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「あなたのことが心配」

人を心配をするのが得意な人がいます。そして、そんな人は大体自分が心配している事を告げに来ます。

心配された方は全く心配いらないのですが、丁寧に説明しても心配をしてきます。これはどういう事なのか…心配が好きなんだと思う。そんなに心配するなんて、心配して得られるメリットがあるから心配をするんだとしか思えないよ。

一体、心配する人は何故心配をするのか、その生態に迫ってみる!

①自分の正しさを訴えることができる

基本的に心配人が心配を告げに来るのは、心配人のいう事を聞かなかったときだ。「(私のいう事を聞かないなんて、バカに違いない!)心配だ!」と言っている。これのズルい所は自分が間違っても傷が付かないということだ。自分が正しいとは言ってない、心配だと言っただけなのだ。間違った時にダメージを全く負わないが、自分が合っていた時には、最大限に得意顔が出来る所が癪に障る。「だから言ったじゃない!」と言いたい。「私が正しい」と言いたい。「私はご意見番なの」だと言いたい。あまりの面倒臭さに、うっかり服従してしまいそうになる。構造としては冤罪が生れる時と同じではないか。

②何もしなくて済む

心配とは手も出さず、口だけ出すことができる必殺技だ。全く労力が掛からないのに、手間を惜しまない労力と同じだけのアピールが出来るのだ。なぜ何もしない奴にそこまでのアピールをされないとならないのか?その理由は①にある。

③何もしてないけど、なんかやった感がある

心配すると、頭の片隅で考える。考えることで、何だかやった気になるのは、いつまでもヤラナイ起業と似ている。起業しないのに、起業した人と同じレベルで話をしを出す。当事者でもないのに、当事者と同じような気分に成れるのはバーチャルリアリティー(VR)的だ。そうして経験値を稼いだ気にもなれる。最近のセクシーVRは…とっても経験値的ではある。

④他者を気遣かっているというネタが持てる

あまりに心配すると、心配自慢ができる。自分が如何に正しくて、どれだけ他者を思いやることができる存在なのか。「あんまりにも、あれだから、言ってやったのよ!でも、全然理解してくれなくて~もぉ、しんぱーい!」

心配してくれた人を散々意地悪く書いてみた。が「心配をしてはいけない」ということではなく、心配の仕方ってものがあるのではないか?と思うのです。

ポーズばかりの心配ではなくて、自分を満たすための心配でもなくて、相手の失敗を包み込む覚悟が綺麗な心配の仕方ではないか、と。

まあ、心配されるが好きな人もいるから、心配人だけの話でもないのだけれど。

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