安定に瞬き、まるでコロニーの意志が弱り果てているかのような印象を残した。
もしここで何も打開策を見いだせないなら、ログやシステムだけでなく、人々の精神そのものが侵されて終わりだ。リアは噛み締めるように胸に決意を抱き、「次の瞬間こそ、何か有力な手掛かりを……」と祈りながら先へ急いだ。