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『風の歌を聴け』大森一樹監督

(パソコン通信ニフティサーブ時代の「現代詩フォーラム」で村上春樹と彼の『風の歌を聴け』を映画化した大森一樹監督の話題が出てそこでのぼくの書き込みですー2005年4月 )


昔、芦屋市立図書館で大森一樹監督の『Making of オレンジロ-ド急行』という本を借りたらサイン入りの著者寄贈本であったりして、同郷ということもあり、大森監督というのはなんとなく気になる人なのです。

たしか『ヒポクラテスたち』が公開されて間もないころのことなので、もう四半世紀前ということになってしまうのですが、大阪の某所で大森監督のアマチュア時代の自主制作作品の上映会がありました。
『暗くなるまで待てない』『明日に向かって走れない!』等を見たあとでゲストの大森氏をかこんでの質問コーナーがあって、そこでぼくが「パロディに関してはどんなふうに考えてられますか?」といった質問をすると、「パロディとかそんなんじゃなく・・・、ぼくは・・・好きな映画のシーンをなんかじぶんでもやってみたかったというか・・・」というようなことを、ボソボソとうつむき加減で言われたのでした。

なんだかはぐらかされたようでもあり、大きな体を丸めてこちらとほとんど視線を合わせようとしない様子など、正直「さえない男だなあ」などと思ってしまったのでした。当時の大森氏といえば、石井聰互監督とならんで映画青年たちの間ではスター的存在だったので、そのギャップから、そんな印象を抱いてしまったのかもしれません。

今にして思えばあれはパロディというよりオマージュというべきであり、ぼくの質問のほうがピントはずれだったのです。大森氏にすればいちいち説明するのがめんどくさかったのでしょう。

『風の歌を聴け』に関しては小林薫と室井滋のベットシーン(?)で、もうちょっとかわいい女の子をつかえばいいのに・・・、と思ったこととか、ラストのピーナッツの殻が舞うカットが美しかったこととか、この映画が興行的にこけたために、大森氏がその後数年間、映画を撮れなかったことなどが思い出されます。

(室井滋さんはあれがメジャー映画初出演だったそうで、当然、ぼくもまったく知らない(「自主映画界の女王」という鳴り物入りだったそうですが)女優さんだったので、「なんや、この子は?」と思ってしまったのでした。もちろんいまはたいへん魅力的な女優さんである、と思っています。)

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