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日記0927-できることが一つ増えた‐
最近プールにはまっている。
ナイトプールとか、晴天の下の楽しそうなスライダーとかではなく、市民プールである。
といってもまだそう何度も行っているわけではない。
今日で二回目。
プールに、それも市民プールに行こうと思った理由はいくつかあって、一つは純粋に泳ぎたいと思ったこと。
きらびやかなビキニや、青春を象徴する海には縁遠い生活を送ってきたので、私の「泳ぐ」ことに関する記憶は中学校までさかのぼる。
中学生のあいだは、とにかく15分間泳がされる15分間泳というものがあって、水泳が苦手で体力も大してない私には、ただの苦行だった。
小学生のときの水泳は、クロールで50メートル泳がなければ合格できない試験があって、私は正規の授業では合格できず、補修にかかり、その補修の最終日に先生の補助付きでなんとかクリアした。
とにかく水泳には苦い思い出がある。
高校生では水泳の授業がなく、大学生でも当たり前のようになく、ほっとしたものだ。
けれどそんな苦い思いでしかない水泳から何年も距離を置いていると、少しは恋しくなってくるもので、ちょっと泳いでみたいなぁなんて気持ちがふくれて、この夏水着を買った。かわいくない、機能的なもの。
そして、いざプールへ。
初めて土曜の夜に行った時も、平日のお昼に行った今日も、私くらいの年の人は見当たらず、まわりは中高年、もしくは60代以降かなぁというような客層。
各々それぞれの目的やレベルに合わせたコースで泳いでおられて、淡々とした空気感が心地よかった。
同じコースの人に迷惑をかけないように、ということだけ考えてとにかく泳げばよかった。
初めての時、本当に久しぶりに泳ぎだすと、10メートルもしないところで記憶がよみがえってきて、「あ、そういえばこんなにしんどいことだった!」と思い出した。私の脳は、水泳に関する苦しい記憶を随分と忘れてしまっていたようだ。
私は小学生の時の補修でなんとかできるようになったクロールしかできず、すぐに体力の限界が来る。クロールは体力消耗が激しい。けれど、本当はもっと長く、楽に泳いでいたい。
なので、2度目に来た今日は、一緒に来てくれた友人に平泳ぎを教えてもらうことにした。
私の平泳ぎは、2歩進んで3歩戻るみたいなところがあって、全く進まないし、しんどい。沈んでいく。改善して、平泳ぎができる人になりたかった。
まずは友人の美しい平泳ぎを見せてもらって、足の動かし方を見る。まずはまねること。動かし方を見て、その様子を言葉で説明できるようになるまで頭に入れたら、実際にやってみる。
やってみて、自分の思っているようにはいかないところを言語化して友人に相談する。言葉にすると見えてくるものがある。
できないことをできるようになるための努力の仕方を、私はこの22年間でずいぶん習得したんだな、とふと思った。大抵のことに通用する方法論が自然と自分の中に根付いていたことに気づいた。
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