大学時代と、受け入れられるということ
大学時代に起きたことと思ったことをつらつらと。
大学とは、自分が存在する場に自分に近い人間が多い可能性の高さを高めてくれる場所だと思う。
はじめは、強制的に。後々、自然に。
高校生までを納得いかずに過ごした僕は、ストレスを感じたまま大学に入る。
それまでの人間関係やらを不満に思いつつ。
行きたい大学を2つも落ちて。
まあ、金銭的には問題ない範囲だな、ということだけを胸に。
予備校に通うのも高いし。宅浪なんて怠惰な僕にはランクを下げることになるだろうし。
正直、妥協したぐらいの感覚だった。
入学前、交流会。同じ学科で少なくとも4年過ごすことになるメンバー数名と同じグループで、学内をあれこれ紹介されつつ回りつつ、というような会。あるある、だと思う。
そこで、リーダーシップお兄やんと出会う。
彼は今でも9人ぐらいのグループで何かしようとなったら最初に動き出す。
尊敬の2文字。
言い方はとても悪いが、彼が動きたいように動いてるだけ、とも取れなくはない。
が、(人前では)おとなしい人間が多い中我を出すというか。提案できる、が妥当な言葉ではあるが。ガンガン前に出てくる。
尊敬できるし、感謝もしている。
初めて夏フェスに行ったのも、そいつに連れて行かれたからだ。2人きりで。
のちに8〜9人ほどの大所帯グループになったが、その最初の1人に選ばれたのは光栄だ。
入学前ぐらいからしばらくは、そのリーダーシップお兄やん発信でほとんど動いていたと言っても過言ではない。
人数で言えばお兄やんスタートの友達は6割くらい。
彼がいたから彼の影に隠れながら僕が穏やかに過ごせる人間を厳選しつつ動くことができた。
利用した部分もある。が、本人から得たものもたくさんある。じゅうぶんだろう。
同じ時を大学生らしく過ごした長さでは、彼が1番長い。彼はロンダリングして上の学歴の大学院に行ってしまったが、それでも関係は続いて。
今も続いて。
彼との出会いが、僕に関わる人の数を増やしてくれたことは間違いない。
恥ずかしい話だが、「あなたの宝物は?」とか、「あなたの好きなものは?」と聞かれると、迷いなく「友人だけには恵まれてるので」という返答をする。
僕なりに僕を客観的に見て、本来は友だちが少ないまま生きている人間なのだと思う。
初対面の人とうまくやる能力が非常に低い。
人をすぐに嫌いになる。
根っこの部分が合う人間が少ない。
表面上だけはヘラヘラしても、すぐに根を上げる。
苦手だ。人と会うことが。
友人関係も、恋愛関係も、人との関わりができることの多くは友人の誰かを介して、だ。
そのせい、ということにしておくが、今は僕がオーガナイザーになって僕のツレ同士を会わせることが多い。
押し付けがましい。が、僕みたいな人間が得られた幸せを、少しでも得てもらいたい。とかいうクソみたいな発想だ。
友達がいなければ、引きこもるか死んでいる。これは断言できる。
正直言うと、今でも「死にたい=生きたくない」。しんどいやん?生きるの。
僕を外の世界に引きずり出してくれるのも、その先で悩んだときに話を聞いてくれるのも、全部、友人だ。
この日遊びに、飲みに行こうと言われれば、その日までどう生きるかというプラスのバイアスで生きることができる。
それまでに起こったマイナスな出来事も、友人が聞いてくれるから、どう話そうとかどう言えば聞いてくれるかとか、外に向けたエピソードに昇華する。
多少、盛る。
今、数少ない生きる理由であるところの作曲も、友人関係からの副産物だ。
生きていて面白くない。正直。
意味もなく価値もなく主張したいだけの人間が、主張したと勘違いできる行動。それが僕にとっての音楽になってしまっているという危惧はある。
音楽があるだけマシ。
とは、思っていたい。
自分が本気で思っていないことを軸として、主張を主張として受け入れられる場に飛び込むことだけはしたくない。
自分に正直でいることは大切だ。
それだけが、このクソみたいな人生で学んだこと。
自分を守るためだけに許されたこと。
自分は自分だ、と思わなければ生きていられない。
弱い人間だと思うけれど。
必死で縋りついた先にそれがあった。
自分を出すことを受け入れてくれた友人たちに感謝することしかできない。
僕みたいな人間に本気で死ぬなと思ってくれているツレがいる。
それだけで十分なのだけれど。
結婚しても、子供ができても、もう少し、僕と遊んでくださいね。