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【シロクマ文芸部:流れ星】SS:嘘つき流星

 流れ星が一つ、流れていった。
 無機質な病室の窓から、私たちは夜空を見上げていた。

はるかちゃん、願いごとした?
うん、したよ。裕樹ひろきくんは?
したよ、叶うといいね

 これが彼と交わした最後の言葉だった。


 丈夫なのが取り柄の私が、激しい頭痛に襲われたのは一ヶ月前。眩暈も起こすようになり、立っているのが難しい日もあった。

 頭部CTを撮ってすぐ原因がわかった。脳幹に腫瘍があるらしい。主治医は申し訳なさそうに言った。

悪性の腫瘍です
難しい場所にあるため
手術は...厳しいと思います

 化学療法も適用だったが、腫瘍の大きさと成長速度からして副作用の割に効果は限定的だと告げられた。

 もうさほど長く生きられない。現実の重さに息が苦しくなる。左手を胸に当てて深呼吸しながら思った。

 この事実をどうやって裕樹くんに伝えよう。こんな私を受け止めてくれるだろうか。いや、きっとあの人なら全力で支えてくれるはず。

 だけど、私が弱っていく姿を目の当たりにしたら?いずれ彼の態度も変わってしまうかもしれない。これまでの延長ではない未来が怖くなった、想像だけで震えるほど。

 だからあのとき、私が流れ星に願ったのは「裕樹くんと別れたい」だった。


 願いが届いてしまったのか、翌日から彼は忽然と姿を消した。

 検査入院してから毎朝、ひょっこり病室に現れ「いってきます」と挨拶してから出社する裕樹くんは、仕事帰りにも必ず寄ってくれた。看護婦さんに冷やかされたけど、彼の顔をみると元気も食欲もでた。

 そんな彼が急にぱったり来なくなった。私は日がな一日、泣いていた。泣くことしか出来なかった。ただ泣き続けるうちに次第と彼の不在に慣れていった。

 十日後、主治医が突然、私の病室に飛んできて「昨日やったMRIを今からもう一度受けて欲しい」という。どうしてそう何回も必要なんですかと聞く私に先生は言った。

消えたんだ
腫瘍がまるごと

 冗談はやめてと思ったが、MRIの結果、腫瘍は本当に消えていた。ただ吐き気が止まらない私は、たまさか本当だとは思えず不調を訴え続けた。そこで驚きの事実が判明する。

お腹に子どもがいる

 私は境遇を呪った。だって不治の病だから別れたいと願い、それが実現してしまったのに、今更、病気が治って、しかも戻ってこない人の子を身ごもっている。そんなことってある?


 そうはいっても十月十日で子どもは生れてくる。それからはジェットコースターのような日々だった。

 母親として慈しむだけでなく、父親の役目も背負って稼ぎ、一端いっぱしの大人に育て上げなければならない。

 私のプレッシャーを知ってか知らずか、彼と眺めた流れ星から流星りゅうせいと名付けた男の子はすくすくと育っていく。

 初めて歩いた朝、拙い言葉を喋った日、入学式、二人だけの家族旅行、制服姿、志望校に合格、えっ、来年もう大学生?

 もちろん辛い日もあった。父親がいないことで虐められたり、喧嘩して帰ってきたこともある。反抗期には暴れて壁に穴を開けた。

 そんな夜は闇空に流れ星を探して問うた。

 ― 裕樹くん、今、どこにいますか?

 むろん返事はない。

 流れ星は周期的に飛来する彗星の欠片かけらだ。検索すると、私たちが願いを託したのは、18年周期で地球にやってくるネウイミン第一彗星ということがわかった。まさに今年、再来する。

 私はどうしても聞いてみたかった。本当に私の願いが叶って、裕樹くんと別れてしまったのか、彼はどこに消えたのか、なぜ連絡もないのか、そしてあのとき、彼はなにを願ったのか?

 それだけが心残りだった。でも、もう間に合わないかもしれない。私は病室にいた。脳腫瘍が再発したのだ。奇跡に二度はない。私は死期が近いことを知っていた。


 僕は病室のドアを開けた。母は眠っているように見える。枕元に近寄ると、微かに目元が揺れた。

母さん、遅くなってごめん

 母は軽く目を開けて答える。もう会話をする力も残っていないのだ。

ネウイミンの流れ星に
会ってきたよ

 母の瞼が震える。その思いを汲み取るように、小さくなった母の手を握った。

僕も
知らなかったけど

流れ星は
一人の願い事しか
叶えられないんだって

あの日、叶ったのは
母さんのじゃない

父さんの
願い事だったんだ

 僕の手の中で母の指が動く。その指の上にもう一方の掌を重ねた。

父さんは母さんのために
祈ったんだよ

僕の命をあげるから
遥ちゃんを助けてほしいって

そして願い通り
父さんが身代わりになって
母さんは助かったんだ

 一瞬、母の唇が動いた気がした。そこには言葉になる前の何かが漂っていた。僕は続けた。

あのとき
ネウイミンは知ってたんだ
僕のことを

だから父さんの
願いを優先したんだよ

 母の目からこぼ れた涙が目じりを伝う。そして少しづつ母の手から力が抜けていくのを感じた。

 僕はもう何も言えなかった。だから心の中で呟いた。ひたすら届くことを願いながら

もう十分だよ
母さんは
すごく頑張ったんだ

今まで本当にありがとう


 それから瞬く間に時間が流れた。葬儀や諸々の手続きに忙殺されて、きちんと悲しむ余裕すらなかった。

 最後の最後に僕は嘘をついた。ネウイミン彗星の飛来には早かったし、流れ星が喋るわけがない。

 当時の父は、今の僕より少しだけ年上だろうか。僕が母のお腹にいることは知らなかった、たぶんそれは本当だ。ただ彼女が助からないかもという予感はあっただろう。

 母の闘病中、僕は何度も逃げたくなった。辛かったのだ、母が母でなくなっていくのが。でも、僕は踏みどどまった。母親だったから。もし彼女だったらどうだろう。僕にはわからない。逃げたかもしれない。

 本当のことなんて誰にもわからない、薮の中だ。たとえ嘘だって、母は「父の命をもらって僕を産んだ」そう信じて旅立った。母にとってはそれが真実だ。それは僕にとっても。

 僕には生まれたときから父がいない。母だってもういない。でも母のために命を捧げた父と父のために別れを選んだ母、その二人の間に生まれた子だと信じてこれからを生き抜く。

 窓の向こうを走る流れ星に僕は誓った。



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