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"自殺予防"

夏休みの終わりが近づくと、テレビでも、増えてきますね、
"自殺予防"を目的とするような、題目が。

必ず提示される、"いのちの電話"の番号。
かけてもつながりやしないこと、提示する人たちは知っているんでしょうか。

夏休みの終わり、死を本気で考える子どもたち、夏休みでなくても、子どもでなくても、
そんな人達に必要なのは、
"かけても繋がらない電話番号"なんかではなく、
きっと、
自分を見てくれる、気にしてくれる人の存在なのでは、ないですか?

わたしは、ずっとずっと、死にたかった。
過去形で書いてしまったけど、今も、です。
毎日死にたくて、
でも、生きてしまっている。
だけど、昔より希死念慮は減った、と思います。

わたしはずっとずっと、
"わたしはひとりぼっちだ"と、心の何処かで思っていました。
ほんとうのわたしは、誰にも見せていなかった。だから、周りの人がくれるあたたかい言葉も、全部ウソのわたしに向けられたもので、だから、ぜんぶウソになる、と考えていて。
中学生の頃、いつもたくさん褒めてくれる大人がいました。
その人は、やさしくて、だいすきでした。
でもわたしは、迷惑をかけたくなくて、
だからいつも、元気なフリを。
「最近元気ないね」と気づいてくれたときもありました、
でも、「大丈夫です」と、笑って。
げんき、げんき、と。
ずっとそうしていたら、その人は言いました。
「大人には話せないことってあるよね…」と。
わたしは、違う、言いたくないわけじゃないの、と言いたかったけど、わたしはなにも、言えなくて、
あのときの、その人の悲しい顔がずっと、忘れられません。

それから1年半ほど経って、
わたしは高校生になって、1年生ももうすぐで終わる、学年末テストの前日。
いろいろ、ほんとうにいろいろ、重なって、
死のうとして、
でも、失敗して。

次の日、その人と会って、
その人は、泣いていました。
「生きてるだけでいいんだから…」って、泣きながら、やさしい言葉をたくさんくれました。

「あなたが自分のこと話すの苦手だって知ってるけどさ…」
と、悲しそうな顔でその人は言いました。
あの日と、同じ顔でした。いや、あの日よりもっと、悲しい顔でした

わたしは、死のうとして、はじめてちゃんと、人のあたたかさを知りました。
その人以外にも、ある友達はずっと心配してくれて、何度も手紙をくれて、朝も駅まで迎えに来てくれて、いつもやさしくしてくれて、
今の担任さんも、たくさん面談をしてくれているし、パソコンで毎日やり取りをしてくれています。
ほかにもいろいろな人が、こんなわたしに、やさしくしてくれました。

死にたいこども、おとな、のみなさん、
お願いだから、死なないでください。
わたしなんかに言われても、と思うと知っているんですけど、こんなのわたしのエゴだってわかっているんですけど、死にたいまま生きることの辛さ、わかっているつもりなんですけど、でも、
きっとあなたのまわりにもいるはずなんです、あなたのことを大切に思っている人が。
勇気を出して打ち明けたら、きっとなにか、よくなることもあると思うんです、
なにもよくならなくても、だれに言ったところでなにも変わらない、と思うかもしれないけど、
自分がつらいことを、誰かが知っている、 その事実だけでも、少し楽になることがあると思うんです

わたしも、思っていました、
誰に言ったって無駄だ、って、誰もわかってくれない、って、
でも、思っていたより世界は、怖いものではありませんでした。

あの日死ねていれば、って今でも毎日思うけど、
あの日死んでいたら、気づけなかった優しい世界もたくさん、あったんです。

きれいごとだと、思いますよね。わたしも、そう思います、ごめんなさい。私が助けられるわけじゃないのに、こんなことばかり言って、ごめんなさい。
でも、死んでほしくない、
生きていてほしい、
きっと、あなたに対してそう思っている人があなたの近くにもいるはずなんです、今は見えていなかったとしても。

おねがいです、死なないでください。死がいちばんの救いだ、という感覚、ほんとうに、わかります。でも、お願いだから、死なないでください。誰でもいい、誰でもいいから、周りの人に、辛いってこと、伝えてほしいです

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。いっしょに、がんばりたいです

きみのせいじゃないんだよ きみは悪くないんだよ

『レムの魔法』傘村トータさん



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