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宇宙移民時代に地球語はどうなる?

ある朝、いつも通りベラベラ喋りながら歩いてミーちゃんを学校に連れて行ったのだが、学校が近づきクラスメイトとよく会うあたりになると彼女は急に英語に切り替え僕にこう言った。

「ダディーも英語使ってよ!」

ああ、ついに来たか。僕は思った。移民の子には、親の外国語や訛った英語を「恥ずかしい」と思うお年頃がある。移民家庭が必ず通る道とは聞いていたが、こんなに早いとは。

東京っ子が親や祖父母の方言を「恥ずかしい」と思う心理と同じである。若い頃に上京した人は努めて訛りを隠そうとした経験があるかもしれない。

実は僕も昔、英語のアクセント・リムーバル(訛り矯正)のレッスンにお金を払って通ったことがある。

職場にドイツ人の母を持つ同僚がいる。しかし彼女のドイツ語はあまり流暢ではない。5歳の頃(ミーちゃんと同じ歳である)、彼女は母親にこう言ったそうだ。

「もうドイツ語を喋らないで!」

傷ついたのか、彼女の母はそれ以後家庭内でドイツ語を一切使わなくなったそうだ。そのことを彼女はとても後悔していた。

みんなと違うことは恥ずかしいことではなく素敵なことなんだよ。そんなことを、最近はよくミーちゃんに言い聞かせている。自分の民族的・文化的ルーツに誇りを持って欲しいとも思っている。だが、そのようなことを理解するのはまだまだ先だろう。

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Image: Glendale Community College

東大にいた頃、地方出身の友人がたくさんいたが、ほとんどは訛りのない標準語を喋った。努めて矯正したのだろうか。あるいは、現代ではテレビで標準語が全国に浸透しているから、小さい頃から喋れたのかもしれない。

だが東京にあって、訛りを決して直そうとしない頑固なグループがひとつだけあった。その人たちは訛りを隠そうともせずし、努めて維持しようとさえしていた。そのグループ内では逆に標準語を使うと「裏切り者」扱いさえされていた。

関西人である。

そもそも関西人は関西が「地方」だとは思っていない。東京人の言葉は標準語ではなく「東京弁」である。京都にはいまだに京都が首都だと主張する人さえいるらしい。(事実、明治時代の東京奠都は遷都ではなく天皇の行幸という形をとった。だから150年間天皇が東京に「旅行」しているだけだ、というのが彼らの主張らしい。)

つまりは、関西人は東京に対する文化的劣等感が皆無なのである。今でも彼らは「上方」なのだ。

そしてやはりテレビの影響は大きいと思う。もう15年ほど日本のテレビをほとんど見てないので状況は変わったかもしれないが、僕は金沢弁がテレビで使われているのを見たことがない。だが大阪弁ならば人気者の芸人たちがみんな使っている。だから東京の小学校でも関西弁を喋れればそれだけで人気者だ。(ちなみに東京っ子は大阪弁、京都弁、神戸弁などの細かい違いがわからないので、関西弁ならどれでも「大阪弁」として通用する。)

実はアメリカでも、外国訛りを決して直そうとしないグループがある。その人たちも関西人のように努めて訛りを維持しようとさえする。

イギリス人である。

彼らはイギリス英語こそが「本家」だという自負がある。アメリカに対する文化的劣等感も皆無だ。やはり大衆文化の力は大きいと思う。イギリス英語はビートルズやハリー・ポッターが喋る言葉だからだ。

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Image: NASA

しかし、関西弁やイギリス英語などの例外を除けば、テレビや映画やインターネットはマイノリティの言語や方言を失わせ、言語を均一化していく圧力として働く。

そもそも方言や言語が分化するには、文化的にある程度隔絶された環境が必要だ。テレビやネットはこの隔絶を取り払った。地球に新しい方言や言語が生まれることはもう殆どなく、逆に減る一方だろう。

事実、UNESCOによると、世界に7000ほどある言語の約3分の1にあたる2473言語が「絶滅の危機」にあるという。

では、このまま人類の言語はどんどん均一化していくのだろうか。

少なくともある時までは、そうだと思う。だが、おそらくかなり遠い将来、その傾向が逆転する時が来るかもしれない。

未来において人類の言語的多様性を増加させる要因となりうるものは何か?

