手帳に何を書くのか
みなさま、おつかれさまです、ぺんとないふです。
手帳というと必ず思う疑念が、何を書くのか、ということだと思います。
何を書くのか。
僕はこの疑念にいつも自分にこう返す。
なぜ書かないといけないのか。
何を書くのか悩んだりするけど、そもそも書かないといけないんですか??あなたにとって書く必要あります??という話です。
迷うなら、別に書かなくて良くないですか??書く必要あります??意味なくないですか??
書かなくて済むなら書かなくたっていいんです。でも、必要があるから、書くんですよね。
僕もそうです。
書いたり考えたりしなくたって、仕事して帰ってきたら酒飲んで、サブスクでテキトーに映画でも見て、酔って寝て、起きたら仕事行って、たまには旅行行って、旅先で美味しいもの食べて酒飲んで寝る、それを繰り返していれば何の不都合もないんです。
それはそれで良いことだと思ってます。
ですが、僕は生きている限り、もっとより良くなりたいし、世の中をより良くしたい、そう生きることを決めたんです。
そのツールの一つとして手帳を活用することにしました。
話を少し戻して、何を書くか。
簡単に答えを出さなくて良い、そのストレスが大切である、というのが僕の結論です。
ストレスって悪いことだと思ってしまいます。
確かに自分のどうにかできる範囲外のストレスは極力排除すべきです。しかし、自分の努力でどうにかできる範囲のストレスは当然生じ得るものであると思います。
できるようになる過程にはできない自分がいるのは当然です。
ピアニストになるために、日々ツライ練習をする、なんていうのは至極当然のこと。つまり、なりたい自分になる過程には当然ストレスは存在するということ。
さて、手帳に目を向けてみると、何を書いたら良いか分からない、は、手帳を書きたい、と思えば当然通過するもの。
むしろこのストレスに正面きって向かい合って、書けなくてもペンを持つ、ペンを持って手帳を開く、書こうと努力する、たとえ一行でも書く。
その繰り返しの先に、何を書くかの答えがあると思います。
書けなくてもペンを手に持って手帳を開く。
この繰り返しの先に、何を書くのかが初めて湧き上がってくるんだと思います。どこかの誰かの答えめいたものではなくて、自分の答えを見つけるために、何を書くのかを理解するために、ひたすら何かを書こうとするを繰り返す。
何を書くか
の前に
何かを書き続ける
を一行で終わってもいいから続ける。
それが答えではないかと僕は思います。
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