#205 本を本棚へ

読み終わった本を、本棚に仕舞い込んだ。

私は新しい本を手に入れると、まずメイン本棚の上にドカドカと平置きし積み上げてしまう。メイン本棚の上には、その本棚の中に仕舞い込むのが難しい大型の本が縦に並んでいる。図録や雑誌、絵本なんかが主だ。それらが隙間なく並んで新たな棚を形成しているので、そこに新しい本が積まれていく。

本を買ったとき、私は読み終わるまでその本だけを読むわけではない。数冊あれば、それらを並行してその日の気分やシチュエーションに合わせて読んでいくことが多い。

仕事終わりに少しリフレッシュしたいときは気軽なエッセイや、児童書。パンやお菓子を焼くなど、待つ時間が長い料理をする合間には国内・海外の小説。気合を入れて新しい知識を得たい時には、カフェに行って哲学書やハウツー本、新書などを読む。

こんな読み方をしているから、本棚の上にはいつも数冊の本が散乱している。いや、厳密には他者には散乱しているように見えるが、私の中ではある程度の秩序のもとに置かれている状態だ。なので、あまり人に見せられるものではない。

中には、一度読んだ後でも何かにつけてページを捲る必要のある本が面置きされていたり、何となくここにあることで寄り添って欲しい本が置かれていたりもする。

でも、それらも本棚にしまう必要が出てくる。

やはり、それらが散乱している状態というのは見た目的にもあまり良くないと思っているので、読み終わってしばらくして「満足したな」と思ったところで、やっと本棚にしまう気になる。

本を本棚にしまうとき、何となく本を自分の中にある金庫に仕舞い込むような心地がする。

奥にしまい、鍵をかけて、しばらく経つとその本で得たことが熟成されて私の一部になっていき、そしてその詳細は朧げな記憶という宝に化していく。そんな気がする。

本棚に本を仕舞い込むと「そういえば……」と気になったときにしか開けることがない。でも、本を読んで得たものは確かに私の深いところに残っているのだ。並行して読んでいようと、その本の魅力や感動、喜びは色褪せることなく、一つの偉大な塊となって私の胸に落ちる。

だから本棚にしまうとき、どことなく私は儀式的な心地を感じてしまう。本で得たものを、本当の意味で自分の中に飲み込んでいくような、ある種本で描かれていることを私の一部として同化させていくような、そんな心地に。

本を本棚にしまう神聖な儀式を終えたところで、メールが届いた。この間注文した新しい本が届くらしい。

さて、その本が本棚に仕舞われるのはいつになるだろうか。早く会うのが楽しみだ。

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