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いつもの駄菓子屋 いつもの肉屋 いつもの八百屋 いつものクリーニング屋 いつものパン屋 そこの角からパチンコの音楽が流れてくる おじさん達は立ち飲み屋 おばさん達はスーパーの入り口で立ち話 地域猫が散歩しながら足元に愛想をふりながらパトロール ランドセルは玄関に置いてきた 足元はお気に入りの母親のサンダル カラカラ鳴るかかとが屋根に響く いつからだろう いつもの風景の時間が止まった いつからだろう モノクロ写真で懐かしむようになった 今では帰省した時に 記憶のマップを広げなが
夏の終わりに花火を点けて あの日のことを思い出す 友達と自転車で遠出をして 知らない町で自販機の缶ジュースを飲んだ 授業を抜け出して 裏山の公園のベンチで昼寝をして 空の青さと雲の流れを感じた 好きな子の家の前で 会いたいのに声も出さず 窓ガラスに映る影を見た 街灯に集まる虫のように 学校帰りに雨に降られ 稲穂が風にそよぐ姿に 何かを感じて口ずさんだラブソング 夏祭りの夜に 港の広場で遊んでいた ふと気がつくと きみは花火を見つめて 楽しそうに笑っていた 線香花火
潮騒の音と漁船の音とカモメの鳴き声が混じり合う街 知り合いのおばさんの井戸端会議が始まり 公民館のスピーカーから案内が流れる 母の友達に呼び止められて「これ、持って帰り」と 干魚をもらう 近くの路地から豆腐売りの声がした 夏の日差しは暑く 軒先の向日葵が足元に影を残した 潮風に晒されてトタン吹きの壁は錆色に染まり 玄関のブロック塀は白く粉を吹いている お盆が近くなると 提灯が縁側の軒先に灯され 初盆の家では精霊船が祀られ リーン・リーンとお参りのおりんが鳴らされる
40年近くのサラリーマン生活で 唯一気が合う後輩がいた。 転勤で遠く離れて たまに出張で会う 後輩はいつも豚カツ定食が好きで 待ち合わせはお店の前だった。 日々の仕事の愚痴を聞きながら 分厚い肉を頬張る 彼女はできたのか?と聞くと 頷いた。 バイクが好きで、彼女とツーリングへ行くとか 楽しそうな表情を見たのが最後だった。 ゴールデンウィークも過ぎ トラブルがあり、忙しいと 同僚と話しているとメールが来た。 その数日後、後輩は雲の上の人となった。 IT業界によくある
定年を過ぎて、自由な時間が増えてきます。 1日の大半が仕事時間でLINEにメールにSNSに 色々な繋がりはスマホで完結していたのを懐かしく思い出す。 何処かの政治家のように権力に取り憑かれ 何処かの起業家のように売上だ!利益だ!稼ぐには!なんて思考は皆無に 陽がのぼると目が覚めて、暮れると夕食を済ませ自分の時間が始まる。 晴耕雨読の生活を想像はしていたが 時間の流れが穏やかになると 知らず知らず雨音が気になるようになりました。 サラリーマンの頃は、年間スケジュールから日
昨年末からnoteの記事を書くときにAIアシスタント(有料)を使ってきた。 使い始めは物珍しさもあり、編集のAIと言うことで「ライター必須」だなと。でも、3か月が経ち記事を読み返すと使っていないことに気が付いた。 あとは、月末だったのでサブスク契約で使える機能も興味が無かったので解約した。β版との記載があり、本番仕様になったら考え直すかもしれませんが、他社のAIが進化しているので「編集」関係はMicrosoftやGoogleに年末にはAppleも出してくるので様子見かと思いま
ガムシャラに頑張ってみて 何故かうまくいかない 何年も前から 壁にぶち当たり どうしようもなくなる 体当たりしてみても 登ってみても 壁があるからその先には行けない やめたら楽になるよ どうして続けるの 心の中の声が聞こえる でも、あきらめることが嫌なんだ 何年も前からやってきて ここでお終いの文字はない 試行錯誤の連続だけど 今回も頑張ってみる ひたすらノックを続ける 向こうの自分に届くように このむこうへ行きたい 壁を扉に変えて まだ見ぬ世界へ 明日の僕は笑
