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Photo by
nukekan
思い出が残る場所
炭鉱の社宅で生まれて
炭鉱の粉塵に包まれて
賑わいがある街で育った
坑口は今でも海岸の近くに
ボタ山は木々が育ち緑の丘に
もう55年以上前のことだ
今では炭鉱の事務所も朽ちて
海岸線にはテトラポットが並べられ
普通の漁村になっている
道路は炭で黒く
選炭場や荷積の後が物悲しく
帰郷したと思うのは
炭の色を感じる風景を目にするとき
親父は炭鉱の安全管理の仕事をやってた
構内で検査をやった
それでも粉塵が酷く塵肺になり72歳で亡くなった
炭鉱の跡地を歩くと足元に石炭が今でも転がっている
売り物にならなかった石炭=ボタ
社宅のお風呂はこのボタを燃やして沸かしていた
小さな家だったけど楽しい記憶が残っている
そんな家も過疎で空き家になっていた
![](https://assets.st-note.com/img/1735134181-vSnC1FaROhispUGtcx4jDNmq.jpg?width=1200)
端島に限らず海の中には石炭が眠っていた
この海の中に坑道があり
人々の暮らしがあった
![](https://assets.st-note.com/img/1735134389-gLY23bJFNH1G8aptiZBw7XnM.jpg?width=1200)
小学生になる前に閉山となり
父の故郷へ引っ越した
年を重ねるごとに
住んでいた人がいなくなり
錆びついた街だけが残っていった
漁村の村として暮らしている人がいるけど
魚が捕れなくなり
船も少なくなった
母は90歳になり
今では故郷の土を踏めなくなった
介護施設で毎日思い出を読んで
時の流れと思い出のカケラが静かに浜辺に打ち寄せている
私も還暦を過ぎて
遠い街で過ごしている
兄がいるので実家を継ぐことはなく
妻の両親の面倒を見る毎日
それでも、海を見ると
生まれ故郷を思い出す
そこが「ねっこ」だからだ
幼馴染が端島へ転校して行った
その閉山を知ったのは中学3年生
今ではどうしているのだろうと
教科書の落書きは
今でも心のページに残っている
それが青春だったのかもしれない
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