見出し画像

日本人のアイデンティティ

海外留学した人に話を聞くと、他の国の人たちは自国の歴史や素晴らしさを語れるのに対して、日本人は自分の国の歴史や素晴らしさを語ることが苦手だと言う。
たしかに、今日本の歴史や素晴らしさを説明してって言われたら、私自身何も答えられない。

日本人なのに。

できないのはなぜか。。。
(皆がそうなわけじゃないのかもしれないけど)

それは、日本人のアイデンティティの中に、歴史がきちんと刻まれていないからだと横山さんは言う。
そして、それは自信のなさにつながっていると。

義務教育で習う日本史は、受験のための暗記が中心なようで、正直、私はつまらなかった。
今学んでいるようなことを、当時学校で教わっていたら、ワクワクしながら学べたかもしれないし、もっと自分が日本人であることに関心があったのかもしれない。

いいくに つくろう かまくらばくふ(1192年 鎌倉幕府成立…今は1185年に変わっているらしい)
は、ちゃんと覚えていて、
鎌倉幕府、将軍が誰で、何をしたのか。くらいはわかるけど、


鎌倉幕府時代の人々の暮らしは?
どんな世の中だったの?
何を思って生きていたの?

ひたすら教科書を読んで、暗記してテストに臨むという繰り返しの中で、そんなことに興味を持たない。
当時、先生はどうにか楽しめる工夫をしてくれていたのだとは思うけど。

ほとんどの人は、歴史の中の様々なドラマを知らない。

大河ドラマでは、戦国時代がよくフューチャーされるけど、

戦(いくさ)にも秩序やルールがきちんとあって、武士以外の農工商人や女子供に危害を加えることはなかったって知ってた?

戦で勝った方は負けた方の死者をきちんと弔っていたって知ってた?

武士は、野蛮な人たちじゃない。
男尊女卑なんて言葉は、武士道の精神にはなく、武士はとってもレディファーストだったらしい。
離縁したら、どんな理由でも家を追い出されるのは男性だったとか!

歴史の出来事を覚えることはもちろん大事だけど、その時代に生きた人の本質を知ること。人々の生き方、知恵を知ること。

日本人って、すごく礼節や秩序があって、心が豊かであったということ。そして、その血が私たちの体の中にも流れているということを知ること。 

それが、私たちが日本人であるというアイデンティティ(=自分が何者なのかを知ること)になるのだと思う。

今の義務教育を批判したい訳ではなくて、第二次世界大戦で日本が負けて、日本の教育にGHQが入ってきたことで、古事記(日本の成り立ち)を学ぶ場が失われてしまったこと。教育のあり方が変えられてしまったことが、一つの大きな要因だと言われている。GHQの支配下にあったことは何となく知っているけど、それによって日本がどう変わってしまったのかを知っておくことが大切なんだと思う。

歴史だけでなく、漢字もそう。

空気、気配、元気・・・「気」という漢字は、それまで「氣」という字が使われていた。

「米」→「〆」に変わってしまったのはなぜ??

四方八方へ良い氣が広がるという意味が込められていた「氣」が、気を閉じ込めるという意味の「気」に変えられてしまったのは、日本人が知性や感覚の優れている民族だということを諸外国は知っていたから。

そんな日本人に恐怖を感じていたから、GHQは、古事記を日本の歴史から排除したり、漢字も変えて、日本人の文化や教育を制限して、征服しようとしたということみたい。

そんな背景を知らない私たちは、当たり前のように「気」という漢字を使っている。

日本人は礼節や秩序を重んじる民族だということを、私たちはなんとなく誇りに思っているけど、その背景には何があって、そういう民族になったのかという知識が薄っぺらいから、最近秩序が乱れてきているのではないかと思う。

話が脱線するけど、数年前にカナダ旅行に行ったときの話
バス停でバスを待っていた時のこと。

皆が整列せずバラバラに待っていて、「バスが来たらどういう順番で乗り込むんだろう」と思っていた私は、すごく衝撃を受けた。

一番入口の近くにいた若者が、女性やご老人に乗車を譲っていたこと。

運転手さんが、女性やご老人に席を譲ってね!と声をかけていたこと。

そして、お客さんも、そんなの当たり前という、温かい雰囲気だったこと。

初老の男性が、母に女性が座るものだよと席を譲ってくれたこと。

今の日本人(特に都心に暮らしている私たち)にできるかなって考えたら、私は難しいんじゃないかと思ってしまう。

だって、朝の通勤ラッシュすごいもの。

椅子取り合戦!!

ある意味、戦。

ちゃんと列に並んではいるけど 笑
そこには秩序も配慮も何もない。

あるのは、”己の欲”だけ。

今の日本人は、並ぶことの先にある目的ではなく、並ぶこと自体(手段)が目的になってしまっていると気がついて、
あの日、自分が日本人であることがものすごく恥ずかしくなった。

あのときの気づきは、今、この学びのモチベーションとして生きているのだと思う。

私たちのご先祖様が作ってきた日本の文化を知ることで、いろんな物事の背景や意味を知り、自分が何者なのかということに辿りついたとき
自分を含めた全ての人や物事に対する見方が変わると思う。

私も自信は持っているつもりだけど
でも、それは自分が経験したことからの自信でしかない。だからなのか、何なのか、その自信の届かない範囲になると、よく落ち込んだり、漠然とした不安に陥ったりする。よくある。


少し前に、自信をなくしていたときに
友人から「自信は、経験から得たものだけが全てじゃない」と言われて、全く意味がわからなかったのだけど

日本人としてのアイデンティティが自分の根底にあって、その上に自分の経験が乗っかると、その自信はとんでもなく大きな力になるということなのだと思う。

そして、自分が成すべきことがわかり、漠然とした不安には陥りにくくなるの、きっと。

今、楽しく学んでいる「日本の歴史」や「女性のたしなみ」と私のライフワークでもある「ヨガ」「瞑想」とを、私の考えも織り混ぜながら、ここでアウトプットして、まとめていきます。

ご興味がある方は、おつき合いくださいませ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?