宇宙移民である。

もっとも、月面都市では新しい言語や方言は生まれにくいだろう。地球との隔絶度が低いからだ。地球との通信時間は往復で3秒弱しかないから、ディレイはあれども地球とリアルタイムで会話できる距離である。インターネットも地球とブロードバンドで結ばれるだろう。「YouTubeばかり見てないで宿題をしなさい」は月面都市の家庭でも常套句になるかもしれない。月面からのテレワークも可能だろう。きっと関西人は月でも関西弁を喋っているに違いない。

だが、火星となると話は変わる。地球との往復通信時間は短くて7分、長くて44分にもなる。しかも2年に1, 2週間ほど、地球と全く通信できない期間がある。火星から見て地球が太陽のほぼ裏側に入ってしまうためだ。おそらくこの問題は地球―太陽のラグランジュ点(L4, L5)に通信衛星を浮かべることで解決されるだろうが、通信ラグはさらに大きくなる。

火星に多くの人が住むようになった未来、おそらく火星には地球とは独立したインターネットが築かれるだろう。双方に巨大ミラーサーバーが設置され、火星のミラーサーバーは地球の全インターネットのデータを蓄え定期的に更新するだろうから、静的なデータならば火星からもアクセスできる。だがさすがにリアルタイムの会話は無理だ。

だから、未来の火星都市は地球とある程度隔絶した文化的環境に置かれると思う。何百年かするうちに火星の人たちが話す英語と地球の人たちが話す英語には微妙な差が生まれるかもしれない。新しい方言の誕生である。

だが、火星では書き言葉の分化はあまり起きないかもしれない。数十分のタイムラグがあっても本や記事はお互いに読まれるからだ。何千年か先の未来、火星の日本語と地球の日本語の発音やイントネーションが意思疎通不可能なレベルまで乖離しても、ちょうど北京語と広東語のように文字チャットでは意思疎通ができるかもしれない。

さらに遠い遠い未来、人類が何十光年、何百光年も離れた系外惑星に移り住むような時代になると、数千年から数万年のスパンでそれぞれの星系に独自の言語が発達するかもしれない。まるでスターウォーズの世界のように、銀河系が多様な言語で溢れるかもしれない。もし地球外文明とコンタクトすれば、意思疎通のために全く新しい種類の言語が生まれるかもしれない。

日本語圏の中心が関西から東京へ移り、英語圏の中心がイギリスからアメリカに移ったように、いづれ人類文明の人口や経済の中心は地球ではなくなるかもしれない。その時代の宇宙のリンガ・フランカは、どこか遠くの系外惑星で生まれた英語や中国語の末裔かもしれない。

それでもきっと、地球人たちは頑固に「地球語」を使い続けるだろう。ちょうど関西人やイギリス人のように、地球こそが人類の出身地だというプライドがあるからだ。

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話は現代の小野家に戻る。ミーちゃんのクラスでは毎週、順番で誰かひとりが「シャイニング・スター」になる。その週のスターの子は模造紙に家族や趣味の紹介を描いてきて、それが1週間クラスルームに掲示される。

「ミーちゃん、日本語のお名前も書いてあげたら?みんながクールって言ってくれると思うよ!」

僕はそう勧めたのだが、ミーちゃんは嫌な顔をしてこう返した。

「えー、やだよー、だってみんな えいごしか かいてないよ」

みんなの目が気になるお年頃である。アイデンティティは押し付けるものではないし、ルーツを語るにはまだ早すぎる。

大らかな目で見守りつつ、いつか彼女が自分の日本語の名前を誇りに思ってくれる日が来るといいな、と思った。

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小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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