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古都の伝統を守る後継者 ――京人形師二代目、関原紫光

『人民日報海外版日本月刊』 文/洪欣

梅雨入りした7月初め、京人形師・関原紫光先生を訪ね取材した。夏の京都はジメジメして暑かったが、朝は東寺で朝早くから再開した蚤の市に出かけた。三条から東寺のある九条まで歩き、沿道の歴史観ある建物を眺めながらウキウキしていた。

初代の関原紫水(1921年生まれ、以下「紫水」と略称する)は神戸市出身で、戦争中は結核にかかり、戦場には行けなかったという。戦時の病気で命拾いしたので、世の中の役に立つ生き方を求めた。

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photo by s.Inoue

戦後、1949年に京都に移住した紫水は、日本画家・塚本芳石氏に師事することになる。1973年ごろから、紫水は伝統工芸技術コンクールに毎回入選する。以降、優勝、佳作4回を受賞する。1986年の伝統産業優秀技術者として京都府知事表彰を受け、その3年後の1989年には伝統工芸士の認定を受けることに。さらに、その翌年の1990年には、京人形伝統工芸士会が結成され、初代会長に就任し、当年のフランス・ベルサイユ祭のポスターに人形の写真が起用されている。その翌年1991年には、近畿通商産業局長賞を受賞する。それから、国内外の展示会を経て2004年、春の叙勲にて瑞宝単光章を受賞するに至る。

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photo by s.Inoue

京人形の姿には上品で艶々しい美しさが見事に表現されていた。紫水の京人形は日本国内の重要な「琳派百図展」に出品(京都文化博物館)するだけでなく、タイ国王室に献上したり、フランス・パリのル・グランホテルでの展示会やオーストリア・ザルツブルグ博物館の人形展にも出品している。上海万博が開催された2010年には、上海でも作品が認められ、リニューアルオープンした旧フランス租界地の上海図書館に図録が所蔵入庫されたまた、呉昌碩記念館には、京人形「熊野(ゆや)」が所蔵されている。

二代目関原紫光は、幼い頃から父・紫水の仕事ぶりを見ながら育った。母の厚子も人形衣装の職人であり、家族全員で京人形を創っていたと言っても過言ではなかった。

父・紫水は、京人形は自分一代のみで十分だと言っていたという。厳しい職人の世界は、常に経済的に困窮しているかもしれないという、子供に対する愛情表現だったのだろうと思う。

では、二代目の紫光はどういう経緯で伝統を継承することになったのだろう? 一度は三菱銀行に勤務していた紫光。父の京人形が売れる状態を作りたい、助けたい一心で手伝ううちに、自分も創りたくなったという。

父から娘へと続く伝統的な京人形、1993年に父・紫水の後継者として京都府の「京もの工芸品技術後継者」に認定される。

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『宴の後』 紫水作 関原工房提供

人形発祥の地と言われる京都。その起こりは王朝文化華やかなりし平安時代、貴族の幼女の間で流行った遊びだといわれる。「ひいな人形」(注1) と呼ばれた子供たちの玩具は、やがて江戸時代になって武家社会に広まることにより、やがて上巳(3月3日)の暦と結びつき、子供の誕生や成長を祝う雛祭りの行事、そして現在の雛人形の形に発展を遂げた。

こうした京人形を支えるのは、古くから都として栄えた街ゆえに備わる卓越した職人技にほかならない。分業により、頭部、髪付け、手足、小道具、着付けなど、工程ごとにそれぞれ専門とする職人の手によって完成される。都が移転した後も、京都は人形創りの中心であり続けた。

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『白蓮観音 』 紫光作 関原工房提供

京人形には、雛人形を筆頭に五月人形、武者人形、市松人形、風俗衣装人形などがあり、通商産業大臣(現経済産業大臣)より「伝統的工芸品」の指定を受けている。製作工程は、頭部、胴部、衣装、着付けなどそれぞれ分業で成立しており、どの工程で手を抜いても作品の品質に響く協業体である。(注2)

「父の創る人形を広く知ってもらいたい」と京人形の世界に足を踏み入れた二代目紫光。若いお客さんが作品を鑑賞した後、涙を流していたエピソードがあったという。作品として人に「感動」を呼び起こし、心が動いた瞬間のメモリーだった。

二代目紫光は女性初の京人形商工業協同組合青年会会長、京都青年中央会理事に就任し、伝統工芸士の認定を受ける。

それから、NHKドラマ「恋する京都」の製作指導、出演をはじめ、海外に積極的に京人形の出展を繰り広げてきた。フランス・パリ、イタリア・ジェノバ、中国・上海の「日中韓著名芸術家グループ展」等、活躍の場をどんどん広げている。

厳格な分業のもとに、様々な職人の手によって出来上がる京人形。二代目紫光はその工程のほとんどを自分の手で完成させたいと意気込む。すべてのプロセスを楽しみ、もっぱら「質」の向上を目指す革命児。古都京都のブランドは彼女のような継承者によって保たれていると確信している。

関原家の愛情たっぷりの家族の物語によって、受け継がれていく京人形の伝統。二代目紫光の娘である3代目真由子は日本画のアーティストだ。7月26日から、神田の文房堂ギャラリーカフェで、「関原家―京人形の伝承から芸術へ 日本の美に魅せられた三世代―」の展示会が開催される。

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『祝賀』 紫光作 関原工房提供

さらに、米国ケースウエスタンリザーブ大学で、稲盛財団支援の稲盛倫理賞及び京都賞の副賞にも紫光作「祝賀」が採用された。白だけの珍しい京人形のチャレンジ、観音様を京人形で創るように頼んでも最初は拒否していた初代紫水だが、承諾して完成した新しい京人形の形。それは、究極的には愛情たっぷりで織りなす家族のメモリーだ。「好きな仕事を楽しくやり続けた父紫水」、その背中を見て育ったチャレンジャー、二代目紫光。父から受け継いで28年、そしてこれからも続けられる家族の物語。

取材の間に、感極まって涙ぐむ彼女の姿に真摯な人柄を感じた。もらい泣きしないように、目をそらしたが心に響いた。

頭部の部分を父紫水は関西のものを使い、紫光は関東のものを使っているという。そこに地域的こだわりより、品質保持に対する妥協を許さない職人魂があるのは、職人あるいはアーティストとしての「いい意味での固執」が感じ取れた。その精神こそ、京人形の伝承者としてあるべき美しい姿ではなかろうか。着物をカッコ良く着こなす彼女のこれからの作品が楽しみだ。アフター・コロナには上海でも展示会を企画する予定である。

注1 関西の方言

注2『京人形師 関原紫水 古典創作京人形作品集 増刊 瞳』を参照

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