ガラス玉に向かって 何かを話しかける 手のひらで触っていると 何かが映っている 今の自分?明日の自分? 水晶玉でないと答えてくれないのかなあ 何気なく真面目な僕 ガラス玉の向こうに虹が見える 僕の姿が重なる 朝のTVの占いを観て 今日は気分が良くて ガラス玉が軽く感じる 鞄の隅っこでハンカチに包んで きれいに持ち運ぶ 寒い冬は息が触れただけで白くなり 暑い夏は汗で出来た指紋が見える 逆さまに映る自分が見える 今日の僕は笑っていますか? ガラス玉の向こうに 春の景
定年を過ぎて、人生の半分を思い出してみる あの頃は良かったな あの頃は社畜だったな かみさんとはお見合いで結婚して 息子と娘に恵まれて マンションを買って 子供の学費を稼いで 残業しないと、単身赴任しないと 色々無理しながら定年を迎えた。 額縁に何を飾ろう かみさんと出会った日の記憶 早く亡くなった親父の記憶 明治生まれだった祖母・祖父の記憶 炭鉱の社宅で生まれた時の記憶 コンビニも無い田舎暮らしの記憶 雨が降れば蛙の合唱 夏の日差しの蝉の声 ラジオから聞こえる音楽に心を
水仙が咲くころ 菜の花や梅が咲き始める 暖冬の大雪で寒くなっても 公園の花壇で水仙が咲いている 子供の頃は水仙が咲くと 仏壇の花瓶に供えていた祖母を思い出す 座敷の畳が少しだけ冷たくて 線香の匂いと水仙の香りが混ざる 半世紀ほど前の記憶だけど 築100年の家で襖と障子に囲まれた部屋で 祖母が手仕事をやっていた 晴れた日は 近所の畑で菜のお世話 時間が日差しと影の動きで進んでいた 今では時計やスマホを眺めながら 今日の時間を感じている 都会のマンションの部屋には 水仙の香
毎日、時計を見ながら、カレンダーを見ながら、スマホの着信を気にしながら過ごしていた。 小さな機械仕掛けの針が少しずつ時を刻んで行くけど 人生の時間は自分の心の針が刻んでいると気が付いた。 定年を迎えた日は、運動会のゴールの線をまたいだ瞬間 その翌日は電線に並ぶ燕が南の空へ旅立つ日 少し経つと、商店街の八百屋の犬やクリーニング屋の受付にいる猫 色々なものが時間の針になって行く。 会社では毎日のローテーションを誰かに与えられ 機械仕掛けの歯車のように止まれない時間 今ではひな
定年まで毎日同じ電車で通った駅 スマホの画面を見ながら過ごした時間 常連の通勤者と席の譲り合いで 四季もなく時計の針のように進んでゆく 通勤電車を降りてみた 60歳になり、雇用延長もあったのだけど 50代になると、徐々に窓際の席へ移されてゆく 会社は家族との生活の糧を稼ぐ場所 でも、セカンドライフを夢見て電車を降りた 誰かに指示されることに慣れていた 会社の中では機械の部品のように 担当があり、上司の指示で動くのが大半だ たまには自己主張もあるが、上司の許可がないとま
彼岸花が咲き始めました。 今年は少し遅かった気もしますが、忘れずに咲きました。 彼岸花って球根を植えないと咲かないのです。 田舎の風景で真っ赤に咲きそろうのは、近所のご先祖様が植えたもの。 この花を見るようになると、思い出してよっと言われている気がします。 お盆の次はお彼岸。 スマホのLINE履歴を見ながら、もう向こうに行ってしまった人達との記憶を 消す事は出来なくて、何だか彼岸花を眺めてしまいます。 彼岸花って不思議なんです。 雨が降っても咲いている姿は変わらない。
退職後半年経つとサラリーマン生活の垢が抜けてきます。 精神的には3ヶ月過ぎた頃が一番ツライ時期でした。 体調がイマイチで精神的にも追い込まれました。 それから2か月過ぎると、悩みが消えて前向きになってきました。 資格取得して事務所を作るぞ!と。 よく言う一念発起です。 退職金は社会保険・税金・家賃等のため確保しているので 生活費を失業保険で賄い1年間を過ごしています。 幸いにも障がい者認定で失業給付も360日あり、再雇用並みの収入で暮らしています。 退職時には、Webや