結果論
私は母を失ったが、父は愛する人生の伴侶を失った。
プチ単身赴任的な生活なので、幸い簡単な調理から掃除洗濯など一通りの家事は一応できるし、仕事もあるので四六時中悲しみに溺れずにすむだろうとは思うが、私の味わう悲しみや寂しさの何倍もの辛さを味わっていることを想像すると、それだけで泣けてくる。
1回目の月命日を迎える前日、父が、家族のLINEグループで私たちに向かって、母をみすみす逝かせてしまったことを謝った。時間が私たちの悲しみを癒してくれるだろうけれど、それはいつになるのだろうか、と悲しみに満ちた、本音のメッセージだった。
伴侶を失うということは、きっと子にはわからない悔いや反省が残るのだろうと思う。私も、母が亡くなった直後は、あまりの悲しみに慄いて、こんな悲しみをこれからも味わうことになるくらいなら、もう家族たちとも縁を切り、ただ一人で生きていきたいと願うくらいだった。
けれど・・・
母が旅立ち、ただ唯一本当に良かったと思うことは、誰よりも家族を愛し、家族のためを思って生きてきた母だから、私たちの誰かを喪うこの強く鋭い悲しみを母に味わせなくて済む、ということだ。きっとそうなったら母は、毎日悲しみに暮れ、自分を責め続けたかもしれない。そういうふうに悲しみを母に背負わせずに済んで、本当に、本当に良かった。
結果論だけど、それだけが救いだ。