『画賛』の世界
隣町の博物館で行われている、『高僧の墨蹟 -画賛の世界Ⅲ-』なる展示を観に行ってきた。
画賛とは
端的に言えば、墨画と書が一体となった掛け軸が画賛である。きっとどこかで見たことはあるはずだ。
これまで画賛という言葉は知らなかったが、小さい頃書道を習っていたこともあって、書に関する展示は惹かれるものがあり、はてどんなものかとわくわくして足を運んだ。
高僧だけあって、観音菩薩の画や悟りを説く賛の作品が多く並んでいた。一方で、えびやはまぐり、仲良し4人組などユニークな画もあった。
その中でひときわ目を引いたものを紹介しよう。
白隠慧鶴筆「半身達磨図」
どこか柔らかい顔つきながら眼光鋭いだるまの画に、「見性成仏 直指人心」の賛。人心(にんしん)は自らの奥底の本性、性(しょう)は仏となるべき特性。悟りに至るには自らの心をこそ見つめ、自らの心を見極めよという意が、画と賛の両方をもってこちらに伝わってくる力強い一作だった。
南山古梁賛・菅井梅関筆「飛瀑図」
滝の流れ落ちるさまを描く壮大な画で、ぐっと心をつかまれた。見事な墨画で言葉はもはや要らないほどだが、ここに「長い間無欲で心安らかに暮らす仙人は風流を自然に楽しむことができる」の意の賛が加わる。画と賛の調和を味わうことができる美しい一作であった。
大観文殊筆「隻手布袋図」
にこやかな布袋さんが右手を挙げている画。このポーズは「隻手の音声を聞け」(=片手の音を聞け)という禅問答のお題なのだという。両手を叩けば音がする、では片手の音とは?理屈を超えることを考えぬく先に、迷いが消えてありのままの真実を見抜けるようになる、これこそ悟りの境地であるという。僕は無宗教であるものの、禅の考え方は興味深いと感じる。人生の教養として、知り学んでみたいものである。
全19作もの画賛に囲まれ、とても愉しい時間を過ごした。将来、家に置きたくなるなぁなんて思いながら展覧会を後にした。
今日はこのへんで。また明日。
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