宗教団体と普通の人間集団の違いはなんだろう?
例のセンセーショナルな事件から約1ヶ月が経ち、それからというもの、何かと「宗教」というものが話題になっているようだ。
自分があるコミュニティに所属していたり、その運営に関わっていたりすると、よく知らない人からは「それ、宗教みたいだね」と言われることがある。
私が所属している子育てコミュニティも、誰かに話したときに幾度となくそういう反応をされてきたし、今でもそういう反応をする人がいる。そして、以前は「宗教ではないよ」と短絡的に答えていたのだが、あるときから、どこか自信を持って「宗教ではない」と言えない自分がいることに気づいた。
だから、自分自身でも問い直した。
私たちが所属するような、いわゆる普通の「コミュニティ」「組織」「人間集団」と、「宗教(的な集団)」とは、一体何がどう違うのだろうか?
それに答えるためには、まず「宗教とは何か?」ということを問わなければならない。4年前、私が人生で最も読書した期間に知りたかったことの1つが、この問いへの答えだった。
私が一番最初に読んだのは、准教授に紹介してもらった、小室直樹という人が書いた「宗教原論」という本だった。
これが大変わかりやすくて面白かった。
手にすると分厚くてとても読むのが大変そうに思うのだが、小気味良くわかりやすい文章によってどんどんと読み進めることができた。
その本の冒頭に書いてあったのは、「宗教とは何か?」を定義することは難しいことだ、ということだ。
だから、このブログでその答えについて詳細に書くことは私には到底できないから、やめる。
しかし、このように色々と勉強しながら考えて、私が宗教についてわかったことは、「宗教そのものが悪い」のではなく、「この世には良い宗教も悪い宗教もある」こと、「始まった当初の思想は良かった宗教であっても、組織化や中央集権化などによって悪い宗教に変化する可能性がある」こと、「大前提として、宗教について何も知らないことが悪いのである」、ということだった。
この世界では、世界三大宗教と呼ばれるキリスト教・イスラム教・仏教を筆頭に、ユダヤ教、ヒンドゥー教、その他各地の土着の宗教など、様々な宗教が当たり前のものとして幅を利かせている。
そしてそれらは必ずしも違法でもなければ、必ずしも人々を闇に突き落とすようなものでもない。むしろ基本的な考え方としては、人々を救済するためのものなのだ。
人間が生きていく上では、言いようのない恐怖が常につきまとう。それは、人間はなぜ生まれたのか?という、人間の存在そのもの、アイデンティティが保証されるかどうかの恐怖と、人間は死んだらどうなるのか?という恐怖である。
そうした恐怖や不安感に何らかの解答を提示してくれる、というところが、宗教の持っている1つの側面である。
だから私は、人間が健全に生きていく上では、ある種の宗教は必要であると考えている。
その代わり大事なことは、宗教とは一体どういうもので、世の中にはどのようなものが存在するのか、良い宗教と悪い宗教の違いとはいったい何なのか、普通の集団と宗教団体とは何がどう違うのか、ということを理解することだ。
良くも悪くも、我々日本人には明示的な宗教的土台が無いから、もし何もしないで無意識的に生きていたら、何は宗教で何は宗教でないのか、今自分は宗教的なものに近づいているのかどうか、その影響を受けているのかいないのか、について自覚的になることは難しくなる。
宗教に関するテレビ報道が画一的になるのも、ネット上で様々なアレルギー反応を示す人々がいるのも、そもそも「宗教とは何か」についての理解が足りていないからなのではないか、と思えてならないのである。
宗教とは一体何であるかを、きちんと理性的に理解しておくことは、人間社会を生きる上で必要なことだ。
その上で、自分自身が宗教を信じるか信じないか、信じるとしたらどの宗教を選択するかは、それぞれの人に委ねられた選択の自由、信教の自由なのである。
冒頭の話に戻ると、そうした宗教と普通のコミュニティとの違いの1つは、「人間の存在が保証されない恐怖や不安」「死に対する恐怖や不安」を問題にしているかどうか、ではないだろうか。
そのように考えれば、今現在の私は自信を持って言える。
今私が積極的に関わっているどのコミュニティも、宗教ではない、と。
ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。