天命
母の死はあまりに突然で、最初私は、母はきっと悪魔と契約して自分の死に時を選んだに違いないと思っていたくらいだった。
これからの楽しみと全て引き換えにしてでも、これから起こりうる辛いことを経験せずに済むように。
そのくらい唐突で、あっけなかった。
母の死の前日に、母が自分の家族に久しぶりに会いに行ったり、母の葬儀が全て済んだ1週間後にちょうど親戚が遊びに来る予定になっていて、父をはじめわたしたち家族にとっても良い気晴らしになったり、と、あまりにも図ったかのようなタイミングの出来事がいくつかあって、でもそれはかなり前から決まっていた予定だったから、この予定が決まる前から母の寿命は決まっていたのかな、とふと思ったり。
母のいないことに全く慣れない。すごく寂しくて、会いたくて、悲しい。
一つ前の記事でも触れたが、父が母の死に対し、幾ばくかの責任を感じていた。だけど、もちろん父のせいでは全くない。母は自分で死に時を選んだのだろう。 死を持って母の魂は自由になったのだと言われれば、そうかと思うし、心穏やかな時は母の死が、この大きな世界の流れの中でごく自然なことのようにも思えたりもする。
母は、最期の一瞬まで、生きた。それは間違いないし、母が天寿を全うしたことがわたしは誇らしい。
これからの私の人生で、つらいとき物理的に側にいて、声をかけたり、肩を抱いたりしてくれないことに、恨みを覚えたり、怒りを感じたりする瞬間もあるかもしれない。それは私がいくつになっても、母の娘だから。だけど、母が生きたことを、その生き方を、私は尊敬し、讃え、感謝したい。