【シロクマ文芸部:夏の雲】SS:シロクマ物語
夏の雲が眼下に広がる。僕を乗せたスカンジナビア航空機はノルウェーへと向かっていた。
成田からコペンハーゲン経由でオスロまで約16時間。さらにスピッツベルゲン島まで3時間かけて国内線を乗り継ぐ。到着したら空港バスに乗ってホテルに直行だ。
チェックインを済ませたら一息つく間もなくホテルのバーへ。アポイントメントの相手は大柄なシロクマである。
ダイキリを片手に仕事の内容を説明する。7月末までの二週間、日本に滞在して働いてもらう。その報酬は宿泊代+食事付きで6,000クローネ。決して悪くない話だろう。
だが大半のシロクマはなかなか首を縦に振らない。極東の縁もゆかりもない都市で夏を過ごす不安に加え、高待遇が却って胡散臭く思えるらしい。
そこで僕は一通の封書を差し出す。
草野マサムネ氏からの推薦状だ。彼の歌は、かの有名なシロクマ以来、シロクマ界隈で絶大な人気がある、特にすごく疲れたシロクマには。
案の定、推薦状に目を通すやいなやシロクマはすらすらと雇用契約書にサインした。
そうと決まったら気が変わらないうちに奴さんを引っ張って空港に戻る。一番早い航空券を押さえて成田まで蜻蛉返りだ。
空港で大型タクシーを捕まえてアマン東京に移動する道中、夏の雲が足を広げて空に腰掛ける姿が見えた。時差ボケで頭がくらくらするがまだ休むわけにはいかない。
33階のフロントでスイートのカードキーを受け取る。専用エレベーターで上り、38階の扉が開くと青空、高層ビル、皇居のガーデンビューが広がっていた。
東京観光がしたいというシロクマを宥めてハチミツを飲ませる。旅の疲れから甘味を欲しているのかぐびぐびと飲み干すが、そのうち飽きて唸りだす。
くまのプーさんじゃねぇんだ
もう飲めねーよ
慌ててハチミツにラム酒を混ぜた。ほろ酔い気分にさせてピッチを上げるのだ。
おい
ツマミはないのか
ベッドでだらしなくハチミツを舐めながら管を巻くシロクマに、僕は山盛りのマシュマロを勧めた。
貪るように食い散らかすシロクマ。野良熊はマナーを知らない、でも野性味溢れるいい仕事をするから仕方がない。もう少しの辛抱だ。
辛いもんも
食わせろや
はいはいと僕はマシュマロにカイエンペッパーを振りかけた。
一時間ほどの饗宴の後、満足したシロクマはいびきを立てて眠り始める。その左耳に大さじ一杯の重曹を注いだ。
― ふぅ
窓越しにしばらく、綿菓子のような積雲が太陽に反射して泳ぐ様を眺めてから僕は腕時計に目をやった。
― そろそろか
ぶ、ぷぅぅぅぅぅぅぅ〜
シロクマのお尻からむくむくと白い発泡体が立ち昇り、広大な室内を埋め尽くす。
僕は息を止めて、もこもこ煙をかき分けて進み、限界まで手を伸ばして断ちバサミで根元からばっさりと切った。
そして出来立てほやほやの雲を掴むと寝室の窓から空へと放つ。
生まれたての雲はよちよちと歩きだし、外気を吸い込んではちきれんばかりの綿雲となる。やがて立派な入道雲に成長するだろう。
一頭のシロクマから採れる夏の雲は限られている。今年はあと三頭ほどピックアップする必要がありそうだ。
それが終わったら冬眠の準備に取りかかろう。とりあえず今はきんきんに冷えたビールを飲んで休みたい。僕だってすごく疲れたシロクマの端くれなのである。
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