青森旅行をした備忘録
主に映画の感想文を書いていますが、2泊3日の青森旅行をしたので、備忘録もかねて雑文を書きます。
まず東北新幹線はグランクラス!
ちなみに東京駅から新青森まで船越英一郎も乗ってました。
彼はグリーンだったけどな。青森で事件でも起きたかな?
ヨメが軽度の乗り鉄でして。
今回は東北新幹線の他、新青森ー青森間の「JR奥羽本線」、青森から宿泊先の浅虫温泉の往復は「青い森鉄道」、弘前に行って本当は「弘南鉄道」にも乗りたかったんだけど、あいにく登場予定の大鰐線は脱線事故があったとかで不通でした。
青森に旅行したいねと夫婦で言い始めたのが20年前くらいで、そのためには太宰治『津軽』を読まなきゃいけないという話になって読み始めたものの、なかなか読み進められないままやっと10年くらい前に読了して、じゃあいよいよ青森旅行しましょうかと言い始めたのが5年前くらい。
だいたい、これくらい呑気に暮らしています。
影の目的は「乗り鉄」と「酒呑み」だったので、2泊めは「ワイナリーホテル」という山の上でワインの醸造をしているホテルに宿泊し、ワイン飲み放題。あとシードルね。リンゴが名産だから。
結果、青森の地酒(日本酒)はあまり飲みませんでした。
まあ、近所に青森のお酒を出す居酒屋があってよく呑むもんで。そこで田酒の社長に会ったこともあるし。
「七力」という地元でしか売ってないという日本酒を呑んだな。
やっと本題。主目的は棟方志功でした。
生誕120年で、東京国立近代美術館に巡回する前に見てしまおうという魂胆。
まず棟方志功記念館
宿泊先は棟方志功が好んで逗留し、作品を制作したというゆかりの宿
そして、青森県立博物館。
棟方志功、仕事量多すぎ。作品多すぎ。
青森県立美術館は広すぎ。
そういうわけで、棟方志功の原点はねぶたと凧絵とゴッホなのではないかと思ったのでした。
青森県立美術館はシャガールの展示もあったけど、まあ、広いったら。
私は「青森県が生んだ5大アーティスト」と呼んでいる人たちがいまして、
それが、棟方志功、太宰治、寺山修司、奈良美智、映画監督の横浜聡子です。ああ、ナンシー関もいたな。
なもんだから、青森県立博物館にも弘前のれんが倉庫美術館にも奈良美智作品がドーン!
横浜聡子『いとみち』(2020年)は浅虫海岸とか岩木山とか出てくるんですよね。
天気悪くて、浅虫海岸はイマイチの写真。岩木山も撮れなかった。
そういうわけで、影の目的「聖地巡礼」。
横浜聡子『りんごのうかの少女』(2013年)とかね。
見渡す限りリンゴ農家なんで、どこが聖地か分からんけど。
あとは横浜聡子は関係ないけど、かつて青函連絡船が出てた青森港とかね。
内田吐夢『飢餓海峡』(1965年)の聖地(笑)。
あと、近くを通っただけだけど、『八甲田山』(77年)の撮影に使ったナントカ記念館とかね。聖地(笑)。
弘前大学の近くも通ったな。鈴木清順『弘高青春物語』(92年)の聖地(笑)。『弘高青春物語』ってさ、旧制弘前高校のOB会だかの依頼でOBの鈴木清順が撮った私的なビデオ作品なんだけど、OB以外には全然分からない話をOBのおじいちゃんたちには理解不能な難解な撮り方をしている「誰得?」な作品なの(笑)。私は2回も映画館で観てるけど。
ああ、あと大森一樹『津軽百年食堂』(2010年)のモデルになった創業100年以上の食堂があるのよ、結局行かなかったけど。聖地(笑)。
結構映画観てる方だと思うけど、『津軽百年食堂』は100年に一度出会えるかどうかってくらい希少な超駄作なのよ。
もう一つ、これは影の目的ではなく主目的でもあるんですが、弘前城。
意外に城好き(笑)。
いま日本に12城しかない現存天守閣の一つなんです。
ただ、今回行って初めて知ったんですが、江戸時代初期(1611年)に作られた天守閣は落雷で焼失しちゃって、江戸時代末期(1810年)に再建されたものが現存しているそうです。
なので、貧乏藩だったから建設費を節約したて話もあるそうですが
(表から見ると城だけど裏から見ると櫓みたい)、
実際、櫓の名目で建てたそうなんですよね。たぶん幕府から天守再建は認められなかったんじゃないかな?
さらに言うと、その天守閣を移設して、石垣修理工事中でした。
あと結構好きなのが、空の感じと街の作り。
青森県の空の感じって、周囲を低い山々が連なって囲んでいる感じ。
新幹線の車窓を見ているだけで地方が変わっていくのが分かる。
ちなみに、青森は海と山が近いんだけど、千葉も海と山が近いんですよね。でも、千葉の山の方がゴツゴツ尖った感じがある。青森は山が丸い。
あと、街の作りね。
青森市は港町の作り。港町は街の作りが大きい。運送しやすいように道が広くて直線だったり。
弘前は城下町の作り。攻め込まれにくいように道が入り組んでるの。お城は小高い丘の上にあるから、坂が多いし。お城の近くにお寺街があるのも城下町の特徴。
バスで大鰐温泉まで移動した際、バス停の名前に門外とか堀越とかあって、おそらく弘前城の城郭の門の外の地域とか堀を越えた地域とか、そういう名前がついている地域名がある。
ただ、私は実際に行くまで、青森市と弘前市は浦和と大宮の関係(合併しちゃったけど)だと思ってたんですね。おそらく弘前は経済圏として発展しているのだろうと。
街を散策して(暑かった)分かったのですが、弘前はもうだいぶ死んだ街でした。青森市は新幹線が遠た際に(新幹線は新青森駅だけど)、街を観光地化しようと整備した痕跡がある。おそらく。弘前市は、まだ過去の栄光にすがっている印象。
本当は影の目的の一つに、地元の女性を眺めるのが好きなんですけどね。
今回はほとんど繁華街に行かず、観光地と温泉地ばかりだったので、この目的は果たせず。
代わりに、棟方志功の美人画を見て、ナンシー関の「美人カード」を買いました。
余談
計画を立てない旅行なので復路の新幹線を買っていなかったら、全然取れなかったの。仕方がないので仙台まで出て(仙台までは席が取れた)、仙台で呑んで時間を潰して、なんとか仙台発の遅い新幹線で帰京できましたとさ。