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嫌なことはハッキリさせなければいけない
「人生で重要なのは自分にとって好きなことをハッキリさせること。好きなことを考え、ワクワク感、ドキドキ感を感じることで人生が切り拓いていく」と一般的に私たちは教えられます。
けれども謎に意識が高い状態で「ワクワク感・ドキドキ感」を感じることが嫌な人もいるでしょう。私はそう。仮に好きなことがあったとして毎日「ワクワク・ドキドキ」するのはしんどいし、体力的にもたぶんもたないだろうと思います。
私のようにポジティブな感情を持ち続けるのが苦手な人は嫌なことをハッキリさせたほうがいい。自分が一体何に嫌悪感を示すのかを徹底的に考え分析する。例えば通勤、8時間労働、くだらない人間関係の派閥…など。
嫌なことを明確にしていくと、当然その嫌なことを避けるようになります。なんでもかんでも嫌なことを避けるというのは良くないかもしれませんが、それでもできる限り嫌なことを避けることで人生のストレスが経験されます。
日本人の多くはどうでもいいことに悩まされすぎているのではないかと思います。特に仕事と人間関係。この2つは人生において1,2を争う重要な要素です。仕事と人間関係に悩まされるというのは自分の納得できる人生を送れないことを意味します。
仕事と人間関係に悩まされるのは嫌なことを明確にしていないからだと私は思います。仕事は日常生活において負荷がかかるので本来は嫌なこと、やりたくないことを明らかにして、それから避けるようにしなければなりません。
人間関係も同様で自分とは波長が合わない人間やリテラシーの低い人間はできるだけ関わらないようにする。世間一般的な価値観では様々な人間と関わることが素晴らしいという考えが根強いですが、露骨に波長が合わない、リテラシーが低すぎる(人の揚げ足を取るとか感情の起伏が激しすぎるとか)人間と関わるとコストがかかってしまいます。だから自分にとって波長が合う人と同様に、波長が合わない人間の条件を挙げ、関わらないことが重要であると言えます。
「嫌なことをハッキリさせる」とはワガママな印象を抱くかもしれませんが、人生のQOLを挙げるためには必要不可欠。この世界には私たちにストレスを与える阻害要因があまりにも多すぎます。世界は決して美しいものではなく、むしろ醜さに満ち満ちています。だからこそ、私たちはこのクソ世界、クソ人間に対してハッキリと「嫌!」と言わなければならないのです。