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思い出が残る場所

炭鉱の社宅で生まれて
炭鉱の粉塵に包まれて
賑わいがある街で育った

坑口は今でも海岸の近くに
ボタ山は木々が育ち緑の丘に
もう55年以上前のことだ
今では炭鉱の事務所も朽ちて
海岸線にはテトラポットが並べられ
普通の漁村になっている

道路は炭で黒く
選炭場や荷積の後が物悲しく
帰郷したと思うのは
炭の色を感じる風景を目にするとき

親父は炭鉱の安全管理の仕事をやってた
構内で検査をやった
それでも粉塵が酷く塵肺になり72歳で亡くなった

炭鉱の跡地を歩くと足元に石炭が今でも転がっている
売り物にならなかった石炭=ボタ

社宅のお風呂はこのボタを燃やして沸かしていた
小さな家だったけど楽しい記憶が残っている
そんな家も過疎で空き家になっていた


炭鉱社宅

端島に限らず海の中には石炭が眠っていた
この海の中に坑道があり
人々の暮らしがあった


坑道がある海岸線

小学生になる前に閉山となり
父の故郷へ引っ越した
年を重ねるごとに
住んでいた人がいなくなり
錆びついた街だけが残っていった
漁村の村として暮らしている人がいるけど
魚が捕れなくなり
船も少なくなった

母は90歳になり
今では故郷の土を踏めなくなった
介護施設で毎日思い出を読んで
時の流れと思い出のカケラが静かに浜辺に打ち寄せている

私も還暦を過ぎて
遠い街で過ごしている
兄がいるので実家を継ぐことはなく
妻の両親の面倒を見る毎日

それでも、海を見ると
生まれ故郷を思い出す
そこが「ねっこ」だからだ

幼馴染が端島へ転校して行った
その閉山を知ったのは中学3年生
今ではどうしているのだろうと
教科書の落書きは
今でも心のページに残っている
それが青春だったのかもしれない




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