努力が報われない経験をすることの重要性
今は
努力が報われることが正義
努力が報われなかったら、やってきたことが全て水の泡
みたいな極端な考えが流布しているように感じます。
Twitterをやっている人ならわかると思いますが、努力が報われた人のほうが多いように感じるので、自分が報われなかったときにかなり絶望し、劣等感を抱いてしまう人が少なくないと思います。
(実際努力が報われている人はあまり多くないのですが)
特に受験。
受験シーズンになると、Twitterでは
「東大に受かりました!!」
「早慶に合格しました!!」
「北大に合格しました!!
「医学部に合格しました!!」
みたいなツイートが氾濫するので、それらの大学学部に合格できなかった人は深い絶望感を味わうでしょう。
就活などでも、自分は大企業に落ちたのに、友達が大手や国家公務員総合職などに内定・合格をしたら、劣等感を抱かずにはいられないと思います。
でも、人生を考えた場合、努力が報われない経験をしたほうが学ぶべきことが多く、有益なのです。
努力が報われないことでわかる人生の真理
自分は「万能の神」ではないことに気づく
人間はとても愚かな生き物で、努力が常に報われ続けていると、つい万能感を抱いてしまいます。
中学受験も高校受験も大学受験も就活も全て第一志望に合格。
学生時代の部活も全国大会優勝
仕事でも全てがうまくいき、着実に出世の階段を登っている
年収もこのままいけば1000万円
あなたがこんな経験をしたらどうするでしょう?
(上記の例はあまり現実味がないですが)
舞い上がりますよね??
「自分は神であり、この世界を支配できるのだ!」という感覚を抱きますよね(それは極端ですが)??
もちろん、受験や就活で最大限の努力をして、全て第一志望に合格するというのは尊敬すべきことですが、一切の失敗経験がないと、万能感を捨て去ることができません。
万能感を抱き続けると、傲慢になり、できない人間に不寛容になったり、自分の非を認めることができないという弊害が出てきます。
つまり、周囲の人間にも実害を加えてしまうのです。
にもかかわらず、自分を「神」だと認識し続けるので、周囲の人間との軋轢も強くなってくる。
これが老害ってヤツです。
あなたの周りにもいる老害も、若い頃は受験や部活、就活などがほとんどうまくいったのではないかと思います。
そのような老害が組織に居座り、管理職の座にいることは迷惑なこと極りないでしょう。
という感じに話はそれましたが、若いうちに努力が報われない経験をしないと万能感を捨て去ることができず、結果、老害となってしまうのです。
人生は自分の思うようには進まないことに気づく
人生というのは、自分が思ったようには進みません。
エリート街道を突き進んでいて、大企業に入り、「オレは勝ち組ぃぃぃぃぃ!!!!」
と思っていても、いきなりリストラされるかもしれません(早期退職の募集はふえていますよね)。
逆に人生失敗続きで絶望していた矢先にとんでもない幸運に恵まれ、とんとん拍子にうまくいくということもあり得るのです。
それが人生というもの。
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努力が報われない経験をすることで、そのような人生の不確実さみたいなものがわかる。
そうすると、良い意味で力が抜け、執着に満ち満ちた努力をすることがなくなり、人生が良い方向に進んで行くのです。
失敗経験がないと、「努力をすれば、人生は自分の望んだように展開させていくことができる!」とアホみたいな思想を抱き続け、「自分の努力」でどんどんと強引に道を拓いていき、人道から大きく逸れるということになるでしょう。
人道だけならまだしも、欲望に目がくらみ、法を犯し、その快感に触れ、気づくと檻の中…という事態にもなっているかもしれません。
檻の中は極端ですが、「努力が報われる」ことの欲望はやばいぐらいに快感で、その快感を味わいすぎると、自分でも制御できなくなるのです。
それよりかは
「人生は自分の力ではどうにもならない、だから『神の見えざる手』に委ねよう」
というスタンスでいたほうが、結果としては良い人生を歩めると思います。
努力が報われない経験をすることのメリット
行動力が高くなり、人生の選択肢が増える
ここまで書いても、努力が報われないなんて人生の絶望以外の何物でもないと考える人がいるかもしれません
特に大学受験をする辺りの20代前後の人。
でも、努力が報われない経験をすることで、今後の人生で様々なことに挑戦をすることができるようになるのです。
成功し続けていると、当然ですが、失敗するのが恐くなります。
失敗するのが恐くなると、確実に成功する選択肢しか取らなくなります。
例えば高学歴→大企業という人生を大きな失敗もなくストレートに実現できたとしたら、どうなるでしょう。
おそらく、転職や独立をせずに出世街道を狙って年収を上げる人生を歩むことだと思います。それが確実に成功する選択肢だから。
つまり、同じ会社でずっと働き続ける人生を歩む。
本当は週5日、1日8時間労働という勤務形態がつらくて仕方がないのに、転職や独立をして失敗するのが怖いがゆえ、それらの選択肢を取ることができないという事態に陥ります。
失敗をしない人生を歩むことで、かえって人生の選択肢が狭まってしまうんですよね。
逆に、失敗をし、努力が報われない経験をしていると、「今のまままだと会社にすがって努力をしても報われない可能性が高い。だから独立(転職)をする」という考えを持つことができます。
失敗することに対する耐性もできているので、会社を辞めたり、独立したり、転職するという行動を取ることができます。
別に失敗しようが失うものは何もないので。
というか、私自身がそうなのです。
受験や新卒の就活に失敗したので、会社が自分に合わなかったら、すぐに「損切り」することができたし、東京のオワコン化が進んでいることがわかると、札幌に移り住むことができたし、ブログでグーグルアドセンスをやりたいと思ったら、すぐに行動に移せたし、過去の失敗体験によって、かなり行動力が高くなっていったのです。
もし、努力が常に報われる経験、つまり
浪人せずストレートで早慶→東京本社の大企業に就職
という世界線を歩んでいたら、今ほどの行動力はつかなかったと思います。
おそらく、「努力で獲得し」た、地位を捨てたくないがゆえ、東京で満員電車で通勤し続ける生活を送り、会社が嫌いでも働き続けていたことでしょう。
そのような経験を振り返ると、若い時に努力が報われない経験をしておいて良かったと思います。
努力が報われないと、その時点では深い絶望を味わいますが、後々になってみると、過去の自分では考えられなかったぐらいに行動力が高くなっていて驚くということがあります。
成功し続けると、かえって身動きが取れなくなる一方、失敗経験があると、行動の幅が広がる。
努力が報われないという経験は必ずしも悪い経験ではないのです。
やみくもに失敗するのはアホですが、失敗経験をすることで、後の人生の幅が広くなる、ということはわかっておいて損はないと思います。
以上