平清盛と高烏、子烏、八咫烏
数ヶ月前の事。広島県呉市の音戸の瀬戸辺りを車で走っていると、小さなサインが目に入りました。
吉川英治文学碑
え?その名前、、
なんだっけと頭を巡らし、Uターンをして、戻ってみながら二俣尾の吉川英治記念館を思い出す。1Q84のふかえりの実家散策で訪れた場所。
何故ここに吉川英治?
と不思議な気はしたものの、
なるほどそうか、平清盛つながりだと思い出す。
余談ですが、
1984と1Q84、
平家物語と新・平家物語
なんか被り方が似てるような?
音戸の瀬戸は、平清盛が沈む夕日を招き返し、一日で切り開いたとされている伝説が残る場所。
新・平家物語ゆかりの地なので、驚く事ではなかったのですが。
とりあえず、二俣尾で吉川英治記念館も行ってみた事だし、吉川英治の記念碑を見てみる事に。
音戸の瀬戸を見下ろし、音戸大橋を下に見る場所に記念碑がありました。
もしかしたら、本人が訪れた感じじゃなく、勝手に建てたのかな?という感じの岩を置いただけ感がなんとなくありましたが。
そういえば、平清盛が扇子を振って夕日が沈むのを止めている銅像を見に行ってみようと思い、高烏台というところへ行ってみました。
高烏、、、カラス?
厳島神社がカラスに導かれて建てられたとか、(清盛が導かれたわけではないものの)平家の家宝である刀の名前が小烏丸とか、清盛は烏に縁があるような。
宮島大烏伝説
他にも、音戸の瀬戸から呉市中央部に戻る途中には、アレイからすこじまという潜水艦が見える公園があり、以前は烏子島という島があったらしく、その後ろにそびえる山、休山は子烏が休んだ(もしかしたらタヒんだ)山とも言われています。
先日、動画でたまたま観たのですが、八咫烏のマークが海上自衛隊などに使われており、かつて日本の軍部の中枢が呉市にあったとか。
とはいえ、軍部の中枢になる以前にすでに古くから八咫烏に縁があったという気がしました。
休山には八咫烏神社もあり、天応にある天応山には神武天皇が東征のおりに立ち寄ったとされる祠もあり。(今はほこらは立ち入れそうにない状態)
さて高烏台へ行ってみると、
そこには盛大なケムトレイル笑
清盛の扇子にちょうど合ってて面白い写真になりました。
二俣尾に行った時もケムトレイル撮ったな〜と思いながら、平家物語とケムトレイルで東京と広島のつながりを感じた日でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?