自分の文章を読み返したときに
昔は、自分の書いた文章は、後から読み返したときに恥ずかしいとか幼稚だとか、意味が分からないと思えないとだめなんだと思っていた。
昔の自分をわかるようでは、成長していないということだから。
けれど、昔から自分が昔書いたものは、表現が幼いとかありきたりだとか思うようなことはあっても、恥ずかしいと思ったことはなかった。
それがひそかにコンプレックスというか、だめなんだろうかと思っていたけれど、noteをはじめて、こんな風に毎日投稿するようになって、自分の書いた文章を読み返して恥ずかしいと思わなくても、なんかいいじゃんと思ってしまっても全然いいのではないかと思うようになった。
だって、自分で自分の書いたものを気に入ることができなければ、結局継続的に文章を書くことなんてできないのではないか、と思うからだ。
そして、継続的に文章を書くことができなければ、いつか文章を書くことは私の中から消えてしまって、かけるはずだった素敵な詩や、パチンとはまるエッセイは、もう2度と生まれない。残念なことだ。
(そんなものが書けるのかどうか、には目をつぶってやってください。)
それに、後からみても恥ずかしいと思わないようなものをかけるなんて上等じゃあないか!と明るくとらえることにした。
後から見て、なんかいいじゃん!と思えるということは、書いた当時の自分の気持ちをうまく言葉にできていたから、過去の記憶と呼応したのだろう、と思うことにした。
そう思っていないと、とてもnoteの投稿なんてつづけられないなぁ。
楽しくnoteの投稿を続けていられるの、とても素敵なことだ。
ところで見出し画像に使わせていただいたTURBOさんのパターン画、ミルキーの包み紙に少し似ていて、けれどそれよりちょっと切ない感じがする。
今の私の口には甘すぎるミルキー、だけど嫌いになったわけでもないし、食べると少し懐かしくて、いいね、と思う。
そういうことです、ということにしておこう。