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「自傷的自己愛」の精神分析を読んだよ

「自傷的自己愛」の精神分析を読んだことを僕が自慢する会です。
みんなで褒め合って読みたくもない本を読み、頭を良くしようという行事を開きたい。


そういえば室木おすし著、たまに取り出せる褒めを買って読みました。室木おすしさんの描く子供という存在と大人との関係が好きなんだよな~~~ありスパの子供の話の回大好き。



話が逸れたのでなんとなくあらすじを書くわよ

・他者を拒絶する心は、自分自身をも拒絶する。世界の破滅を願っている人間は、しばしば自分自身の破滅も願っている。

・個人自由主義の世で劣等感を抱いている人間は、自分は無価値な人間だと思い込み、自分を卑下しがち。
こういう人々は、「プライドは高いが、自信がない」タイプが多い。
あるべき自己イメージの要求が高く、現実の自分を否定するしかない。でもそんな現実の自分を客観視できているから、自分を他人の前で貶めて自分が「正気を保っている証明」をする。

自己否定的な言葉で自分を傷つけている人は、様々な境遇や感情から自分を守るために言葉を放っている。自分が大切だから自分をディスっているのだ。

そういう人たちの自己愛の形を「自傷的自己愛」と著者は言ってる。

・自己愛は自分自身でありたい欲望を指し、精神の健康に欠かせないものである。
自己肯定感とかいうのが巷で流行っているがこれは一時的なものでしかなく、自己愛の方がより強く、長い。

・自傷的自己愛は、否定的な家族などの環境に起因することが多い。これを抱える人は他者との比較や自己否定によって自分を変えようとするが、これはダメな自分像を固めてしまうことになり逆効果。

・自傷的自己愛を抱える人は、自分を傷つけることを少なくするために、まず自分の自己否定は自己愛ゆえの言動だと気付くこと。そしてこの行為は環境の変化や身体の健康、人との対話などによって解決できることを知るべきだ。

大雑把にいうとこんな感じだったとおもいます。


読んでみた感想ですが、面白かったです。

なんか自己否定の言葉は先人たちの処世術とか、日本人が故の謙遜みたいなイメージがあったので、その底に自己愛があるという指摘は確かに~~~~すげ~~~~って思いました。

でも自分は大谷翔平じゃないんだから出来なくてもしょうがない、みたいな精神健康法は頻繁に使ってるな。これをやってる人は多い気がします。

まぁなんか自己否定の言葉を言う時はだいたい「ソンナコトナイヨ〜」という返事を求めている時で、そういう無意味な会話が救いになってるパターンはよくあるかも。こういう返事を求めている時点でその人の底には自己愛が存在してますね。

プライドが高くて他人を批判しがちで、それが廻り回って自分の首を絞め、それを自己卑下によって自分を守る。っていうのは結構自分の話すぎて読んでてキツかったです。
他人を批判するのってその瞬間は愉悦感半端ないけど、似たようなこと自分でもしててそれを自覚したり思い出すとほんとに惨めで哀れになるので絶対しない方がいい。欠損を許せ。
他人を許すことは自分を許すことって意味わからなかったけど本当に至言。全部廻ってくるからねこの世は。


そんな他者がやってた愚かな行為を自分がやってて、受け入れられなくて自己否定の言葉を使ってバランス取るやつ、俺やってます。すみません。

そんな他者批判が好きな僕が嫌いなタイプの人類に、「何でも人のせいにする人」というのがあったんですが、人のせいにできる人は間違いなく精神衛生が豊かで、そのような生き方もアリなのではないかと考え改めました。
むしろ人のせいに出来ないで抱え込んでしまうことは精神の健康上良くなく、全て誰か他の人が悪いと考えた方がマシなこともあるかもしれません。

途端に今の政治に腹が立ってきました。だいたい何でも政治が悪い。

こういう自己責任ブームが来てるという指摘はこの本にもあり、結構自分はその考えの渦中にいるなと感じました。
僕は競馬で金をスったことを自分のせいだと後悔することが多いですが、これは全てJRA、いやNARが悪いので俺は悪くないんですね。


なんかまとまりが無いので最後にまとめるんですが、この著者の言う「自己否定の中には自己愛があるという自覚」というのを僕はこの本を読んで感じたので、結構自分への解像度が変わった感じがあります。読んでよかったです。

やはり読書とは自分の見る世界を広げる行為ですね。やってみなくちゃわからない。大科学実験で。



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