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【旅する短編】ハノイは曇天、アタッシュケースには札束
ボクは旅に出ると旅記をつける。
旅の間の日記に、その土地で美味しかったレストランのレシートや観光地やなんてことのない電車の切符などをはさみこんだノートブックだ。
今でもベトナムのハノイの旅紀にはその人の名刺がはさまっている。
でも、これまで一度も連絡をとったことはないし、その人をGoogle Scholarで調べることもない。
ハノイはベトナム北部の都市。ボクは当時バックパッカーをしていて、ホーチミン、ニャチャン、そしてハノイへと北上した。
ホーチミンが東京でいうところの丸の内みたいなカチッとした雰囲気を持つ場所なのに比べて、ハノイはどちらかといえば下北沢や三軒茶屋あたりの雰囲気を醸し出していた。
大通りを歩けば、平日の昼間っから男たちがチンチロみたいな謎のサイコロゲームをしていた。でも、もう10年くらい前のことだし、蒸し暑かったからもしかしたらチンチロじゃないかもしれない。
ボクの旅紀にはさまっている名刺の人、とはそんな大通りからちょっと入ったところにある安いバックパッカーズホステルの入り口で出会った。
エントランスの外に転がっているベンチに座ってぼーっとしていたボクにその人は話しかけてきた。
中国語で話かけられたけれど、「日本人で中国語が話せない」と伝えるとGoogle 翻訳を使ってボクに「チェックインを俺の代わりに英語でしてくれないか?」と言ってきた。
名刺の人は中国人で、中国語しか話せない様子だった。その日、予定があったわけでもないので手伝うことにした。
カウンターに一緒に行って、ボクとレセプションの白人男性が英語で、彼がGoogle翻訳でチェックインをした。
なんで名刺の人はボクに頼ってきたのかはわからないけれど、きっとその場にいた東アジア人っぽい人はボクらだけだったからだと思う。
そのバックパッカーズホステルにはなぜだか欧米からの白人のバックパッカーばかりが泊まっていた。受付の担当者もほとんどが欧米人のワーキングホリデーらしい人たちで、正直ベトナムのローカルな宿とは雰囲気が違っていた。
チェックインを済ました。
なにせ英語とGoogle翻訳、中国語でやりとりしていたのでうしろが詰まってしまっていた。
部屋番号を聞き、ボクも「なんとなく場所わかるので案内しておく」と伝え、名刺の人と3階へと上がった。
3階の部屋を開けるとそこはボクの部屋と同じような典型的なバックパッカーズホステルだった。一部屋の中に3つの二段ベットが置かれていた。
彼のベッドは真ん中のベッドの下段。その上にはおそらくアメリカ人っぽい2人の女性がいて、おしゃべしていた。ボクは2人に軽く挨拶をした。
彼に「ここがあなたのベッドだよ」「でも、あなたもっといいところ泊まれそうだけど、ほんとにここでいいの?」とGoogle翻訳で伝えると彼は「ここで大丈夫だよ。ありがとう。本当に助かったよ!」と応じた。
ボクは「谢谢、再见」と大学で1セメスターだけとっていた第二外国語の中国語で覚えていたマンダリンを使ってみた。
そして、部屋を出ようとした。
その時、名刺の人は「待って、待って」とボクを呼び止めた。
彼はおもむろに持っていたアタッシュケースを開いた。中には札束が、ぎっしり詰まっていた。
これを読んでいるあなたが「そんな展開あるかよ」と思う気持ちはわかる。ただ、本当なんだ。
名刺の人は40歳くらいの男性で、ちゃんとしたワイシャツを着ていて、アタッシュケースを持っていた。
だから、ボクは部屋に着く前も部屋についてからも本当にここに泊まるつもりなのかと数回確認していた。
名刺の人はアタッシュケースの中にある札束から一束掴んで、その中からザクっとぱっと見ても何枚かわからないくらいのお札をボクに渡そうとした。
ボクはびっくりした。本当にびっくりした。
ベッドの上からアメリカ人の2人の女性がワーオっていったのを聞いて、ボクは理性を取り戻した。
そもそもアタッシュケースと札束とかあるあるな組み合わせすぎるし、危なそうなので、ボクはお金を受け取ることを断った。
そして、名刺の人に「ここはモノを盗む人もいるから気をつけてね」とGoogle翻訳で伝えて、部屋を出た。
たしかに、何かに巻き込まれるのは嫌だった。ただ、それより、その状況が非現実的なんだけれど、笑っちゃうくらい"あるある"なアタッシュケースと札束という組み合わせだったのでボクの頭はぐちゃぐちゃになった。
気づいたら半分浮いているような頭で、さっきまで座っていたエントランスの外のベンチに転がるように座っていた。
別に何か起きるわけでもないのだけれど、ちょっと落ち着くために空を見ていた。
ハノイは変わらず曇天だし、軒先ではチンチロおじさんたちが見えた。
部屋に戻って、シャワーを浴びて夕食を食べに出かけようとしたところ、
ばったり名刺の人に出会ってしまった。
ニコニコの笑顔で近づいてきた彼は「一緒に夕ご飯を食べないか、なんでも奢るよ!」とGoogle翻訳で伝えてきた。
ボクはとっさに「お誘いは嬉しいんだけれど、友達との約束があるんだ」と断ってしまった。名刺の人はすこし寂しそうにした後で、ボクに名刺を渡してきた。
「何かあったらいつでも連絡してきてね」とGoogle翻訳で伝えると彼はアタッシュケースと肩がけカバンを背負って外に出ていった。
あとで名刺を見るとどうやら彼は中国の大学の教授のようだった。
「大学教授とは言え、札束をアタッシュケースで持ち歩くかね?」
と思いながら、翌日ボクはハノイを歩き回っていた。
やっぱりハノイは曇天だった。チンチロおじさんたちは今日も健在だった。
ただ、かなり蒸し暑かったし、10年くらい前の話だから、もしかしたらそんな事はなかったのかもしれない。