コンペは悪なのか?みたいな話
日本の音楽市場(主に歌もの)ではコンペで曲を集めてその中から採用曲を選ぶことがままある。
そもそも”コンペ”とはcompetitionの略で、コンテストとか公募とかオーディションみたいなものとやってることは似ているが冠している言葉によってそれぞれ目的が変わってくる。
“コンテスト"は設けられた賞の枠を争うことを目的としているし、
“公募”は何かしらを公に募集することを目的としているし、
“オーディション”はコンテンツにおいて特定の役を選ぶために芸能志願者に向けられて行われることが多い。
じゃあここでいう作曲コンペって何?となるわけだが、まぁコンテストと公募の間みたいなもんで
設けられた枠を争うために一部の所属事務所や関係者に向けて発注されるもの
という感じ。
で、これがよく「コンペは悪」という論調で盛り上がりやすい。主にSNSで。
なぜ悪と言われやすいかというと、
・集められて、かつ採用に至らなかった楽曲に対して対価が支払われない(ことが多い)から
・集めた楽曲を制作したクリエイターに対して敬意が払われない(ことが多い)から
・そもそも"とりあえず不特定多数の楽曲を集めてから決める"という発注側のスタンスに対する不満
辺りが理由として挙げられると思う。
そして不特定多数から集める”コンペ”の他に挙げられる発注方法として”指名”がある。
これはその言葉の通り特定のクリエイターを指名して仕事を発注するというもの。
指名はわかりやすい。「◯◯というアーティスト(あるいはコンテンツ)に△△みたいな楽曲を制作してください」とお願いして、クリエイターは楽曲を納品して、対価をいただく。という流れ。
指名は依頼内容も明確なことが多く、「こういう作品が欲しいからこのクリエイターにお願いする」という発注側の意思が感じられるためなんか誠実な感じがする。
クリエイターからすれば、まぁ依頼で発注が来るに越したことはありませんわな。
求められて作るわけだし。対価も支払われそうだし。
じゃあ指名の方がいいやん。なんでコンペなんてやってんの?
→発注側に明確なイメージが無く、クリエイターを軽視しているからや!
…みたいなマインドが議論の発端なのだが、私が10年くらいやってきて実感していることがあって、それは
そもそも指名作曲とコンペ作曲は違う競技であるということである。
どちらも"お題に対して楽曲を制作する"というフォーマットは同じなので混合されやすいのだが、個人的には結構違う種目だと思っていて
指名だと明確なイメージのもと制作されることが多く、どういうクリエイターかわかっている状態で発注されるのでクオリティを担保しやすいというメリットがある一方、発注側のイメージの枠内での制作に留められやすい。
なのでミスできないものや、入り組んだオーダーのものは指名になることが多い。
対してコンペは不特定多数から集めるため、「そんなアイデアがあったとは…!」という発注側の想像を超える作品と出会えることがあるというのが最大のメリットとして挙げられる(これはクリエイター側にとってもそう)。
なのでとにかく最大値を目指したいときや、ほんとうに幅広く集めたいときはコンペになることが多い。
(それに付随して、「新しいクリエイターに出会える」みたいなメリットもある。)
コンペのデメリットは先述のとおりである。
もちろん、指名でも想像を超える作品が作られる可能性はあるし、コンペで数百曲集めたはいいけどあんまり良いものが集まらないこともあれば、発注通りのものがそのまま採用されることもある。
また、発注側が「自分の見知った人たちで作りたい」とか「このチームでやりたい」みたいなスタンスの場合は指名でしか制作されないし
「拘らず色んな人と作りたい」とか「とにかくいい曲に出会いたい」みたいなスタンスならコンペが発注される。というだけである。
これは優劣でも善悪でもなく、単なるスタンスの違いじゃね?と思うわけです。
どちらも共通しているのは結局「いい作品を作りたい」ということで、それに対する手段が異なるだけなのだ。
たとえばレストランのメニュー会議があったとして、絶対に外せない定番メニューは据え置きでその他の季節もののメニューはコンペで募集して選ぶ、なんてこともあるでしょう。そんなもんだと思う。
あと、コンペを悪としたい人に共通しているのは往々にして"今はもうやってない人"が多いなと感じていて
「若い頃にコンペで摩耗したから今はやっていない」なのか
「そもそも指名でしか受けないからやっていない」なのかは人それぞれだが
今はやっておらず、立場的に上になりコンペとの距離が離れた人が
SNSなどで話題にあがったタイミングで「そういえばあれ嫌いだったな」となって叩きやすくなる
という構図に陥っている気がする。
これは令和以降SNS文化が活発になってから非常によく見られる構図で、たとえば
・大人が若者音楽(ボカロとか)に対して「要素が少ない」的な苦言を呈したり
・芸人がYouTuberに対して「面白くない」と下に見たり
・インフルエンサーが「芸人の賞レースネタはオチが読めるからつまらない」的な評価を何故か下したり
みたいなことがよく起きている。
自戒も込めて思うことなんですが、こういうのって自分の参加していない村の祭りが盛り上がっているとなんか面白くなくて、それらを毀損することで参加してない自分の価値や尊厳を守ろうとする人間の心の弱さから来る防衛行動なんじゃないか。
でもそれらに参加している人にとっては"そういうものなことはとっくに理解していて、それでもやりたいからやっている"ことが殆どだと思うんです。
先述のコンペに関して言えば
・集められて、かつ採用に至らなかった楽曲に対して対価が支払われない
に関してはもうそういうもんというか、それこそ芸人の賞レースとかだと逆に参加費用がかかったりするわけで。
そもそもコンペにはストック(他のコンペで制作したけど採用されず浮いた曲)という暗黙の制度があって、それが流用できる(ことが多い)時点で芸人の賞レースや役者のオーディションよりやさしくないですか。
・集めた楽曲を制作したクリエイターに対して敬意が払われない
に関してはもはや感情でしかないというか、もちろん採用されたクリエイターにはある程度払われていると思うけれどそれ以外のクリエイターってのは基本的に”採用に至らなかった作品のクリエイター”なわけで、「採用に至る作品は作れなかったけど、敬意は払ってくれよ!」というのはあんまり筋が通ってない気がする。
あと、窓口になっている人には恐らくそれなりの感謝の意は述べられているけれど、クリエイターまで逐一知らされていないだけ。
というか顧客と依頼主の関係は基本的には平等で、Win-Winで成り立っていることが殆どなわけだから”敬意”みたいな感情論を持ち出してしまうと議論が成り立たなくなると思う。
もちろんそのコンペを"誰かに強制されてやっている"とかだったら別だけど、そんなことないでしょ。大体。
まぁ、ぶん投げてるだけのオーダーとか、明らかにクリエイターを軽視しているようなコンペも無いわけじゃないですけどね。でもそれが嫌ならやんなきゃいいわけで。
コンペでしか出来ない制作があったりもするからやるわけです。
私は10年あまり作曲をやっていて採用に至らなかった曲が400曲くらいあるけど、多い人はこの何倍も作ってるだろうし、そのぶん負けているでしょう。
でも、そういう競技なんです。
コンペやってる人なんてそのくらいのマインドだと思う。
これがスポーツなら明確なルールによって勝敗が分けられるから見てる側も納得がいくが、音楽や芸事となると結論が感覚の域を超えないところからこういう議論に発展しやすいのだろう。
もちろん意見を自由に述べられるのがSNS社会の良いところではあるが、結局参加していないと最前線のことはわからない。
距離が遠くて実態がわからないから何を言っても許されると思ってしまいがちな自分の弱さに、なるべく流されないようにしたいですよねぇ。。。