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映画『わたしの叔父さん』広い世界と自分の役割(ネタバレ感想文 )

2019年のデンマーク映画。いい映画でした。

デンマーク映画って馴染みが薄いかもしれませんが、私は世界最高峰のイカレ監督ラース・フォン・トリアーをよく観るんで、意外と観てるんです。デンマーク映画だから観てるわけじゃなくて、結果としてデンマーク映画だっただけですけどね。

ラースは別として、デンマーク映画で有名なのは『バベットの晩餐会』(87年)ですかね。あと私はクリストファー・ボーという監督の『恋に落ちる確率』(03年)が好きだった。また観たいな。『獣は月夜に夢を見る』(14年)とか『ギルティ』(16年)とか、なんだか1、2年毎にデンマーク映画を観てるな。案外当り映画を引いている気がする。ラース以外は。

単に私が単館系映画をよく観るということなんですが、本当は単館系映画なんていうジャンルはないんですよ。何が言いたいかというと、映画はハリウッドだけじゃない、世界は広いんです、ということです。
あと、私はしばしば「映画は時代も国境も越えない」という考え方を支持しますが、ならば私の「想像」が時代と国境を越えて作品に近づけばいいと考えています。なので、何年にどこで作られた映画かということは割と重視しています。ま、想像なんで限界はありますけど、少しでも作品世界(背景)に近づいて、知らない世界を知ることが出来るのは楽しいことです。そういや淀川長治は「映画は社会を知る窓」と言っていたな。

前置きが長くなりましたが、やっと本題。

主役は「叔父さん」ではなく「わたし」です。
「わたし」が14歳から12年間、「叔父さん」と二人で暮らしていることが少しずつ明らかになります。
阿吽の呼吸で暮らす二人の日常が淡々と綴られますが、「わたし」の出会いで変化が生じます。

特に朝食のシーンが顕著ですが、同じような日常でもカメラ位置が変わります。
そして、デート後、最初で最後唯一のBGMが流れます。
それまでブツ切りのようなカット繫ぎで(文字通り)切り取られていた日常が、BGMに乗って流れるように描写されます。
そして、(ネタバレですが)いろいろあって元に戻った後の朝食シーンは、最初と同じアングルで撮影されているという仕掛けです。

食卓のテレビではニュースが流れています。
「サミット」「デモ」「移民」「トランプ」「北朝鮮」etc.
世界は広いんです。
こんなデンマークの農村でも、世界のニュースに触れています。
皆さん、どうですか?
タイムラインの中だけで暮らしていませんか?
この時代にスマホを持っていなかった主人公の姿に、ふとそんなことを思いました。

ちょっと別な話。

映画内のニュースで、移民に関する話題が何度か出てきます。
フィンランドのアキ・カウリスマキが『ル・アーヴルの靴みがき』(11年)、『希望のかなた』(17年)で移民・難民を扱っていますが、特に『希望のかなた』では、移民を排除しようとする極右思想の悪人が出てきたり、移民に関して登場人物が熱弁をふるったり、およそカウリスマキらしからぬ描写に少々戸惑った覚えがあります。
フィンランドのカウリスマキが声を荒げるほど、ヨーロッパ各地で移民・難民問題は深刻なのでしょう。

この映画でも、リビアの監視船が強化されて海からの移民が減ったというニュースが流れます。フランスが移民をイタリアに押し返しているというニュースも流れます。
結果、今ではイタリアが移民を締め出し、アフリカからの移民は海じゃなくて陸路だそうですよ。アフリカからヨーロッパへ陸路ってどうするんだろうと思うでしょ?北アフリカにセウタっていうスペインの飛び地があるんです。そこのフェンスを越えて侵入するそうですよ。土地はアフリカでもスペイン領。フェンスを越えるまではボコボコにされるけど(何度も失敗するけど)、フェンス越えて移民局に駆け込んじゃえば勝ちだそうです。世界は広いんですよ。
映画とは関係ない話ですけど、ちょっと思い出したもので。

閑話休題

私はこの映画は、主人公の女性による「自分が必要とされることは何だろう?」という「自分の役割探し」の物語だと思います。
叔父さんの介護なのか、獣医(助手)なのか、恋人なのか。

自分の居場所探しとも言えますが、彷徨ったり迷走しているわけではない。
理想と現実の話とも言えますが、そのギャップに悩んだり苦しんだりしているわけでもない。
彼女は、「広い世界」の中で、「自分を必要としている場所」を探し、「自分らしい生き方」を探しているのではないでしょうか。

一方「叔父さん」も、自分が彼女の生き方を狭くしているのではないかと考えます。
そして少しずつ、彼女を手放そうと努めます。まあ、デートには同席しちゃうんですけど。

前述した、朝食の食卓に代表される「同じ日常に見えるけどカメラアングルが異なる所からまた元に戻る流れ」は、「叔父さんのわたし離れ」ともリンクするのです。
もちろん、まるっきり元に戻るわけではありません。
これから先、年月を経て、いつかこの関係もテレビと同じように壊れる日が来るのかもしれません。

先に長々と移民・難民の話を書きましたが、移民・難民と障害を抱える叔父さんとリンクした「厄介を背負う話」かと、実はちょっと思ったんです。
でも違いました。
「思いやり」と言ってしまうとチープですが、「わたし」と「叔父さん」は互いを思いやる優しさで結び付いているのです。
世界はこんなにギスギスしたニュースが溢れているのに。
もしかすると監督は、「世界にはもっと思いやりや優しさが必要だ」と言っているのかもしれません。

余談
デンマークって教育費と医療費が無償なんですって。だから彼女は「学び直し」に気持ちが揺れるんです。いつでも学べるっていうのは、生き方の多様な選択肢を与えるような気がします。優しい世界だな。もっとも所得税は50%、消費税は25%とられる国らしいけど。

余談というかどーでもいい話
獣医を目指している学生に聞いたんですが、人間相手の医者は内科だ外科だ胃腸だ耳鼻科だと専門が分かれているけど、獣医はあらゆる動物のあらゆる部位を対象とするから大変だと言っていました。しかも人間と違って「症状を話してくれない」。言われてみれば当たり前なんですけど。
ちなみにその学生は競走馬の面倒をみたくて獣医を目指したそうですが、実習に行って「干し草アレルギー」が判明して断念したそうです。世界は広いな。どーでもいい話だけど。
(2021.02.22 恵比寿ガーデンシネマにて鑑賞 ★★★★☆)

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監督:フラレ・ピーダセン/2019年 デンマーク(日本公開2021年1月29日)

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