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感想のバクダイナルパワー

少し前に息子の発語のことで記事を書かせていただきました。

「気になっている方に届けばいいな」

「自分の気持ちの整理にもなれば」

という感じで書いた記事だったのですが、インスタのDMで意見をくださった方が数名いらっしゃいまして。

その感想を読ませていただいたとき「書いてよかった」「発信してよかった」と心から思ったんです。


発信は悩むし迷うし不安


イラストエッセイや文章を「発信する側」になって初めて知ったんです。「こんなに緊張するものなんだ」って。

頭では分かっていたつもりだけれど、想像以上のドキドキ。

緊張度合いには個人差があると思うのですが、私の場合は「反応が怖い」というより「ちゃんと伝わるかな」「自分の思いを届けられるかな」と不安の方が大きいかな。

時間もないのでちゃんと構成を考えてるわけでもないし、文章を練り尽くしているわけでもない。

でもなるべく、自分の思いが伝わるよう言葉選びには気をつけている…つもりです。

(直接話すと思ったままに話しちゃうからボロも出るし、後で喋りすぎた〜と後悔するんだけど、書き物は頭を整理しながら行きつ戻りつで書き進められるから好きなのかも。)


だからこそ、自分の発信に対してリターンをいただけるのは本当に嬉しい。

貴重な時間を使って読んでくださっただけでも嬉しいのに、またまた貴重な時間を使って感想を届けてくださるなんて、本当に涙が出る。

褒め言葉なんてなくても、読んで感じたこと、その方の思いが知れるだけですごくありがたいんです。


普段インスタグラムで「いいね」や「コメント」をくださる方をはじめ

ストーリーズに反応してくださる方

外部の記事を読んでわざわざメッセージをくださる方

皆さんお一人おひとりに感謝の気持ちでいっぱいです。


なにがすごいって


見ず知らずの人に感想を送るってそれまた勇気がいることですよね?

私がインスタのイラストエッセイにハマったのが妊娠期。

安静時期があったので、その時にごろごろしながらたくさんのエッセイを読ませていただきました。

でも、今思うと本当に申し訳ないのですが

フォローせずに読んでいた時もあったし

「いいね」を押す文化?がなくて(押していいのかもよく分からないし、ダブルタップで押せるなんて知らなかった笑)

なにも反応せず、ただただ読む。

「すっごいわかる!」

「うわあぁぁ、お声かけしたい」

と思っても、ただ読んでるだけ。

今思うとすごく申し訳ないのですが、そういう方も結構多いのではないのかな、と。


なので、この記事を読んで「絶対反応しなきゃ!」「コメント送らなきゃ!」って思う必要は微塵もなくって

ノーリターンが普通だと思って発信しているので

感想がもらえると「びっくり嬉しありがたき!」という気持ちになるのです。



スポーツ選手


が試合のあとのインタビューとかで言うじゃないですか。

「いつも応援してくださっている皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。」

「支えてくれている皆さんのおかげです。」って。


いや、世界で活躍するスポーツ選手と平凡な私を同等にして話しているのではないですよ!笑

でも、そういう選手たちのインタビューを見て「決まりきったセリフね」「よく聞くよく聞く」って思うかもしれないんですが

本心から、心の底からの感謝だと思うんです。きっともっともっと上手い言葉で伝えられたらって思ってるはず。


全然レベルは違いますが、学生時代にスポーツに全力を注いでいた私でも同じことを思っていました。

遠くから応援しにきてくれる友人。

生活を捧げてサポートしてくれるコーチ。

いつもご飯を作って応援しにきてくれる母親。

本当に「感謝でいっぱい」という言葉では表せないほど、ありがたいしパワーになる。

結果が出せないと申し訳なくなる。

結果が出て、初めてちょっと恩返しできたかなって思える。

それくらい、周りの声援や陰ながら支えてくれている方々の存在って大きいんですよね。

あ〜、思い出しただけで涙が出てくる。note書きながら泣いたのは今回が初めてだ!



