【AI小説】サイコホラーSF「アストラル・リンク - ガイアの浸蝕」#9
サブラボでの作業を始めて数十分、リア・ハーパーとダニエル・ヴァン・オールデンの周囲には乾いた空気と、緊張の静寂だけが漂っていた。無数のグラフと数値が映し出される端末を、二人して狂ったように操作する。だが、増え続けるログ改竄の痕跡に翻弄され、作業は捗らない。
「ここを見てくれ、リア」ダニエルが焦点の定まらない目をしながら、画面を指し示した。そこには、先ほどまで存在しなかった“追加の波形”が挿入されており、わずか数分前まで正常だったデータが不自然なズレを伴って歪んでいる。「観測タイムスタンプまで変わってる。こんなの、どう考えても人力じゃ無理だろ。何か、コロニーを裏から操る力が働いてるとしか……」
リアは小さく唇を噛む。「噂にある未知の干渉を疑いたくなるけど、私たちには確証がない。管理者も証拠なしに『外部の何か』とは言えないし、住民の多くは内部犯を疑っている。こんな不毛な対立をどうにか止めないと……」
そう呟くと、廊下のほうから金属音を伴う激しい物音が響き、二人はぎょっとした表情で顔を見合わせる。怒号とも呻きともつかない声が遠くでこだまする。まるでコロニーの理性が限界を超えようとしているようだ。
「エマは大丈夫だろうか……。あっちで住民同士の衝突をなだめてるって言ってたけど」リアは深く息を吐きつつ、端末のバックアップ機能を呼び出す。ごく短い時間でさえ、いつ改竄されてもおかしくない現状が怖いからだ。
ダニエルは「オレも気になるが、今この場を離れたら解析が滞る。少なくとも、一つの結論を出してからにしよう」と覚悟を決めたようにキーボードを叩く。眼光には疲れと苛立ちが混じっているが、そこに諦めは見えない。ガイアを理性のまま救うために、最後の努力を続けるしかないのだ。
と、その時、ドアが乱暴に開いて男が飛び込んできた。見覚えのある制服を着たスタッフだが、その目はどこか虚ろで、頬がこけている。「た、助けてくれ、やつらが……データを奪いに……」と言ったきり、壁に背をもたれて滑り込む。顔には恐怖とも絶望ともつかない表情が貼りつき、冷や汗が滴っている。
「どうしたんだ?」ダニエルが声を荒げ、リアは端末を抱えたまま駆け寄る。男は震える指で宙を掴むように動かし、「ログが……俺の記録を消そうとしてる。いや、仲間たちが俺を犯人扱いして、データは全部俺が壊したって……」と言葉にならない訴えを繰り返す。
リアは気づく。彼の服にはところどころ破れがあり、誰かと揉み合ったかもしれない。住民同士の衝突がここまで過激化しているなら、コロニーの統制はもはや崩壊寸前だ。
「待って、落ち着いて。私たちは誰も犯人に仕立てたりしない。ログを守りたいだけなの……」リアが必死に宥めても、男は頷きながらも怯えきった目を伏せるばかり。
ダニエルは背中越しに端末を睨み、「こんな状況でまともに解析なんて無理じゃないか。くそ、管理者は何をやってるんだ……」と苛立ちを吐く。だが、アンドリューも全ての現場を同時に回れるわけではなく、むしろ住民の疑念が大きくなればなるほど制御不能に陥る。
男は弱々しく、「もう誰も信用できない……昨日までは同僚だった奴らが、ログ改竄の犯人だと決めつけて襲ってくる。俺だっておかしくなりそうで……」と声を震わせた。リアは肩を支えながら、「大丈夫、少しここで休んで。ここはあまり人が来ないから安全かもしれない」と促す。
薄暗いサブラボには、研究機材以外に椅子が数脚あるだけだが、男を落ち着かせるには十分だろう。彼は膝を抱えるように座り、何度も「信用できない……」と繰り返していた。
「これ、マジでやばいな……」ダニエルが小声で漏らす。リアは静かに頷くしかない。「ラボ外ではもっと悲惨な状況が進んでるんじゃない? エマのほうも心配だし、アンドリューだってパンク寸前で……。こうなったら、外部への連絡を本格的に試みないと」と端末を操作するが、通信ゲージはほとんど反応しない。
「やっぱりか。外部回線を使ってSOSを出すにしても、こんな調子じゃまともに繋がらない」ダニエルが画面を覗いて吐き捨てるように言う。
ほんの数日前まで、ガイアは穏やかで知的な空気に包まれたコロニーだった。植物の生育記録をじっくり観察し、定刻にデータを整理して住民同士が穏やかに報告し合う。そんな理想的な環境が、いつの間にか狂気の迷路へ転落している。
リアは暗い気持ちを抑えつつ、ダニエルに視線を合わせ、「もうラボにこもって解析を続けるだけじゃ、住民を止められないわ。私たちが外へ出て、少しでも衝突を鎮めて、データを守る時間を稼ぐしかないかもしれない……」と提案する。
ダニエルは苦渋を浮かべながらも同意し、「そうだな。ここに籠もっても、ログがまた書き換えられたら無意味だ。誰かが現場を回って、住民たちに誤解を解くか、管理者の命令系統を再構築するかしないと……」と声を潜めた。
男は椅子にうずくまったまま、「行かないで……俺はもう誰も信じられない。ここで死んだようにじっとしていたい……」と嘆く。それがまるでコロニー全体を象徴するような、沈む声に聞こえた。
リアは痛んだ胸を押さえ、「ごめんなさい、でも私たちは動かないといけない。ログの歪みを完全に止める術をまだ見つけていないから……」そう語る声にも、自信は感じられない。
ダニエルが黙って扉を開き、空調から漂う生暖かい空気を感じ取る。「行こう、リア。ガイアの理性がここで終わるなんて、オレは認めたくないからな。最後の線を見つけよう」
二人が意を決して室外へ踏み出すと、僅かな風が頬を撫でる。一瞬だけ遠くで“何か”が動いたように見えたが、視線を凝らしても正体は定かでない。廊下にはぼんやりとした明かりが散り、奥へ続く道はまだ闇が支配している。
コロニーの奥底で広がる「ラティス」と呼ばれる異常の気配を、リアは肌で感じずにはいられない。もしこれが単なる故障や人為的改竄を越えた“未知の干渉”なら、コロニーがどれほどの犠牲を払うことになるのか想像できない。
こうして、理性を失いかけた住民たちがひしめく廊下へ、リアとダニエルは再び歩き出した。どんな衝突や混沌が待ち受けていても、少しでも時間を稼ぎ、可能性を見いだすしかない。
冷えた汗が背中を伝う中、沈む声と崩れる理性がガイアを覆っている現実に、彼らは必死に抗おうとしている——まるで深い闇の中から光を探し求めるかのように、足を進めるのだった。