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ペルシア文学のなかのワインの酒杯(その1 ハーフェズ占い実践編)

ペルシア文学におけるワインといえばやっぱり、まず思い浮かぶのがハイヤームやハーフェズです。今日はおまちかねのハーフェズをめくって、ちょっと文学的なハーフェズ占いを!

愛の旅人たる長老がそなたに酒を勧める時/「酒を飲み、神の慈悲を待て」と言う/ジャムの如く目に見えぬ秘密に達したくば/来たれ、世を映す酒杯の友となれ/世のことが蕾のごとく閉ざされていても/そなたは春風の如く結び目を解く人となれ

(黒柳恒夫訳「ハーフェズ詩集」平凡社)

詩のなかでワインを注いでくれる長老はハーフェズに愛や人生の旅路とは何たるかを教えてくれる神秘主義の長老で、心に困難を抱えたハーフェズに、「さあワインを飲んで、優しい神の慈悲を待つがよい」と諭します。

この詩のなかで神秘主義詩人のハーフェズは「ジャムの酒杯」という伝説の不思議なワイングラスを探し求める遍歴を重ね、疲れ切って長老のもとを訪ねたといいます。というのも、古のジャムの大王が持っていたというこの伝説のグラスにワインを注いでその中を覗き込むと、世界のありとあらゆる事象や目に見えない秘密が全て手に取るように映し出されるのです(!)

けれども「ジャムの酒杯」が得られない悲しみで心を曇らせたハーフェズに長老が諭すのは、「もしジャムの酒杯を覗き込んで真理に到達したくば、そなた自身がこの得難い酒杯の友となれ!」という禅問答のような言葉。もしハーフェズが愛する友に接するように愛情を込めてグラスを覗き込んでみたら、彼の手にした普通のワイングラスがたちまち伝説の酒杯に早変わりしてしまうのだ、とでも告げているかのように…

この言葉の真意を解するためのキーワードは何と言っても、古代から続くペルシア文化(もちろんイスラムではなくて)におけるワインの重要性です。古来ペルシア文化が育んできた聖なるワインは人生の象徴であって、ペルシア文学でワインを楽しむことは人生を真に楽しんで正しく生きることと深い繋がりがあるから。美味しい葡萄の収穫とワインづくりには計り知れない苦労と愛情を注ぐ必要があるのと同様に、人生も計り知れない苦労と愛情をかけてこそ甘美になるというもの。人々が古来ワインづくりや人生のために惜しむことなくかけてきた努力は、ハーフェズの詩では冬を春に変える優しい春風に喩えられています。

「さあワインを飲んで、優しい神の慈悲を待つがよい!」

「厳しい冬を春に変える春風のように、困難の結び目を解く人となるのだよ!」

これは、優しい春風のように人生を甘美にする努力を惜しまない者にはきっと、優しい神が慈悲を与えてくれるという、ペルシア古来の揺るがない信仰による言葉です。

だから禅問答のようなこの詩のハーフェズ占いを一言で言ってみたら、きっとこんな感じ。

「どんなに難しく無理そうに思えても、希望を持って正しく生きていたら、きっと春の訪れのようにふと本当の幸せが見つかるはず。」

もちろんハーフェズの難解な神秘主義詩は幾重にも解釈できるのが味噌なので、これは私流のハーフェズ占いなのだけれど…

こんなハーフェズ占いを信じてみたくなったら、人生の代名詞たるワインを注いでとにかく前向きに生きるのみ。手にしたのはごく普通のどこにでもあるワイングラスでも、世界を映し出し困難を解決してくれる伝説の酒杯に変えてしまう力がきっと誰にでもあるのだから。

(Copyright Tomoko Shimoyama 2019)

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