で、詳しくいうと


多分スポーツなどの声援に対する感謝と

今回のような芸術発信に対する感想をありがたいと思う気持ちは、少し違う気がする。自分の場合。


スポーツは「感謝」

伝えきれないほどの「ありがとう」がいっぱい

という感じなのですが

発信に対する反応をいただけることは「作品が意味をもつようになるから」嬉しいのかな、と。


・不安だったけど、感想を頂けて伝わったと感じる

・共感していただける

・理解した上で、違う角度の意見をいただける

・読んだことを教えてもらえる


そういう反応があって初めて、発信した作品により深みを感じ「書いてよかったな」と発信したことに意味をもたせられる。

だから嬉しいんじゃないかなあ、と。

もちろん感謝の気持ちも根底にあって。

でも、読んでくださる方、反応をくださる方あっての作品なので、そういう意味では応援以上のパワーが「感想」にはあるんじゃないかな、と感じるようになりました。


でも自分は


今でも書き手の方にちゃんと感想を伝えきれていない。

時間のせいにしちゃいけないんだけど、全部にコメントはできなかったり、萎縮しちゃってメッセージ送信を躊躇してしまったり。

こんな記事書いておきながら自分はできていなくて、本当にダメだなと思います。

できる限り、私もたくさん思いを伝えていきたい。感想を伝えたい。


今回は長くなるので、攻撃性のあるコメントや誹謗中傷についての話は省きますが、感想を言い合える場があるって本当に素敵なことだし、書き手にとっては想像以上の原動力になるんですよね。

それがSNSなどのいいところだと思うので、これからも自分らしく発信していけるよう頑張ります!


最後に2つ

1つ目

タイトルの「バクダイナルパワー」をカタカナにした理由について。

「ばくだい」って言ったら多分「莫大」なのですが、調べてみたら

(引用文献:https://dictionary.goo.ne.jp/word/莫大/)

◇「莫大」は「額」「量」「財産」など数量としてとらえられるものについて言うことが多い。「莫大な遺産を残す」

という記載がありまして。

そっか〜パワーだけど数値化されているものでもないな〜。

ちなみに「多大」は

◇「多大」は「多大な金額」のように用いるほか、「成果」「努力」「困難」などはっきり数量化できないことにも使われる。

とあるけど「多大なパワー」じゃちょっと違うしあんまり言わない…。

莫大でいい気もするけど納得できないから今回はカタカナにしとこ〜どうせなら全部カタカナにしちゃお〜!という感じです。


2つ目

こんなことなら学生の頃よく書いた「読書感想文」もっとちゃんと書けばよかった!!!

本を読むのは好きなのに、夏休みの宿題とかで出る読書感想文が私は大嫌いで(笑)

説明を受けてもなにを書いたらいいかよくわからないし、教師になってなんとか構造は理解したけど、賞に入るような感想文がいいとは思えない時もあって、モヤモヤしてたんです正直。


でも、「作者さんに感じたこと、自分の思いをそのままにぶつける」

「作者さんをイメージして手紙を送る感じで」

だったら、もうちょっと書きやすかったかもしれないと思って。

(決してこの書き方をおすすめしているわけではありません(笑)私がもっと楽しくかけていたかな、という話)


絵本でも小説でも新書でも感じる部分はたくさんあったのに、あんまり学生時代は作者さんをイメージしてなかったのかもな。


せっかく何かを発信する側になったのだから、さまざまな分野の発信を受け取って、吸収して、アウトプットしていきたい!


そしていつも感想をくださる方

読んでくださっている皆様

本当に本当にありがとうございます!

皆さんが思っている以上に感謝しております。

こいついつも同じこと言ってるな?と思うかもしれませんが、本当に思っていることなので許してちょんまげ!


最後までお読みいただきありがとうございました!

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